同じ
「同じ」であるということを安心材料に使ったり、「同じ」であることを強要なんかすれば、人生は壊滅的に苦しくなります。 世の中は「同じようになれ」というような脅迫で満ち溢れていますが、結局それも相手の都合だったりするので基本的には無視しても問題ありません。自分は相手と同じになろうとしないのに、相手には自分と同じようになれというような構造な
不安こそ生きてるあかし
不安は人を成長させます。 筋肉に負荷を与えるとムキムキになっていくように、ストレスというものは人の心を成長させます。 ただ、そこから抜け出せずに無限ループして神経をすり減らしている状態の人がいます。 期限の定まった不安なら、終わる時点が決まっているのでクリアはたやすいですが、たとえばニートの人なんかは、お金をくれている人が死ぬくらいで
不安からの逃避法
「不安だ」の下に「スティック!」をつけ、大声で叫びましょう。 「不安ダスティック!」。なんだか素晴らしいことのように思えますよ。 不安の対義語は安心ということになっています。二元論化して考えればそうなのかもしれませんが、そう考えると安心するのは難しいように思います。 不安について少し考えてみましょう。 たいていはそわそわしている状態で
そこがいいんじゃない!
「そこがいいんじゃない!」あまりいい状況でないと脳が判断したとき、すぐさまその呪文を唱えましょう。口に出して言うとさらに効果的です。 アファメーションなどと言われます。言霊がどうのこうのありますが、あれも方便です。口に出してつぶやくこと、宣言すること等々は意識を無理やり方向づけることになったりします。 特別企画中(今のところ「自分なく
あきらめることから始めよう
最近では様々な本で「あきらめる」の意味が解説されるようになりました。 「真理を明らかにする」 「明らかに眺める」 などと言われます。 確かにその通りなのですが、「真理」などと言われると、胡散臭さが拭えません。 すぐにアイツは「どうして真理といえるのですか?」と投げかけてきます。 もしくは「眺めて何になるのですか?」と攻めてきます。 ふ
人生の選択ってやつ
イエスかノーか、この選択の連続で、ずーっと生きています。 人生の選択と称されるような大事件の時だけが選択しているときのように錯覚しますが、常に選択の連続で、願いの成功の連続で成り立っています。 選択には決定、決断がつきものです。 しかし、人は「決める」というとストレスを感じてしまいます。 なぜなら、「決めたからには責任を」という洗脳が
脳との最終戦争
うまいもんが食いたいとか、素敵な恋人に出会いたいとか、楽して生きたいとか、アイツが次々に要求してくるものに必死で対応しているのが悲しいかな「自分」です。言うなれば脳の奴隷が自分なのです。 脳との最終戦争とは銘打っていますが、戦ってはいけません。 「アイツ」の思うツボです。 ただただ、その構図だけ思い出せばいいと思います。 「俺、脳の奴
自分探し
以前にも少し触れましたが、自分探しです。 「そもそもはない」 それに気づいていくほうが、はるかにいいはずなのに、どうしてか「もっとすごい自分」を追い求めてしまいます。 これはいわゆる仮観の視点からのアプローチです。 仮観の視点からのアプローチ 世間は仮観で動いています。 この仮観とは、一般的な世界の捉え方であり、「客観的な世界が存在す
呪文・そもそもはない
先の続きになりますが、「ない」を「ある」対義語として認識していることに苦悩の元凶があります。 何がなんだかサッパリわからなくなるのは、長い時間かけて洗脳された「ある」に縛られているからに違いありません。「そもそもはない」何度も繰り返し、そうつぶやいてみましょう。一日1回、いやもっと。 呪文「そもそもはない」を何度も繰り返しつぶやくこと
空アリ
空アリという駐車場の看板についてです。 論理上はイエス/ノーで二元論化している空間でのお話です。 つまり埋まっているのか空いているのか、ということです。 コンピュータの世界では、0と1の2進法でほとんどのことが表現できてしまう。 しかし、こんなことが本題ではありません。 仏教では「空(くう)」と読み、あらゆる事物は固定的な実体性を持っ