カテゴリー別アーカイブ: 特別企画

特別企画

危機に瀕した者の慰め

どれだけのことが起こっても、慰めというものは必要ありません。起こった現象はすぐに消えすでに記憶になっています。記憶によって自爆しているのだから、何か他のもので埋めようとする必要はありません。 急激な危機に瀕する時は必死で目の前に対応しているだけで勝手に終わります。終わらなくても何かの結果を残して終わります。終わらなくても死んで終わりです。結局終わります。 それよりももっと問題視されるのはジワジワした危機です。 危機に瀕した者の慰めの中で、最も登場しやすい「危機に瀕した者たちの慰め」としての弱者の絆について触れていき

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人生に失敗した人々

人生に失敗した人々ということで、人生の失敗について触れていきます。世間でもよく失敗という言葉が使われたりして、「人生に失敗した」とか「失敗続きの人生だ」とか言うようなことを嘆いたりする人がいます。 本来失敗の対義語である成功ですら曖昧な理由で生まれた「願望」の達成くらいの意味合いであるはずですが、世間では、成功とは経済的成功とかお金持ちになるとかそんな雰囲気で語られていたりもします。 自己啓発コンサルの視点から見れば成功とは金持ちになることであり、失敗とは貧困に喘いでしまうことになるのでしょうか。 そしてその「成功

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倫理の否定者には二種類ある

「倫理を否定する」― このことは第一に、人間の申し立てる倫理的な動機が実際に彼らを行為に駆り立てたのだ、ということの否定を意味しうる。 ― 第二に、それは倫理的な判断は真理にもとづく、ということの否定を意味しうる。ここで付け加えられるのは、倫理的な判断が実際に行為の動機であるということであり、しかしこの仕方で誤謬が、あらゆる倫理的な判断の理由として、人間を道徳的な行為へ駆り立てるということである。これが私の視点である。 曙光 103 抜粋 倫理の否定者には二種類ありそのうちひとつは、「人間の申し立てる倫理的な動機が

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起源と意義

起源を知り、それを前提として考えることはあまり勧められたものではありません。まさにその「起源」というものに依存し、その方向性からしか物事見れなくなります。ただ、進化するにつれて元々の意義を忘れすぎな局面も、現代では絶えません。 起源と意義ということで、そうした物事の「起源」をあまりに推し進めることは単なる文化の名を借りた意識的な結界であると思っています。 といっても、物事をよくよく見渡してみると、ほとんどの事が過去に出尽くしているというのは否めません。しかしだからといって、古人や起源が素晴らしいというのは、ナンセン

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学問の美化

「学問は醜悪で、乾燥し、味気なく、困難で、長たらしい―さあ!われわれにこれを美化させてくれ!」という感情から、哲学と呼ばれるものが再三再四発生する。 曙光 427 抜粋 学問を修得していけばその分野での行動は良い結果になる、というのは揺るぎなさそうに見えて、あまり関係がありません。 たくさん勉強することによって、目の前にあるものが見えにくくなっていくからです。ジャンル問わず勉強していけば、ほとんどすべての学問に共通する何かの学力だけはついていきます。しかしながら、専門性という偏りによって、目の前のことが見えにくくな

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思想家の盲目

思想家とは、思想を持ち、時に思想を説く人ですが、あくまで思想はただの思想で、それ以上ではありません。人を狂気に導く性質を持ちながら、問題は何も解決してくれないという性質を持っています。 思想家が思想を説いたりする奥には、たいていその思想が社会にインパクトを与え、その結果自分の都合が良くなるか、自分の中の何かが満たされるかといったものが潜んでいます。 つまり思想を介して、自らを高めよう、自らを幸せにしようというような試みが垣間見れます。 以前に少し触れましたが、思想を持って、何かの活動をして、その結果社会が動いたとし

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われわれ追放された神々

人類は、その由来や、その独自性や、その使命などに関する誤謬によって、さらにこれらの誤謬に基づいてなされた要求によって、意気が高く昂まり、再三再四「自分の腕前以上のことをして」きた。しかし同じ誤謬によって、名状しがたいほど多くの苦しみが、お互いの間の迫害が、中傷が、誤解が、また個人の内面や個人自体でのさらに多くの悲惨などが生まれた。人間はその結果、苦しむ生物になった。 ―(中略) 「苦しむ高慢な者」が当分の間相変わらず人間の最高の典型である。曙光 425 「私はこういう人間です」 そう自分に定義付けをしていけば、グラ

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誰のために真理は存在するか

今までは、誤謬というものは慰めになる力であった。現在人々は、認識された真理に同じ効果を期待して、いささか長い間すでに待ち受けている。真理が他ならぬことを―慰めることを―果たすことができないとすれば、どうだろうか? 曙光 424 前半抜粋 ニーチェには残念ですが、真理は、誰のために存在するという性質のものではありません。誰かのために用意されたようなものは真理ではなく妄想であり、誰のためということことでもなく、かつ誰にでも確認できることこそが真理と呼ぶにふさわしい理です。 真理という言葉 真理という言葉はかなり「真なる

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不平家

それは、あの古い勇者の一人である。文明が彼の癪にさわる。文明は一切のよいもの、名誉、富、美人を ― 臆病者の手にも入り得るようにする、と彼は考えるからである。 曙光 153 不平家ということで、不平について触れていきます。不平とは何かを不満に思っていて、心が穏やかではないことを意味しますが、その奥には、不平等としての「公平ではない」という状態があるはずです。 不平家とは、そうした不平や不満をもつ者、「公平ではない不平な状態」を厭い嘆く者という感じになりましょう。 平等教育が進み、何かにつけて平等であり公平であるべき

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宣誓のひな型

「今私が嘘を言うなら、もはや私は決して真面目な人間ではない。誰でも私に面と向かってそういってよろしい。」―私はこのひな型を、法廷の宣誓とその際しきたりである神への呼びかけとの代わりにおすすめする。この方が強い。信心深い人でも、これに反する理由は持たない。 曙光 152 前半抜粋 宣誓とは、もちろん誓いの言葉を述べることであり、主に「誠意を見せるため」という目的のために述べる誓いの言葉のことを意味します。 宣誓というものがなぜ必要なのか、それは異なった考えを持つ人同士の中での一種の取り決めのような性質があるからではな

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ここで新しい理想がつくられる

恋愛状態のとき、自己の人生の決断を下したり、激しい気まぐれのために自己の伴侶の性格を断然決定してしまったりすることは、許されるべきことではない。われわれは、愛人同志の誓いを公に無効であると宣言し、彼らに結婚を許さないようにするべきであろう。 曙光 151 前半抜粋 性格も傾向はある程度固定的なものであっても、表に現れる行動などは一様ではありません。そのかかる負荷度合いが弱かったり、単発なら怒ることがなくても、様々な種類の強いストレスが連続して起こると、優しい人でも怒り出すことは当然に考えられます。 特に恋愛に酔って

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結婚の偶然

「まだひとりぼっち?」というような広告がよく出ます。まだどころか全存在は永久に独りです。独りでないかのように感じるのは錯覚ですから、独りであっても、誰かといても、結局は独りなのだ、と肝に銘じるどころかそれが自然です。 好きな人がいればその人と結婚すればいいですが、「出会いがないけど結婚がしたい」という人は、今一度自分がどういう理屈でそのようなことを考えているのか考えてみたほうがいいでしょう。 「みんなが言っている」というのは、世間の人を説得できても、僕のような類には通用しません。それは根拠として乏しいどころかナンセ

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どこで自分を知るか

動物は他の動物を見るや否や、心の中でそれと優劣を争う。そして未開時代の人間も同じやり口である。ここから、どんな人間でもその場合、ほとんどその防御力と攻撃力に関してのみ自分を知るということが明らかになる。 曙光 212 時に防御力、攻撃力という言葉を使うからこそ「言ってることが少年ジャンプっぽい」と有吉氏に言われるんだぞニーチェ! つまりは他の存在と相対化してしか自分を測れないのが通常だというようなことでしょうか。となると、「俺のスペック需要ある」氏も、動物や未開時代の人間と同じやり口だ、というようなことになってしま

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不死を夢見る人々に

大昔からでしょうか、不老不死を追い求めるようなテーマは数知れず、今でもアンチエイジングという言葉がちらほら歩いています。 そういう事を追いかけている人もちらほらいたりするものの、老いなかった人も、死ななかった人もいないので、現在もそのような人を確認できないわけですが、どうしてそんなにその事実を無視するのでしょうか。 しかしながらそんな事実よりも、もっと忘れそうになるのが、「不死は幸せだ」は本当か、ということです。夢見ているのだから、いいものだと思っていることは間違いありません。 「不死=幸せ」は本当か? おそらくイ

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それ「自体」

昔人々は、おかしなものが性質として付着している物がわれわれの外部に存在するかのように、おかしなものとは何であるか?と問うた。 ― 現在人々は、笑いとは何であるか?笑いはどうして起こるのか?と問う。人々は考えたあげく、よいものそれ自体、美しいものそれ自体、崇高なものそれ自体、悪いものそれ自体は存在しないが、われわれが自分の外部や内部の物にそのような言葉を与える魂の状態は存在する、ということをとうとう確定した。 曙光 210 抜粋 それ「自体」を指していると考えていても、「それ自体」の付属した性質、つまり付着した性質が

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最も厳密な理論の効用

人々は、ある人間の多くの道徳的な弱点を大目に見、その上粗い篩(ふるい)にかける。彼が最も厳密な道徳理論を信奉するといつも公言しているとしてのことだが!これに反して人々は、自由精神の道徳学者の生活を、いつも顕微鏡で調べてきた。その生活に過失があれば、ありがたくない認識の最も確実な反証になる、という底意を抱きながら。 曙光 209 「その生活に過失があれば、ありがたくない認識の最も確実な反証となる」 これは日常でよく行われていることです。自分に都合が悪くなれば、相手方の過失を見つけ、関連させて、本題とは全く違った性質な

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大きな沈黙の中で

「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、人は沈黙せねばならない」と言ったのはウィトゲンシュタインです。「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」で終わることで有名です。 論じえぬことに対してあれこれ論じて盛り上がるのは雑談程度で十分のはずなのですが、世の中では論じ得ないこと、論じても仕方ないことがたくさん論じられています。それに必要以上に価値を付けるのでより一層おかしくなっていきます。 どうコメントしていいのかわからない局面 生きていれば、どうコメントしていいのかわからない局

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良心問題

「では要するに、諸君は一体どんな新しいことを望むのか?」―われわれはもはや原因を罪人に、結果を絞首刑吏にしようとは思わない 曙光 208 原因を潰そうとして頑張ってみるものの、原因を潰しても結果が変わらないことがあります。 原因を潰そうとしたら、他の面まで潰れてしまうという場合もありますが、他の面も変わらなくて結果も変わらなかったというケースです。 原因だと思っているポイントが間違っている場合、というのもありますが、原因はそんなに単純ではありません。本当は単純なのですが、詳しいことを分析して解明してしていこうとする

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小さな逸れた行為が必要である

オリジナルや個性という言葉がすごいことかのように取り扱われ、平均的な生活から「少しはみ出そうと」躍起になりつつも、自分塾を正しく開いてこなかった場合には、「オリジナルだ」と主張するようなものを創作したとしても、絶望するほどチンケなものになります。 楽器人生 さて、個人的に楽器をやり始めたのは、詳しく言えば幼稚園くらいですが、ベースなどを触りだしたのは中学生の時です。 相棒プレシジョンベースとの20年(2019年3月投稿) その当時は数人しかそういうタイプの同級生がいなかったのですが、中学校生活も終盤に差し掛かった頃

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最も古い道徳的な判断

われわれの身近で或る人間が行為をした場合、われわれは、実際どのようにするか?さしあたりわれわれは、われわれにとってその行為がどんな結果になるのかを注目する。― われわれはこの視点下においてのみその行為を見る。 曙光 102 序 本当は違うはずですが、人は外見や行為で人に判断されます。 真の意味での行為について判断されるのであればいいのですが、それを親なり何なりに肩代わりしてもらいつつ、外からの評価を得ようとする人もいます。 しかしながら自分自身は騙すことができません。 例えば身なりが判断材料として用いられたとしまし

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気づかわしい

ある信仰を、風習であるという理由だけで受け入れる。―このことはしかし不誠実であり、卑怯であり、不精であるということを意味する!それでは、不誠実、卑怯、不精が倫理の前提であるというのか? 曙光 101 「気づかわしい」とは、事の成り行きなどが気にかかることであったり、「心配だ」「気がかりだ」というようなことを指しますが、12月25日は世間でもクリスマスだということで、「聖なる夜」が「性なる夜」的に気づかわしいということになりましょうか。稲中か何かでありましたね。 「ある信仰を、風習であるという理由だけで受け入れる」こ

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夢からさめて

生きているということは、明晰夢のようなおぼろげなものです。何度か書きましたが、僕は夢という言葉が苦手です。 イニシャルDの最終話で「プロジェクトDのイニシャル、Dreamに込めた俺の夢だから」と、高橋涼介が言った時には彼の評価が2段階位落ちました。 「高橋涼介が一番だ」、ということで頭文字DのゲームでもFC(RX-7)を使っていましたが、少しがっかりしました。D8になってからはもうゲームはやめたので、関係のないことです。 衝撃的な出来事 人生においては少なからず衝撃的な出来事というものがやってきます。 衝撃的な出来

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われわれのすべてが非理性的である点

われわれは相変わらず、誤りだと思っている判断や、もはや信じていない学説から結論を導き出す。 ― われわれの感情によって。 曙光 99 理性によって判断しているつもりでも100パーセント感情で決めていると言った人がいます。感情というものは厄介なものです。 感情主軸の話は話すだけ無駄なことが多いですが、感情が動かないようなものは気持ちに響かないため、経済社会においても感情に働きかけないものは全くに近いくらい売れません。 理性的と言われるような人たちにおいても、よくよく観察してみると単に理屈っぽいだけで、その実、感情に振

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道徳の変化

道徳にはたえず変形が施されて手が加えられている。― このことを引き起こすのは、上首尾の結末に終わる数々の犯罪である(たとえば、道徳的な考え方を新しくすることはすべてその一つに数えられる)。 曙光 98 いつでも決め事は解釈によっておかしくなっていきます。「道徳の変化」ということで、決め事など明文化されたもの、道徳など明文化されない不文律というようなものも常に変化し変形していきます。それが社会的なものであれば、当然に社会の変化に応じて変化していきます。 そしてその決め事も解釈によって取扱が変化し、時に変な方向に変化し

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道徳的になるのは、道徳的であるからではない!

道徳に服従することは、君主に服従することと同じように、奴隷的でも、思い上がりでも、利己心でも、諦めでも、陰鬱な熱狂でも、無思慮でも、絶望の行為でも、ありうる。それ自体としては、それは道徳的なものではない。 曙光 97 つまりは校則に書いてあるからとか、上司にそう聞いたからという理由で「道徳」を守っているかのようなギムキョな言動は、道徳的なものではないということでしょう。奴隷的・思い上がり・利己心・諦め・陰鬱な熱狂・無思慮・絶望の行為、よくぞここまではっきり書いてくれたものだと少しニーチェに「ありがとう」を言いたくな

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