ビリビリに破いて焚書

ビリビリに破いて焚書

この世に存在しないほうが良いと判断し、ビリビリに破いて焚書。
出版社は「鳥山明先生の作品が読めるのは」の出版社。
やっぱりくだらんなぁ。

ひとまず新刊は「売上」になってしまうのでさておき、
中古で流通しているものを全て買い占め焚書にしようかと思いました。

このようなことをしたのは初めてですが、やってよかったと思っています。

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「ビリビリに破いて焚書」への4件のフィードバック

  1. こんばんは。

    いつもお世話になっております。
    唐揚げジャンボ並みに何故か気になって仕方がありません。
    ぼっすーさんの焚書したいくらいの怒りが湧く本を読んでみたいなと思ってしまいました。
    愛のないと言うところから愛を自分なりに考えてみたいのかもしれません。

    1. この本については、やはりご紹介しないほうがいいと思います。

      他の本を買った時に「読んでいないものですが、ついでに貰ってください」と言われてもらった貰い物であり、某芥川賞作家(女性)のものですが、やはり女性特有の月イチ狂気的なものの反映を感じました。
      それだけならいいものの慈悲とは対局にあるものなので、やはりおすすめできません。

      1. お返事ありがとうございます。
        自己都合、ルサンチマン的なことが書いてあったのかなと少し思ったりしました。

        以前、[ありがとう]について考えていたときにありがとうを最後に残すべきなのか残さないべきなのか論争が私の中にありました。
        コメントには上限があり消えていくみたいなことが頭の中にあり、ありがとうに一枠使うことでいつかの誰かの参考になるかもしれないやりとりが消えてしまうことのデメリットが脳裏に浮かび、一方ではきちんと思ったことは残さないといけないという自分の中の一種のルールがありました。でもぼっすーさんならそのことまで見えてしまっているのでは?(宗教化しているのかもしれません、、、)とかがぐるぐる頭を巡っていました。
        とにかく、自分の過去に残したありがとうに対する見解[ありがたいと言う気持ちがいっぱいにならないとありがとうを言わない]と自分のありがとうというコメントをしないというとってしまった行動を参照した時に失礼であったことがずっと引っかかっていました。
        ——
        このコメントも結局ぼっすーさんに謝罪しているように見えて、自分の心を許せない自分のためにしているのだと思うと、私はどこまでも人を踏み台にしてしまう雑な人なのではと思ってしまいます。そしてこれを書いていると言うことはそうではないと、誰かに雑な人間ではないと否定してもらいたいと思っている節があるということであり、ますます凹んでしまいますが、みうら氏の[そこがいいじゃない]と言い聞かせているところです笑

        この部分を残すべきか残さないべきなのかも悩んでおります。ここまで書いてしまう一つの理由として自分を知ってもらって友達になりたいということなのですが、その心をもっと深く覗くと親しくなってぼっすーさんに何かしら認めてもらったり、特別扱いしてほしいんだという一種の奴隷精神、妹気質があるんだと気づいてしまいました。
        全ての人間関係において一度そういうことに気がついてしまったら、やはり純化した友人としてはもう成立しなくなるのでしょうか。

        久しぶりの長文の投稿です。この1週間なまものにあたり、腹の調子がおかしいです。きっと気が狂ってます。お許しください。

        やはり[お腹]といえばぼっすーさんですが、年末の業務で慌ただしいところ、記事を残してくださったりコメントを返してくださったりありがとうございます。どうかご自愛ください。それでは。

        1. 普段、人の行動は大半が無意識によって選択され、実行されていますが、そうした無意識レベルの反応、反射を意識に上げることができれば、その部分はどんどん改善されていきます。
          そうした癖や奥底の意図を発見した時、最初は戸惑いなどがあるかもしれません。しかしそのうち自然にどんどん最適な言動を選んでいくことができると思います。
          ということで、何事も気楽に考えていただければと思います。

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