今年の2月に外乗の湖畔往復コース等々で訪れた赤松池。
往復コースの折り返し地点だったり通過場所だったりということで、お馬さんの背中の上からしか眺めたことがありません。
「馬に乗せてもらう形でしか行ったことがない」というのも変なので赤松池に行ってみました。
近隣では桜の名所として有名なようです。
以前、外乗の湖畔往復コースでこの桜並木をぐるっと回りました。
なかなかいい場所です。
この赤松池は伝説の池として説明されていました。その内容はよく知りませんでしが、赤松池に行くと案内がありました。
赤松の池伝説
赤松池にあった大山町・大山町観光協会による「赤松の池伝説」の案内は次のとおりです。
むかし、松江のお殿様のところに仕える松浦瀬母という家老がおり、日頃から子供が欲しいと願っておりました。そこで、霊験あらたかな赤松池大明神にお参りしたところ、女の子が生まれ、お初と名づけました。
時がたち、お初はこのあたりでは評判の美しい娘となりましたが、藩主松平候の目にとまり、妻に欲しいと要望されました。藩主の願いは断れないので、両親はお初をお城へ上げることとなりました。これを知ったお初は悲しみましたが、「お城へ召す前に、私が生まれるように祈っていただいた赤松池大明神へお参りさせてください。」と願いました。
赤松池参りの日は、朝から晴れわたり、池は青々とした清らかな水を満面にたたえていました。池のほとりで乳母が「お嬢さま、この池の水を髪につけ れば美しい髪になりますよ。」といい、いわれるままにお初が髪をすいたところ、一くしすくごとにだんだんと髪が長くなり、みるみる水面をはうほどになりました。やがてお初は岸を離れてするすると水面を歩き出し、とうとう池の中心まで行きつきました。すると、突然大渦巻が起こり、水中に沈んでしまいました。
驚いたお侍や乳母は「お初さま、もう一度その姿を見せてください。そうでないと、帰ってお殿様に申す言葉がございません。」と祈ったところ、再び 大渦巻が起こり水中から、腰から下を蛇に変えたお初が現れました。そして、「私は、この池にすむ大蛇です。頼母があまりにも強く願うので、しばらくの間お初に姿を変え、人の世に身をおいていましたが、今もとの姿に変わる時がきました。長い間育てていただきありがとうございました。これから先、私に祈りをささげる人には、かならず幸福を与えましょう。」といい残し、水中深く沈み二度と姿を現わしませんでした。
それより後、松江市北堀町にある松浦家では、お初が蛇にもどった旧暦六月十八日に、大広間に八枚の屏風を立て、たらいに水を入れておくと、お初が訪れたしるしとして、たらいの中に多くの砂が沈んでいたといいます。
また、赤松池の半島に祠があり、御身体としてお初の像が奉られており、赤松池神社では同じ日に例祭が行われています。お初は今でも龍神としての信仰を集めね幸福を願う人々や干ばつの年には雨ごいの祈願をする人々が、遠方からもお参りに来られます。
別の資料によると家老松浦瀬母は、大山寺に参り、そして赤松池大明神に参ったという流れのようです。
伝説の全体を要約すると、子を欲していた家老が赤松大明神に祈ったところ美しい娘が生まれ、その娘が育つと藩主が妻に欲しいと言い出したという感じから始まります。そして、嫁に行きたくないという感じで娘は悲しみ、嫁入り前に赤松池に寄るように願い、そして、赤松池に帰っていったという感じです。その美しい娘「お初」は、本当は大蛇であり、子を欲しいと切に願っていた松浦瀬母の願いを叶えるべく、しばらくの間松浦瀬母の子として過ごしていたということになります。
「大切に育ててくれてありがとう」と水の中に去っていきます。
「年に一回家に帰るから、たらいに水を張っておいてね」という言葉を残して。
というようなものが赤松の池伝説です。
赤松池の蛇が「お初」ということになります。
ということのようですが…
蛇に出逢う
「さっそくなのね!」
案内を読んですぐに蛇と出逢ってしまいました。
さすがにレスポンスが早すぎるだろうとは思いましたが、赤松池の粋な計らいに「ありがたいなぁ」と思いました。
声をかけると恥ずかしげに去っていきました。
鳥取県西伯郡大山町大山赤松
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