以前にも少し触れたことがありましたが、睡眠中を含め、空間からの脱出が難しく、身の安全の確保が意識に上るサービスほど、丁寧な接客となるという感じになっています。
旅館業はもちろん、飛行機などもそうですし、本来は電車や長距離バスでも同様の配慮が望ましいという感じになります。
生理的欲求や安全の欲求を考えれば、事実上密室空間の中にいることや無防備な睡眠中等々、生存の安全性に意識が向く場所でのサービスにおいては、その「逃げられない」という要素の強さに応じてお客に安心してもらうための配慮が望ましくなります。
そんな中ですが、以前某温泉旅館のオーナー社長一族の方から入浴サービス券をもらったので向かったことがあります。
ひとまずフロントで受付を済ませて、係の方に温泉施設まで案内してもらうという感じになりました。
案内人への声かけ
少し寒い季節だったので、旅館に着いてすぐに尿意が起こり、すぐにトイレに駆け込むつもりでしたが、ひとまず館内に入ってすぐに向かうのも不審者的で不安感を与えると思ったので、まだ大丈夫なうちに受付だけをしてから行こうと思っていました。
そして、案内人に誘導され出した時に限界近くまで来たので、「先にトイレに行っていいですか?」と声をかけてみました。
するとその案内人の方は、アジア系の外国人であり、僕が言葉を発したことすら気づいていない感じでした。
もう一度、少し大きめに声をかけてみましたが、やはり聞こえていません。
「目的地に誘導するということにまっしぐら」という感じです。
「まあすぐに着くだろうし、着いたら着いたでトイレもあるだろうからまあいいか」
と思ってそのまま進みました。
―
用を足した後、
「やっぱりあかんやろ」
と思えてきたので、後日間接的に社長に伝えることにしておきました。
案内人に求められる機能
そこでふと、ルカによる福音書10章30節からの「おいはぎにあった人とサマリア人」について思い出しました。
まあ端的には「書いてないからやらない」ということで、「マニュアルにないことはやらない」という感じではプロ失格だということです。
案内人がいるということは、「案内人がいないと全体がつかめず迷いや不安要素が残る」という感じになります。なので、案内人の言うことは基本的には一種の身の安全のために聞きます。
不安要素を消すという役割
案内人がいることは、一種のプラスの要素でありながら、案内人と訪問者には情報差があるということであり、情報がない訪問者の不安要素を消すというのがその業務の役割です。
話が通じないとなると、別件で不安要素が増えます。
案内人がいなければいないでいいですが、いるならやるという感じにしておかないと逆効果になります。
具体的業務としては「場所の案内をすること」であるかもしれませんが、その奥にあるのは「お客の不安要素を消す」というものであるはずです。
そうした面を念頭に置いておかないと、せっかく費用をかけて行っていることも信用を失う要素になりかねません。
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