思い描いていた夢はどうなりましたか?
今回の夢とは理想的に追い求めてるような方の夢です。
実際、夢を描いて想像通りということになったことはほとんどなく、全く違う角度から物事が展開していったような、そんな気がしています。
雑記500投稿目を記念して、潰えた夢というテーマで進めていきます。毎度のごとく、わかるような、わからないような内容かもしれません。
重要になった瞬間に変化する
やはり重要度を高めると、歪んでいくのでしょうか。
そのような感覚は常にあります。
ただ、普通に考えると重要なものとして考えて差し支えないものであるはずなのに、現実味を帯びて重要度が高まると方向性が変化したりします。
かといって重要度を下げているふりをしても仕方ありません。
どんどん物事は変なふうに動いていきます。
一番なりたくなかった職業
一時期、金融関係の職に就いていましたが、実は広い意味での金融(銀行、証券、保険、消費者金融、リース等々)については、一番なりたくなかった職業でした。
その要因はいくつかあります。
小学生の時に、弱々しく頭を下げていた保険外交員の人、高校生の時、苦し紛れにやたらと僕に罵詈雑言を浴びせた消費者金融の人、背筋がピシッとなっていて、「何も背負っていない感」が前回の「本質的にはう◯このでかい銀行員…
色々と見渡してみても、やはり一番行きたくない業界だったはずですが、結局一度はそうしたところを通過しています。
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なぜそうなったのかはよくわかりません。
自由に生きたい反面、穏やかにルーティンをこなすというのも良いなぁとも思っています。
しかし安定に重要度を置くとおかしくなる
一応個人的パターンのようなものもあるのかもしれませんが、安定性が出てきて、より安定を意図すると、破綻の方に向かうということがよく起こります。
つまり自分自身は安定の安らぎもある程度好きですが、どこかで安定や安心というものを遠ざけようとしているというふうにも思えてきます。
普通、穏やかで優しい方が好かれそうなものですが、僕の場合は、なぜか一種の暴力性がにじみ出て冷酷さがあるくらいの方が好かれる時があります。
何となく、色々な人が、僕が「織田信長モード」になることを待っているような気がするときもあります。
つまり、男性ホルモン全開の勢いのある感じの方が好かれますしうまくいくというような感じになっています。
ただ個人的にはマキバオーのように「んあ~」という感じで過ごしたいとも思っています。
特に刺激が欲しいというわけでもないのですが、多少微弱な感じで安定していると、周りの人たちは僕が本当に怒るまで、怒るようなことを続けます。
潰えた夢たち
そこでこの構造と潰えた夢とどう結びつくのかと言うと、毎度のごとくこのパターンで夢は終りを迎えているという感じで今までを過ごしています。
常にどこかでもっと馬力を出せば何かは動いたのかもしれないとは思いますが、その時点でその夢は本質的な幸福とは関係のないものだったということに気づいて終わるという感じで終りを迎えています。
これは苦し紛れの言い訳のようなものではなく、本当にそのような感じになっています。
一番は、20代前半の頃、病中の時期を支えてくれた彼女に恩返しをしていこうと思った矢先、僕に直接の非がないようなトラブル(うち家族の発狂の矛先が彼女に向く)があり、フォローをしつつも、それきっかけに「何となく」という言葉を多用されながら、「仲良し」もなくなり、別れるまでの数ヶ月感、自分の◯玉を恨まなければならないような日々が続いたことがあります。
「何が『何となく』じゃ」と言いたい気持ちもありましたが、もう一方で「それはともかく恩を返させてくれという気持ち」と気持ちもあり、地獄でした。
それから解放されて、天川村の覚醒があったわけです(最初に病が治った思い出の地へ)。
余白と歪みと傾斜
経験則的なものになりますが、ある場所に力を入れると(気持ちを注ぐという意味です。実際の行動も伴います)、空間に歪みが生じ、傾斜が生まれます。そして、別の角度から現象が流れ込みます。
これは、ある方向に意識を思い切り向けると、そちらはうまくいかずに、別のところから吉報が来ると言うようなことが起こるということです。
また物理的、情報的に破壊をして余白が生まれると、その余白を埋めるように現象が流れ込むこともあります。
つまり、意図的に力を加えて「歪み」を生むと(歪みというより捻りと表現した方が正確かもしれません)、元に戻るというかバランスを取るために、自然の力が働き出すということです。
これは僕個人だけの世界での個人的な法則かもしれません。
他人を介さない自分だけのための行動
例えば自分のためだけにお金を使うというような感じで、「他人を介さない自分だけのための行動」を起こすと、とりあえず良いことが起こります。
友達と遊びに行くというのは少し違います。友達が絡んでいますから。
それはそれで良いのですが、それとはまた別で、自分ひとりで完結する自分のためだけの行動でないとダメですね。
これは何も大層なことはありません。
一人でゲームをするなどその程度のことです(最近のゲームは依存させるために知らない人とチームで的な仕組みが多く、嫌です)。
個人的には、みんなでワイワイ系のゲームは好きではありません。一人で黙々系のほうが好きです。
そう考えるとやはり究極は、本ブログの投稿ということになります。
しかしながらそう考えて、妻と娘が外出している休日に投稿でもしようと思った時、結局、3時間パソコンの前に座っているだけで終わることもあります。
電源をつけっぱなしというのも目に悪いだろうと思いつつスリープモードのまま、虚しくスリープモードを知らせるパソコンの点滅をたまに見るだけというような感じです。
まあそれはそれで、何かに迫られているというわけでもなし、自分のための行動ということになるのでしょう。
潰えた夢のその後
当時は潰えた夢であっても、後に形を変えてあっけなく叶っているというようなこともあります。
それについて書こうと思いましたが、意識の残量が限界に来たようなので、続きはまた今度書こうと思います。
