超人的感覚の意図するところ
論理的整合性は意図的に無視して「誰にでも読めて誰にも読めないかもしれない」という感じで、超人的感覚について触れていこうと思います。 最近、特に自分が意識していなくても、ニーチェやエリクソンやゼランドなどが僕の世界に入っていきます。なので、そうしたテーマに沿って書いていこうと思います。 怒りにしても欲にしても、何かしらのソワソワ、緊張をなんとかしようというようなものが根底にあります。 生きていて一番厄介なのは「正論っぽいこと」です。正しそ
戦略空間の外側
情報を大量に入れ込むと、カオスが生まれます。つまりそれは、ある一定の正しさを帯びた原理同士が矛盾を起こし、解が見えないということが起こるということです。 ただ、本来はそのカオス空間を解決する必要はありません。 一方でカオス空間をそのままにしておくと意志決定ができず不快感だけが起こり苦を得ることもあります(こちらのほうが多いでしょう)。 ただ、そうした時こそ、哲学的な抽象度の高い空間に移動すると良いと思っています。 最近そんな事をよく思い
操作感を取り戻すこと
人がなぜパニックになるか、なぜ継続的に「苦」を感じるかというところを簡単に示すと、結局は、「変化を求めているが操作できない」というものに換言することができます。 この変化というものは究極的には「安らぎ」です。 ちなみにここでいう「苦」は、日常的な苦しみのすべてを含みますが、一切行苦の「苦」つまり「ドゥッカ」を示します。 これは、「思い通りにならない」というようなものを示しますからね。 ここで少し面白い視点からこの構造を見ていきましょう。
どのように観て何をどう語るか
最近は時間があるとすぐに読書をすることにしています。また、AIを使うことが極端に減りました(さらに使い方が上手くなってきたのでしょう)。 そして、徹底的に人を観察しています。これは「分析」とは異なり、状態と方向と歪みを観るというような感じです。 自分の観察だけでもいいのですが、一応の「外界」の観察も徹底的にというような感じで過ごしています。 結果的に、自分自身の体調がかなり良くなり、さらに緊張度もどんどん減ってきています。問題の解決も瞬
自分なりの学び直し
本日は起きてから右手の指がピクピクしています。でもそれはそれだけで何かのためにピクピクしているだけです。 最近あえてミルトン・エリクソン氏に意識を向け、洗脳や催眠について本を再読したりしています。 理由は、そういうのをドヤ顔で語る人たちやビジネス利用のためという名目で悪用しようとする人たちへの嫌悪感からきているのでしょう。 心理学や催眠療法、最近では認知科学や行動経済学などいろいろな方法がたいてい人の幸せではなくビジネス利用の方で応用さ
内に秘めた白いもの
最近ベースを弾こうとしてうまく弾けなかった自分のなかなかの下手さぶりに「福山雅治、結婚 ひゃーーー」となったおばさん並みのショックを受けています。 エネルギーの調整、出しどころのひとつとしてのベースが上手く弾けない、LUNA SEAすら怪しい、PE’Zなどとんでもない、という感じになると、何かを喪失したような気分になります。 理由の半分以上は、抱っことタイピングに最適化された腕や指の影響だと思います。 基礎練習でもすればある
許せない言葉
以前から、いつ言おうか、いついってやろうかと考えていたことがあります。 何というか、いつまで経っても許せないんです。 それをきちんと記述することで、よく眠れるようになるかもれない、ということではっきり言っておきます。 事の発端は… カレンダーの語源、カレンデです。 別にそれは何も問題はないんです。 昔、古代ローマ時代、月の番人がいて最初に月が見えた日に「見えだぞ」という意味を込めて「カレンデ!」と叫んだということを娘の愛読書で知りました
秋に訪れる空白と「守りたい」気持ち
なんだかんだで、SUPER BEAVERの曲で一番好きな曲はこの曲かもしれません。 ということだけを書き記そうかと思って数日が経ちました。 頭が真っ白になるんですね。 特にタイトル付けに意味はないですが、タイトルが思い浮かばず、入力すらできずに先日は数十分が経ちました。 秋にはそんなことがよく起こります。 男性特有かもしれませんが、「守りたい」というような気持ちが時折起こることがあります。 ただ、それをストレートに表現するとロクなことに
解決策へのノイズ
「ようやく浦島太郎から最先端まで追いついた」どころかその先まで行き着きました。様々な違和感の正体は、現代特有の意志決定のプロセスの変化にありました。 単純と言えば単純でした。 ただ、現実への適用は様々な方法を考えて調整していく必要があるなぁとは思っています。 個人的に一番取り戻した感覚としては、ミルトン・エリクソン的な部分です。これは技法等々そうしたものではなく情報の観察力と調整能力です(ああ戻ってよかった良かったと思っています)。 最
第2300回投稿記念
これで2300記事目になります。ブログ創設から2300回目の投稿ということで「第2300回投稿記念」です。 前回の第2201回投稿記念は、2024年7月10日だったので、前回からの99記事は、1年2ヶ月ちょっとかけて投稿したという感じです。またローペースですね。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。毎度のことながらたくさんの気づ
僕が最も恐れるものとエネルギーの浪費
僕が最も恐れるもの、それは、自分の中の「怒り」です。自分の中にあるエヴァンゲリオンの暴走のようなものをどうやって抑え込むかということに日々大量のエネルギーを浪費しているフシがあります。 特に外にはないんです。一応世間的に、変な人を避けるとか実りのない争いに巻き込まれないように的な恐れのようなものは、生命維持レベルでありますが、基本的に外の世界に恐れるものはないんです。 一番恐ろしいのは、自分の中でエヴァンゲリオン初号機の暴走のようなこと
変性意識と情報処理能力の限界
変性意識というのは、現実世界への臨場感よりも別の仮想空間への臨場感が強い状態なので、厳密に言うと常に変性意識状態です。ただ、ここでは深い変性意識状態、いわゆるトランス状態について触れていこうと思います。 そして、そうしたものと近年の情報処理能力の限界を超えた人たちについても触れていきます。 一応補足資料としては新規謎コーナー「AIとの対話」に置いてあります。 AIが人間に与える意識変容(変性意識) 本当の脱変性意識状態は、阿羅漢しかたど
AIが人間に与える意識変容(変性意識)
AIが人間に与える「意識変容(変性意識)」について、メカニズム、具体例、有益性、リスク、設計上の注意点、実践的な使い方——これらを整理してお伝えします。長めですが、現場で使える示唆を中心にまとめますね。 1) どんな「変性」が起きるか(種類) AIが引き起こす意識変容は、人間の内的体験に対する影響の仕方で分けられます。 知覚の変容:音や映像、インタフェースが通常の感覚処理を超えて時間感覚や深さ感覚を変える(例:没入的音響・ジェネレーティ
ロック&コメディ
あまり不足の方に目を向けるのもどうかと思いますが、現代に最も不足しているものはロックとコメディだと思っています。 最近、久々にビジュアルバムを少しだけ観ました。あとごっつの「サニーさん」などを観たりしています。僕達世代は小学校時代から「ごっつ漬け」であり、笑いの基礎部分の大半はごっつでできています。 やはり小中学生の頃に日曜日の夜八時になると必ず何か鬱屈したものがリセットされるような安心感がありました。 そういう安心感は、ここ数年どころ

出すだけ出して出し切る
人の多いところに行くと酔います。人酔いです。 旅行に行った時、大して何もしていないのに疲れます。 商品が多いところ、ショッピングモールのようなところに行くと酔います。 これらは一応「たいてい初めて見るもの」が情報として入ってくるからです。 19歳か20歳くらいの時に本を10冊読むと、それ以上読めなくなりました。大抵は気絶するように眠ってしまいました。 物理的には可能そうでも、短期的に溜めておける情報量には限りがあり、何かしらまとまるまで

情報を揉む
情報を揉むというようなことについてでも触れていこうと思います。 この情報というのは、情報空間であり情報宇宙のようなものです。ちょっとややこしいですが、バイト表現されるような情報とは少し違います。 思いっきり哲学テーマを書こうと思う時もあるのですが、まとまった時間とそこそこの体力が残っていないと中途半端になるのでしばらくは出せずじまいです。 ただ、何となくちょっとだけ触れていこうと思います。 意識の向きを調整する 「意識の向き」というもの

物事の極端さや中途半端さ
何となくですが、近年は物事が極端です。 いや、別に近年に限ったことではないのですが、特に最近はそんなことを思います。 ある意味で中途半端な感じもします。 様々な業界で人手不足ですが、それほど豊かであるというわけでもありません。使える人材が偏っているというような感じでしょうか。 働いたら働いたで長時間労働になり、そうでなければかなり薄給になるということも極端です。 独り身なら独り身で時間とお金を持て余し、家族がいたらいたでカツカツになる、

残暑の音色
音楽テーマかなと思いつつも乱文的雑記にしようと思います。 最近盆が過ぎたからか、ラジオからフジファブリックがよく流れてきます。 若者のすべてと茜色の夕日。 若者のすべてに関しては、少し前までは「志村氏の声じゃないバージョン」だったので嫌気がさしていましたが、最近流れてくるのは志村氏の声。 それだけで少し嬉しくなります。 ― 様々なものの原点回帰を感じます。 意味不明な偏りを経て、結局元通りに戻っていくような、そんな気がしています。 ―
OpenAI GPTBotをブロック
投稿前にまずお知らせがあります。 OpenAI GPTBotをブロックしておきました。 つまり今後投稿する内容はすべてChatGPTには見せないということです。 ということは、ChatGPTの回答の材料として利用させないということであり、この空間の独自性を高めるということになります。 僕の中のChatGPTの定義はいくつかありますが、 一応列挙しておきます 人が出した情報を勝手に自分のものにする盗人 頭の悪い人たちを賢くなったと錯覚させ

思わぬ角度からもたらされる爆笑
先日、ちょっとだけ連投した時に、本当はもう一つくらい投稿する予定でしたが、「寝かせたほうが面白いだろう」と思ってあえてやめておきました。 で、その内容を書くのかというと、それもまた違います。 「それが吹き飛んでしまった」というのが事実です。 何となくですがその前日まで、どこかで「相手の方がよく知っているだろう」というような萎縮があったような感じでした。 AI(人工知能)・LLM(大規模言語モデル)関連であったり不動産・金融関連であったり

意図を阻害するもの
本来は意識の向きや意図に沿って面白い現象が次々に起こっていきます。 ただ、こうした意図を阻害するものがあります。 意味のあること、役に立つこと、何かをした気分になるもの… 判断の上でおこる様々な基準、それらはすべて基本的には意図を阻害するものです。 「学習は意味のあることだから重要である」ということで向いていないことでもやらされます。 「それは人の役に立たないことだからやめておきましょう」といって何かの意図が妨害されます。 そしてよくあ

人間をロボット化しようとする流れ
最近知りましたが、某メーカーがAI搭載のカメラ付き肩掛けスピーカーでいろいろと提案してくれるような商品があるようです。人間をロボット化しようとする流れです。 色々と提案してくれるというのは利便性がありそうですが、結局はそのAI回答に反応するだけの人間を作るようなものです。まあおそらくネタで終わると思います。 手塚治虫氏がご存命なら真っ先にテーマにしそうな状況です。 AIの回答が問題です。近くのお店を提案したりするのはいいですが、その提案

捨て身と自己愛の矛盾
捨て身と自己愛の矛盾とその先にあるものについて触れていこうと思います。 「思い切り」というものは、その最高地点が玉砕のような捨て身でありつつ、なぜそれを選択しているのかという点で因を観察すると深い部分で自己愛があります。 これは同レベルで照らし合わせると矛盾になりそうなところです。 カルマ、悪業云々を根拠に苦行をするというのは、まさにこうした捨て身と自己愛の矛盾がふんだんに含まれています。 苦行によってどうなりたいのかと言えば自己愛に基

朧気ながら見えつつあるもの
最近同じようなことを思っている人によく会います。 結局、相手が答えを持っているわけではないのですが、現在の自分の思考が客観的に見えます。 そうなると、もう八割程度終わったようなものです。 とにもかくにも今現在の体験を全力で感じることが大切です。 瞑想的に集中を高めすぎると日常生活を送ることが難しくなります。 なので、今現在の体験を全力で感じるということが日常との折り合いの中では最も適しています。 それこそがエントロピー増大への対抗になり

人間らしさへの再評価
人間らしさへの再評価ということなのでしょうか、最近、サイトへの評価が著しく戻ってきています。 むしろ今までのほうがおかしかったという感じもしますが、理由は簡単で、少し前、特に2023年頃からは「AIによる情報の乱れ」があり、ようやくそれが整ってきたというような感じになってきているのでしょう。 少し前まで、中途半端な人たちがAIを使って文を生成し、その分量に応じて検索エンジンなどがそのサイトを評価していましたが、自動生成文ということが見抜

炎天下の全力疾走
「毎日をどのように過ごそう」と思った時に、特に「せっかくの休日なら何をして遊ぼう」と思った時、結局選んだのは、娘との「炎天下の全力疾走」でした。 別になんてことはないんですが、現代において逆に希少価値があるような気もしたりします。 炎天下なので、周りには誰もいません。 そういうのがいいんです。 いつも行動の選択においては、「走馬灯の材料」を選ぶようにしています。 変な感じですが、「死ぬ間際の走馬灯に描く思い出の材料としてふさわしいかどう

あの日のぼくらの秘密基地
よう、何年ぶりだろう。 覚えてるぜ。 26年ぶりだ。 確か夏だから、本当にちょうど26年ぶりくらいだ。 君はあの時はいなかっただろう。 二代目、ってことになるのかな。 娘を連れてきたぜ、あの子の娘ってわけじゃないけど。 「確かこの辺だったなぁ」と思いつつ、 何度も近くを通っては見逃しまくり。 やっぱり秘密基地だ。 ― 別に何を咎められるわけでもないけど、 大人の目を盗むためにひっそりと。 そんな夏だったな。 関連しているかもしれない記事

好みの作品の隠れた要素
最近、なぜ「ハゲタカ」が好きなのかがわかったんです。 企業の買収が面白いからとか、一時期の自分とハゲタカの時の大森南朋氏がちょっと似てるとかそういう要素もあるのですが、多分そういうのではないんです。 おそらく「嘆いたり、『あわわ』となったり、とにかく頼りない二代目、三代目」を見て笑うのが好きなんです。悪い癖です。 西乃屋の宇崎竜童氏とかサンデートイズの小林正寛氏とかが好きですね。 「そういうタイプの人と深く接したことがあるのですか?」と

お呼びでないことは百も承知
ずっと感じていた違和感の正体が先日わかったので書き記しておこうと思います。まあ根底にあるものは前々からわかっていたことではありますが、人と話すとどんどん露見していくものです。 幼稚園の行事に参加した時、保護者会会長の挨拶的なものがあったのですが、どうしても前々からその空気感に違和感というか不快感を感じていました。 「非Z会的な空気感からだろうか?」などと思っていましたが、別に友だち全員がZ会というわけでもないですし、数で言えば非Z会の方

現代の思考と頭のゴミ情報による反応的意志決定
「頭のゴミ処理とゴミを宝に変えること」の続編的に現代の思考と頭のゴミ情報による反応的意志決定について触れていこうと思います。 多少なりと普通の人よりは人工知能や自然言語処理等々について触れる機会が多いということもありますが、最近意図的に数種のAIを徹底的に活用しています(というより徹底的に遊んでいます)。 そして現代における思考のあり方がよく見えてきました。 これは個々人の人格の問題ではなく、頭のゴミでパンクしています。 結果、自発的思
