菜の花

菜の花(アブラナ)

菜の花(なのはな)は、アブラナ科アブラナ属の花の総称ですが、主としてアブラナ・セイヨウアブラナのことを指したりします。アブラナ(油菜)は言わずと知れた菜種油の原料であり、そのまま食材として使われたりします。

菜の花

菜の花

アブラナ科の仲間としては、大根蕪(かぶ)が代表的ですが、撫菜(なずな)もアブラナ科です。語るまでもなく、菜の花もアブラナ科ですので、カルシウムなどが多いため、うさぎには大量には食べさせない方がよいでしょう。

なお、アブラナは、青菜(アオナ)と呼ばれたり菜の花(ナノハナ)と呼ばれたり、菜種(ナタネ)と呼ばれたりしますが、花が付く前ならアオナ、花を咲かせている時は菜の花、花が散って種がつくとナタネと呼ばれるという感じで同じものです。

菜の花 アブラナの花

アブラナの花

アブラナの花

見事に咲き誇るアブラナの花。

アブラナの花

アブラナの花

アブラナの花は主に黄色で群生しています。

京都市内にもたくさんの菜の花スポットがあります。

桂川の菜の花

桂川の菜の花

桂川の菜の花

桂川の菜の花。見事に咲き誇っています。茎は僕の指ほどの太さです。

桂川の菜の花2

桂川の菜の花2

特にエリアを限定すること無く、桂川ではいたるところに菜の花が咲いていますが、前に桂川が氾濫したこともあってか、治水工事のようなものがあってからいくつかの場所では菜の花が咲いていた場所が工事で無くなってしまいました。

鴨川は直線的で整備されすぎた川という感じがしますが、桂川はうねうねしてワイルドな川です。

そうした自然的な感じをなるべく残していって欲しいと思っています。

賀茂川の菜の花

賀茂川の菜の花

賀茂川の菜の花

賀茂川の菜の花。京都市北区にて。賀茂川の菜の花の群生です。京都の二大河川、桂川と鴨川(賀茂川と高野川、今回は賀茂川)での菜の花の群生はどちらも立派ですね。

しかしながら最近ではどちらも整備されすぎて市内中心部に近づくほど、川らしくなくなります。

そんな中、菜の花が咲き誇っている姿を見ると少し安心します。

「菜の花」という植物は存在しない

春の野に咲く黄色い花を総称して「菜の花」と呼びますが、植物図鑑を探しても「ナノハナ」という正式名称の植物は載っていません。それは「魚」という名前の魚がいないのと同じことです。

厳密には、アブラナ科アブラナ属の花の総称であり、そこには複雑な家系図が存在します。私たちが普段目にするものには、古くから日本にある野菜としての「アブラナ(在来種)」と、明治以降に油を採るために導入された「セイヨウアブラナ」が混在しています。川沿いに野生化して咲き乱れているのは、生命力の強いセイヨウアブラナである場合がほとんどです。「菜の花を見に行く」という行為は、実は、大陸から渡ってきた複数の種族が入り乱れる、黄色い混沌(カオス)を見に行くことでもあるのです。

進化の奇跡「禹(う)の三角形」

アブラナ科の植物たちがどのように進化してきたかを知ることは、一種の幾何学的な感動を覚える体験です。植物遺伝学には「禹(う)の三角形(Triangle of U)」と呼ばれる有名な図式があります。

この図は、異なる種同士が交配して新しい種が生まれた歴史を示しています。例えば、現在の「セイヨウアブラナ(菜種)」は、なんと「キャベツ」と「カブ(またはコマツナ)」が自然界で偶然出会い、結婚して生まれた子供です。葉を食べるキャベツと、根を食べるカブが混ざり合い、種(油)を採るためのアブラナが誕生した。畑の黄色い絨毯の下には、異なる遺伝子が融合して爆発的な進化を遂げた、バイオテクノロジーの奇跡が埋まっています。

ミツバチにしか見えない「滑走路」

人間にとって、菜の花畑は一面の「黄色」にしか見えません。しかし、主要なパートナーであるミツバチの目には、全く違う景色が広がっています。

紫外線を可視化するカメラで菜の花を撮影すると、花の中心部分だけが黒く吸収され、外側が明るく輝く「的(マト)」のような模様が浮かび上がります。これは「ネクターガイド(蜜標)」と呼ばれ、遠くから飛んでくる虫たちに「ここに着陸すれば蜜がある」と教えるための、航空機の誘導灯のようなサインです。私たちが美しいと感じるあの黄色は、彼らにとっては食事の場所をピンポイントで指し示す、機能的なインターフェースという感じのようです。

「蕾(つぼみ)」を食べるという贅沢

食用としての「なばな」の旬は、花が咲く直前の蕾の状態です。なぜ咲いてからではいけないのでしょうか。それは、植物が花を咲かせるために、全身のエネルギーと栄養素を蕾に一点集中させている瞬間だからです。

開花した瞬間にそのエネルギーは解放され、拡散してしまいます。私たちが蕾を食べる時、それは単なる野菜を食べているのではなく、これから爆発しようとしている生命の凝縮されたエネルギーそのものを摂取していることになります。ほろ苦い特有の風味は、植物性アルカロイドやポリフェノールによるものです。この刺激が、冬の間眠っていた人間の代謝機能を強制的に目覚めさせ、春仕様の体へと切り替えるスイッチとなります。「春の皿には苦味を盛れ」という古人の言葉は、この生理学的なリセット効果を経験的に知っていた証拠なのです。

「油」か「食」か、運命の分岐点

スーパーで売られている「食用なばな」と、河川敷の「菜の花」は、似て非なるものです。食用の品種は、苦味が少なく茎が柔らかくなるように改良された、かつての「在来種アブラナ」の血を引くものが多いです。一方、油を採るための「セイヨウアブラナ」は、茎が硬く、蝋(ロウ)物質が多く、食用には向きません。

同じ黄色い花でも、人間の舌を喜ばせるために進化したのか、ランプの灯りや天ぷら油になるために進化したのか。その目的の違いが、茎の太さや葉の質感に明確に現れています。野山で摘む際は、その茎がポキリと折れる柔らかさを持っているかどうかで、彼らがどちらの運命を背負っているかを見極めることができます。

アブラナ科

Category:植物

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