価格による行動コントロールの盲点

近年、価格による行動コントロールがよく行われています。まあ単純に有料にしたり価格を吊り上げることによって人の行動を誘導しようというようなやり方です。

しかしながら何事もそうですが、アホの一つ覚えのようにそれを真似てしまうと、想定とは違った結果が起こってしまうことがあります。

説得するよりも値段を上げて抑制させたほうが早く、自分たちの利益も上がるというような手法は最近では常套手段化してきましたが、代替方法、競合相手がいる中で、タイミングや配慮も考えずにそれを行うと、一気にお客等々に去られてしまうということが起こりえます。

ATM送金手数料が以前の2倍

先日某金融機関に行くと、ATMの送金手数料が以前の2倍になっていました。それほど使わない銀行なのですが、同一銀行他支店あて5万円未満で440円の手数料が必要だということのようでした。

窓口にも用事があったので、ついでに理由を聞くと「インターネットバンキングの利用を推進したいから」ということのようでした。そしてその方法として、「インターネットバンキング以外を値上げ」ということにした、ということでした。

しかしながら個人向けは無料であるものの、法人用のインターネットバンキングは月額料金が必要となるという構造になっていました。

一応それに対応するため、最近、数件の送金先登録であれば無料というようなライトプラン的なものを作った、というようなことを聞かせてもらいました。

ただ僕としては年に数回しか利用しませんし、「わざわざ面倒な書類を書くのも…」という感じになったので、「そうですか」と言い残し、結局既に持っている他のネットバンク口座から当の送金をすることになりました。他行送金になるものの結局手数料は半額の220円でした。

ということで、その銀行のインターネットバンキングの利用の促進は行われず、単に他行に仕事を奪われたということになります。

まあこれはたまにしか使わないからこそ起こったということになるのかもしれませんが、こうしたケースはなんだかんだでよくあります。

狭い内輪でしか物事を見ないからこそ起こる

新幹線の駅や高速道路ができればもっと栄えるだろうと思ったら、逆にその地方から都市部にみんなが遊びに行くだけになり、地元の内需が落ち込んでより一層不況となったとか、もっと課税してやろうと思ったら、本社をタックスヘイブンや海外の経済特区に移転されて収益が無くなったとかそうした事例は枚挙に暇がありません。

これはまさに「狭い内輪でしか物事を見ないからこそ起こる」という感じになっています。

なので、価格を変えることによって人の行動をコントロールしようというような流れに乗る場合、ある程度幅広い範囲で物事を俯瞰する必要があります。

普通に考えると納得できない価格の増加

この手の価格の増加は、きちんとした理由付けになっていそうですが、本来理由にはなっていません。普通に考えると納得できない価格の増加であるはずです。

「〇〇のため」と言われれば、「そうか」となりそうなものですが、本来、何かしらの人の手間暇に対してお金というものは支払われるというのが基本です。

特に何も手間をかけたりしていないのに、価格が増加するということは本来チグハグですし、無意識レベルでは人々は納得していないという感じになってしまいそうなものです。

コスト削減の代償

大前提として合理化というものは、既にあるものを最適化するという過去に基づいた発想です。なので、コスト削減という目線が第一になりやすい属性を持っています。その前提には、売り上げ等々の方は一定という傲りというか慢心があります。

様々なコストを削減するのはいいですが、結局それによって営業チャンス等々を失っているというケースはよくあります。

人と会わずに済んだりするということで、手間とそれに比例したコストは浮きますが、人と会わないのでサービスを提案するチャンスも無くなります。

コストが削減され、一応お金が浮いた、という一方、営業チャンスが減ったという場合、人はどのような行動を取らざるを得なくなるでしょうか。

普通に考えるとこちらから出向く形で営業をするか、広告を出すかというような感じになります。それで得するのは誰でしょうか。

「あれ?あれれ?ということは?」

ということを思ったりしています。

Category:finance お金に関すること

「価格による行動コントロールの盲点」への6件のフィードバック

  1. 最後の部分の誰が得をするのか?なのですが、まずは広告店や広告を作成する人が得をすると思います。また、お客を紹介する仲介業のような方がいれば、そのような方々も得をしそうです。それから、営業力が弱まっているのでコストをかけて同じようなサービスを提供している会社も得をしそうです。

    浮いたお金で投資をして少しずつお金を増やすとしたら金融会社が得をしそうですし、設備投資をするとしたら設備を売る会社が得をしそうです。ただ、お客さんがいないで広告をうつような状態での投資はあまり現実的ではないような気もします。

    このように考えてみると、コスト削減を煽ることで得をしようと考えている人もいるのではないかと疑ってしまいました。

    こうしたビジネス関係のことがほとんどわからないので、教えていただければ幸いです。

    いつも投稿楽しみにさせていただいております。

    1. コメントどうもありがとうございます。
      (内容につき僕は全く問題ないと思っていますが、一部を非表示とさせていただき、部分表示とさせていただきました)

      個人的には基本的に収益を上げる事自体は問題がないと思いますが、問題があるとすればその方法として「変な歪み」が含まれていることであると思っています。

      コンサルティング営業等々、相手の問題点を抽出して自社製品サービスを提案するというのはいいですが、そうしやすいようにと、問題ではないことを問題であるかのように説き、意図的に問題を作るようなことをする人達もいたりすることは事実です(よって、一元化して考えると問題となりますが、そうした可能性があることを想定するということは良いことであると思っています)。

      それが過剰になり異常な状態になっているような面もあるように思います。

      そうした問題を「博愛」や「現代への適応」という方向から煽動され、本質からズレた選択をして「問題のある状況」を自爆的に作るというのは歪んでいるというような印象を受けます。
      チグハグながら何も言わず受け入れたとしても、その奥では信頼感や良好な関係が失われていきます。

      コスト削減を筆頭とした合理化はいいですが、絞りすぎて歪みが生じ、また、それを矯正すべく費用をかけるというのはどうも音痴な感じがしてしまいますし、「もっともっと」ということで価格による行動コントロールを意図するなど、さらに音痴な感じがするといった感じです。
      下手な方法論を選ぶと長年の信頼が一気に破壊されるような気がしてしまいます。

      1. コメントありがとうございます。(bossuさんの感覚を知ることができてよかったと同時に安心いたしました。自分は対人関係が不足しており少し考え過ぎてしまう節があるように思います。今回のコメントで一つ経験を積み重ねることができました。ありがとうございました。)
        歪んだ方法を提案せざるを得ないような状況もあるのかもしれないと思いました。
        どこかに歪みが生じると、その歪みが増殖していくような印象を受けます。ということは、逆に真っ直ぐな方法は真っ直ぐな結果をもたらしそうです。またもし仮に、自分が歪んだ方法を使わざるを得ない立場(上司の命令など)に置かれたら、やましさを感じながら仕事をすることになり苦しんでしまいそうです。

        1. コメントどうもありがとうございます。
          顧客の状況にもよりますが、どのような業種でも業界内で一番良い製品やサービスというものは、突き詰めればだいたいひとつに絞られてきまたりしますし、自分の扱っているものは最も良いものと比較すれば劣るものであるということは多々あります。
          それでも全くの素人が情報を収集し、比較検討して判断する時間や労力の分は、自社製品・サービスが多少割高でも良いのではないかと思ったりもします。

          大きな企業は大きな企業で、人件費や一等地の地代等々様々なコストが余計にかかっていたりしますし、コストパフォマンス等々で意外と最良というわけではないという場合もあります。
          という場合に、制度等を歪めたり、誇張した情報を広めたりして無理に売上を作ろうとする場合もあります。

          ということで、おっしゃるような「自分が歪んだ方法を使わざるを得ない立場(上司の命令など)に置かれたら、やましさを感じながら仕事をすることになり苦しんでしまいそうです」という状況は世間で結構起こったりしていると思います。

          もう随分と前 、勤め人の頃になりますが、正規の方法、つまり疚しさを感じずに営業活動をする方法を選んで、その限界に挑んでみましたが、やはり詐欺的な不正営業をしている人達の半分にも届きませんでした。
          それでも詐欺的な不正が世間にバレるまで、企業側は不正営業を選ぶものを称賛しますし、稼ぎ頭であるその人達を守ります。
          どこかに書きましたが、その時くらいに道端で見た「子どもたちに誇れるしごとを」という看板は非常に沁みました。

          金銭は、様々なことに利用できますが、とどのつまり人はそれを用いて心の状態を最良にしたいというのが本質であるので、歪んだことをして精神を歪め、それを矯正するために歪んだ事して得たお金を使うというのもバカげています。

          マクロ的なことはマクロ的なこととして一応考え(構造を把握できるということは良いことでありますが、それに執著したり、権限の及ばない個人レベルでなんとかしようとしたりすると操作不可能感から無駄な苦しみを生みます)、個人的なことは個人的なこととしてスッキリする方を選び続ければ良いと思っています。

          1. 度々にわたるご返信、どうもありがとうございます。
            「疚しさを感じずに営業活動をする方法を選んで、その限界に挑んでみましたが、やはり詐欺的な不正営業をしている人達の半分にも届きませんでした」この部分、とても驚きました。そんなに差が出るのですね。

            想像に過ぎませんが、命令だとしても不正営業を拒む人が増えたり辞めるなどして、不正なことをする会社に人が集まらなくなれば、少しずつ疚しさや苦しみが減るのかなとも思いました。様々な事情がある中で無理をして、働いてしまうことが逆にそうした不正を維持させてしまう側面もありそうです。
            お金の本質を見失わないようにして、スッキリする方を選んでいきたいです。

            色々教えてくださりありがとうございます。お礼になるかわかりませんが、近所のおすすめスポットを書かせていただきました。
            千葉市動物公園(優しい目をしたヤギとふれあえる「子ども動物園」がおすすめです)
            加曽利貝塚(ほとんどただの野っ原ですが、なんとなく走りたくなって縄文人の気分に浸れるかもしれません)
            加曽利じゅん菜池公園(冬時期ですと、池で鴨たちがのんびり暮らしている様子が見られるかもしれません)
            千葉なので中々遠くていらっしゃることはないかもしれませんが、万が一旅されるときのお役に立てれば幸いです。

            1. コメントそしておすすめスポットどうもありがとうございます。最近はなかなか動けませんが、またいつか千葉方面に行ったときはぜひ寄ってみたいと思います。

              おっしゃる通り、マクロ的に考えれば、変なやり方や不正に対してそれを受け入れる人が辞めていけばそれが成り立たなり、よりよい社会になるという構造を持っています。
              しかしながら、個人レベルの選択においては、裏に様々な人質のようなものもありますし(制度や社会環境としてそれすら行動コントロールのために配備されたものであると思えるようなものもあります)、「辞めるほどではないようなおかしさ」であれば受け入れてしまい、耐性ができてもう一段階おかしいようなものを受け入れていくようになるという感じになっているのでしょう。
              なので、なるべく身動きが取りやすい状況を作るということや、早い段階で見切りをつけるということも個人としては重要なことであると思っています。
              変なふうに感じた時、一応その奥にある意図を広範囲に検討しつつ(これは経験則的なものですが、時に自分の未熟さが判断の偏り、固執に影響している時もあります)、なるべくスッキリしたほうを選択してみてください。
              変なふうに感じたり、嫌だと感じたなら、そのコントラストから自分が良いと思うものがくっきりと見えてきます。なので何事もそんな感じで良いものを見つけ出して、良い方向に意識を向けてみてください。

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