タグ別アーカイブ: 心理

心理・意識・精神について

死すべき魂!

認識に関する最も有用な業績は、ことによると魂の不滅への信仰が放棄されたということかもしれない。現在人類は待つことが許されている。現在人類は、かつてそうしなければならなかったように、あわてふためいて、半分しか吟味されていない思想でのどをつまらせる必要はもうない。 曙光 501 前半 そんなに生きたいとも思わず、また生きたくないとも思わない、という状態が本体あるべき姿です。 何故かニヒリズムが再びよく閲覧されているようです。そういえば書いてから一年以上経過しているということを忘れていました。 そういえば、私事ながら気力

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理由と、それが理由にならぬこと

君は彼を嫌悪しており、この嫌悪に対する理由を沢山もち出す。― しかし私は君の嫌悪を信用するだけであり、君の理由は信用しない!本能的に生じるものを、君や私に対して三段論法のように提出することは、君自身への胡麻擂りというものである。 曙光 358 感情はストレートに「真」ですが、その裏付けとなる思考には穴がある可能性が常に内在しています。 嫌いという感情は、論証の必要なくまさに正しいのですが、「なぜ嫌いか?」という理由付けは正しさを帯びることがありません。 世間で、とりわけ飲み屋で繰り広げられているこういった議論は、ほ

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純粋にする眼

「じゅんすいにするめ」と打てば、案の定「純粋にスルメ」と出てきました。 僕はイカが食べれません。スルメはギリギリ食べられるものの、匂い、味、食感共に全てがダメです。原因は小学校のときの給食の「イカの煮付け」です。 なお、ぼっちゃん的な事柄になりますが、料亭で出てくる透き通ったイカは臭みがないのでぎりぎり食べられます。 さて、「純粋にする眼」です。 ニーチェはこの項目で、プラトンやスピノザ、ゲーテなどが出てきた後に「天才という名前が本来的にふさわしい他の人たちは、純粋な、純粋にする眼をもっている」と綴っています。 こ

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悪い原理

静寂の中に身をおいていると、どんどん意識も身体も澄んでくるような気がします。 新居にはもちろんテレビなど置くはずもなく、携帯電話も机に放置。そんな風に少し世間(というかデジタルデバイス)と離れるだけで、意識の散らばりもどんどん集中へと向かいます。 インターネット環境が整わないので、以前と比べてはまだまだ更新頻度は少ないですが、もうしばらくすると頻度は上がってくるでしょう。 さて、「悪い原理」です。 アイツの原理 悪い原理ということで「アイツの原理」について少し触れていきましょう。 根底は生存本能的な恐怖心ですが、い

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南風の風下で

甲。僕は自分がもはや分からない!昨日はまだ僕の内面はひどい嵐で、それと同時にひどく暖かで、ひどく日当たりがよく― 極端に明るかった。しかし今日ときたら!すべては今や静かで、広く、憂鬱で、暗い。ヴェニスの入江のようである。 曙光 492 前半 苦しみへの勇気の時もそのような感じだったかもしれません。あの時確かに憂鬱で暗い感情を「どかん」と味わったような気がします。 その前の日までは極端に明るかったのに、急にシナシナになったというような感覚でした。 「すぐに戻るだろう」 そう思いながらも、その日の前日までが100だとす

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やはりそのために孤独!

なるべく孤独のほうが煩いも少ないのは当然ですが、「『独りで歩む』 独立自由と対人関係」や「犀の角(結婚の偶然)」などなど、孤独に関しては何度か触れているので、「やはりそのために孤独」という項目を、「自分と関わる人のために」というアプローチで書いていきましょう。 自分と関わる人のために「孤独」を選ぶ 本当に笑ってしまうような話ですが、以前までは、関係が浅い人ほど自分と関わるとうまくいき、自分との関係が深い人ほど、自分と関わると「うまくいかない」ということがよくありました。 簡単に言うと、仲の良い人・関係が深い人に僕が

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こんな小さな真理!

「真理」という字を見ると胡散臭い印象がしてしまうため、あまり使いませんが、なぜ胡散臭い団体ほど真理という言葉を使うのでしょうか。 やはり、「あなた達の知らない真実」という旨で使うのでしょう。そして私は知っていて、教えてあげるから私を拝みなさいというようなことを思うのでしょう。 残念ですが、彼らの言う真理など「再現可能性のない妄想だ」と言われても、それを覆すことは彼らにはできません。 根本的に大前提となっている事柄がおとぎ話のような仮定であり、その根拠自体も文献が古いとか伝統的だとか、その程度です。 そんな宗教系の胡

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逆境のときの友人

「お金と異性が絡んだときの人間を信用するな」 これは高校生の時に同級生が、僕に説いた言葉です。 その一年後、夏目漱石氏の「こころ」によって、その言葉がズシンと響いたものです。 その同級生としては、何か直近に思い当たるフシがあったのでしょう。 同時に「だからオレを信用しろとは言わない」 と言いました(別にお金を借りてこようとしてきたとか、恋敵だったとかそういうわけではありませんでしたが…)。 意図的に相手を欺くつもりがなくとも 大抵の約束や行動は、最初から意図的に相手を欺くつもりがなくとも、時と状況によって、結果的に

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愛の浪費に反対

他の人々から愛着の幾ばくかを引き去るほどにひどくだれかからその愛着を与えられるとき、心が締めつけられるように感じる人間たちがいる。われわれは選ばれ、好まれたのだ、という声を聞き取るとしたら!ああ、私はこの選択に感謝できない。私をそんな特別扱いにしようとする人に恨みを抱くことを、私は認める。 曙光 488 中段 「特別扱い」というものにご満悦の方というものは醜く映ってしまいます。必要以上にチヤホヤされて、嫌悪感を抱かずに鼻の下を伸ばしているという姿はひどく醜いと思っています。 最近ではちらほら講師を引き受けたりする関

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遠い視野

甲。しかしこの孤独はいったいどういうわけだろうか?― 乙。僕は誰に対しても怒りをもたない。だが僕は、友人たちと一緒にいるときよりも、ひとりでいるときのほうが、、彼らを一層はっきり美しく見るように思われる。そして僕が音楽を最も愛し、感じたとき、僕は音楽から離れて生活していた。物事をよく思うためには、遠い視野が僕には必要なように思われる。 曙光 485 実際に今この場で感じるときよりも、想像の上で触れている時のほうが美しく見えるというのは常日頃実感のあるような事柄です。 しかし、「その場」、「事実」をしっかり捉えられる

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自分の道

われわれが決定的な手段を講じて、いわゆる「自分の道」に踏み入るとき、突然ひとつの秘密がわれわれの前に姿を現す。 曙光 484 序 何かを始める時、たいてい抵抗が起こるものです。 誰か賛同者を求めて、いろいろと公言して、それがよほどいいことであっても、単純にわかりやすい「都合が悪い」といったことから、「え、お前がオレより偉くなんの?」といったようなことで、抵抗が生まれることすらあります。 もちろんただ単なる恒常性維持の抵抗感、という場合もあります。これは自分も相手も持っているものです。 そういった時に、うまくやるひと

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自己の交際を求める

一体われわれは、あまりに多くを求めすぎているのか。適当なときに火の中に入れられて取り出された栗のように、穏やかで、美味で、栄養豊富になった人々との交際を求めるのは?人生から僅かしか期待せず、しかもそれを当然のこととして受け取るのではなく、ちょうど鳥や蜂が運んで来てくれたもののように受け取る人々との交際を求めるのは? 曙光 482 前半 うーん。別に交際というものを求めることはありません。むしろ交際、再会の可能性を遮断することのほうが多くなってきました。 しかしながら、普通のコトですが、人がよい人であれば、交際を拒絶

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普通は誤解されている

会話で気がつくことだが、ある人は他の人の陥るわなをかけようと努力する。これは、人が考えるかもしれないように、悪意からだけではなく、自分自身の滑稽さを楽しむことからなのである。さらにまた、他の人に洒落を言わせるために洒落を準備しておく人々や、他の人が結び目を引き出すために輪を結んでおく人々がいる。これも人が考えるかもしれないように、好意からではなく、悪意からであり、粗雑な知性に対する軽蔑心からなのである。 曙光 351 笑いのレベルに大きな差がある場合、ボケ気質の人でもツッコミ側に回らなければならないというのが典型と

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二度の忍耐

「それによって君は人間に苦痛を与える。」― 私はそれを知っている。そしてまた、私はそのために二重に― 第一に、彼らの憂苦に対する同情によって、第二に彼らが私に返報するであろう復讐によって― 苦しまなければならないことも知っている。しかし、それにもかかわらず私のようなやり方をするのもやはり必要である。 曙光 467 世の中には同情する割に何もしないという人がいます。もちろん「かわいそうだなぁ」とか「大変そうだなぁ」などと同情したからといって、何かをする義務はありません。 しかし、ある動機から「同情」はするのに、解決策

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懐疑家を安心させるために

「私は、私のなすことが全くわからない!私は、私のなすべきことが全くわからない!」― 君は正しい。しかし次のことは疑うな。君はなされる!いかなる瞬間にも!人類はいつでも能動態と受動態とを取り違えてきた。それは人類の永遠の、文法に関する誤りである。 曙光 120 懐疑家とは、もちろん何でもかんでも懐疑的に見て懐疑的に思考し懐疑的に判断する人のことです。懐疑とは「疑うこと」になりますが、「懐の中では疑っている」という感じにもなるでしょう。 有名な懐疑論者は、サーリプッタとモッガラーナがかつて弟子入りしていた六師外道サンジ

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心理的恒常性維持機能と自責

この「うつ、うつ気味」テーマについては、およそ四ヶ月ぶりくらいになります。毎度のことですが、あまり安易に触れないでおこうという方針なので、更新はあまりありません。 今回は、直近に身近で思い当たるフシがあり、一度くらいははっきりと書いておこうということで、心理的な恒常性維持機能(ホメオスタシス)と自責について触れていきます。 ちなみに狭義の恒常性維持機能は、ある安定した状態を保とうとする本能的な生理機能のことです。気温が変動しても体温を平熱付近で安定させようとしたり、病気にかかりかけた時に病原体を退治したりする、体が

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誤認の利益

ある人が言った。憂鬱な気質にありがちな、人の気に入りたがる気まぐれに対して、子供のとき軽蔑を抱いたので、人生の半ばに至るまで、自分には自分がどんな気質であるのか、つまり自分がほかならぬ憂鬱な気質であるということが見えないままであった、と。彼は、これはありうるあらゆる無知の中で最上のものであると明言した。 曙光 341 世の中にはたくさんの誤解、誤認があります。人と人の間の相手にもっている印象などほとんどが勘違いです。 ただ、一言で勘違いだと言っても、どう勘違いしている可能性があるのかまで推測できる場合と、ただ伝家の

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われわれは何ができようか?

ある人は不良で悪意のある息子から、まる一日ひどく責められたので、晩、息子を打ち殺し、深く息をつき、残りの家族のものに言った。「そう!これでわれわれは安心して眠れる!」― 環境はわれわれをどこへ追い立てることができるのか、われわれは何をしっていよう! 曙光 336 ここで少し家族について触れましょう。 家族仲はいいのですが、昔から家族という組織が嫌いです。 どういう意味で嫌いかというと、煩いの方が多いからです。 ノイズとしての影響が多いというような感じです。 昔から独立心が高いため、性格的には家族からの影響はあまりあ

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愛が愛として感じられるために

われわれは、自分に対して誠実であり、自分を非常によく知る必要がある。他人に対して、愛や親切と呼ばれるあの人道主義的な偽装をすることができるためには。 曙光 335 愛や親切と呼ばれるものは、ほとんどが偽装されたものであり、慈しみのように純化されたようなものではなく、何か裏にある自己都合の自己欺瞞のために使われたりします。特に語られる時はそうでしょう。 自己都合を覆い隠すため、つまりは一種の欲などを悟られないように、愛や親切という言葉に変換されているものがほとんどです。 芥川龍之介氏は恋愛の事を性欲の詩的表現だと言い

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慈善家

慈善家は、慈善を行なって自分の気持ちの欲求を満たす。彼はこの欲求が強ければ強いだけ、その欲求の満足に役立つ他人のことを、それだけ一層立ち入っては考えない。事情によっては彼は思いやりがなくなり、他人の感情を傷つける(ユダヤ人の善行や慈悲心についてこのようなかげ口がある。周知のようにそれは他の諸民族のものよりも幾分激しい)。 曙光 334 世の中は出来の悪い人ほど目にかけられ、世話をする側に好かれるものです。自立心があり、世話をする側の役に立っている側ほど粗末に扱われることが多くあります。 特に息子や娘に執着している親

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高慢ちきな様式

大きくふくらんだ感情を作品の中に注いで安心するのではなく、むしろふくらんだ感情を遠慮なく伝えようとする芸術家は大げさであり、その様式は、高慢ちきな様式である。 曙光 332 何度か触れていますが、人生で式典的なものを行うつもりはありません。そして、そうしたものはすべてどこかしらに高慢ちきな様式という感がしてしまいます。 「おめでとう」や「悲しい」すら、もはや「そうか??」と思うほどなのですが、まあ別に喜んだり悲しんだりすることは、即時的に起こるものなので、いいかなぁなどと思います。それが良い悪いというのはナンセンス

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理想主義的な理論は何を推測させるか

理想主義的な理論に最も確実に出会うのは、ためらわない実行者たちにおいてである。なぜなら、彼らはその理論の光彩を自分の評判のために必要とするからである。彼らは、その本能によってそれを摑み、その際全く偽善感を持たない。 曙光 328 前半 自己啓発洗脳組も、ブラック企業営業マンも、胡散臭いコンサルタントも、新興宗教と同じくわざわざ人を騙している自覚がない場合があります。 自分自身ですら自分自身の意識が作り上げた虚像に騙されています。 それが「なんでもできる自分」なのか、「成功者(笑)」なのか崇高そうに見える企業理念なの

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最後の寡黙

少数の人々は宝物を掘り探す人のような目に遭う。彼らは他人の魂に隠されているものをたまたま発見し、それについて知識を持つ。これはしばしば耐えがたい!われわれは事情によっては、生きている人々や死んだ人々をある程度までよく知り、その内心を突き止めることができるが、彼らのことを他人に語るのは苦痛となる。われわれは言葉ごとに無分別になりはしないかと懸念する。― 最も賢明な歴史家でさえ突然無言になることが、私には想像できる。 曙光 457 事実傍から他人を観察すると、その人のことがよく見えるものです。 自分と同じ特性を持ってい

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自分の環境を知る

われわれは自分のいろいろな力を評価することはできるが、われわれの力そのものは評価できない。環境はこの力をわれわれに対して隠したり、示したりするばかりではない。― それどころか!環境はこの力を大きくしたり、小さくしたりする。われわれは自分を変化しうる量とみなすべきである。この量の能力は、恵まれた環境の場合、おそらく最高度の能力に匹敵する事が出来るであろう。それ故にわれわれは環境を熟慮し、その観察に当って、いかなる勤勉もいとわないようにしなければならない。 曙光 326 向いていないことを仕事にすると、その能率は著しく

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成長しつつある徳

「徳が高い」「功徳がある」というようなことを言語情報として見聞きしても、何の説得力もありません。「あの人は徳が高いことで有名だ」というような情報ですね。それを第三者から聞かされた場合などです。 功徳といったようなものは、そういう一種のプロモーションをしても、実際に会ったりしてしまえば、その人からぷんぷん情報が出ていますから、取り繕うことはできません。 簡単にいえば、いくらライターが新曲の事をあれこれ感想や過去の楽曲との対比のような記事を書いても、その曲を実際に聞いた時にそのような言語情報など何の意味も成さなくなるの

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