弱気と縋り根性の破壊

毎年、年末年始には親友と遊ぶことにしています。彼とは四半世紀という長年の付き合いの中でお互いの「自分では見えない部分」の情報の歪みを矯正し合っています。

今年も例年のごとく彼がやってきて、「自分では見えにくい悪しき情報」の抽出を行ってくれました。

前回の「他人の都合と抵抗」における「他人の空間に引っ張られる」とはつまり一種の「弱気と縋り根性」の感染であり、その破壊によって意志の方向を変更します。

僕が直接弱気と縋り根性を持っていたというものではないのですが、娘と祖父母との関係等々において、姿形を変えた弱気と縋り根性を発生させていたということです。

いわば巨大化した自我空間の中で、間接的に怒りが生じたりしていたわけです。

巨大化した自我空間で発生した「弱気と縋り根性」

まあ端的には、すごく単純なのですが、義母等々の孫に対する態度に怒りを生じさせていたわけです。

具体例を挙げると

「お年玉をあげてください」

ということです。

表面的にはそんな感じですが、これは根本的には、自分の情報が込められた娘に対し、自分が手をかけられない時に保護してくれる存在を欲しているという点や、親子で意見が合わないとかそうした時、親ではどうしようもない時の逃げ道としての保護者としての祖父母を求めているということになります。

元々は僕の母がそんなおばあちゃんの役割を持っていましたが、現在は24時間体制の要介護状態です。

娘がもらうお年玉を親が使おうとか、いざという時の資金として娘の口座に貯まっていて欲しいとかそうした発想はありません。

「そんなことに気力や時間を使うなら、稼いだ方が早い」

おそらく数年前の僕であれば同じことを言っていたでしょう。親友はやはりそんなことを言ってくれました。

まあつまり孫に時間も労力もお金も使わずに遊んでいる義母など存在しないかのように扱い、その分自分で賄えばいいということになります。

孫に興味がない人に興味を持てと言っても仕方はありません。

金銭や物などで賄える分は、祖父母の分まで担えば良いという感じになります。

理屈で言えば二倍稼ぐ必要はありませんが、単純には僕が二倍稼いでお年玉を二倍あげればいいだけです。

普通の勤め人なら稼ぎを増やしようが無い面があるので「とほほ」となりますが、一応僕は商人であり事業家です。

とはいえ、一般感覚としての「弱気と縋り根性」が多少なりと発生していたのかもしれません。

普通に考えると、孫にお年玉を与えずに旅行に行って遊んでいる義母などを見ると怒りが湧いてきますが、世の中には孫から見た祖父母が存命ではないという場合もあります。なお、義母は裕福ではありません。

ということで、そんなことを気にしている時間があるのなら稼いだ方が早いということになります。

さらにこれは、僕個人の思いだけでなく、義母(妻の母)への怒りを持つ妻からの影響もあります。

僕という一種の他人も絡んでいる中、孫に対する態度がこうなのだから、妻(義母にとっての娘)はもっと蔑ろにされていたのではないかと思ったりもします。

つまり僕は娘だけでなく、妻もさらに大切にしていく必要が出てくるわけです。妻が義母への怒りを生じさせないほどに、大切にしていくということです。

そう考えると断然力が湧いてきます。

「足を引っ張る無駄な情報」を削ぎ落として稼いだ方がいい

とはいえ、「弱気と縋り根性」が残っていると、その力が削がれてしまいます。

金銭的にも精神的にも豊かさがない人からの影響を受けてはならないということになります。

「いやいや少しくらいは負担してよ」

というようなものを完全に破壊するということです。

ただ、こうした時に力んではいけません。

力むと時給感覚になってしまいます。

営業件数や労働時間等の物理空間の数量的な発想になってしまいます。

そういう稼ぎの増やし方は時間と気力体力を消費してしまうので本末転倒になりがちです。

こうしたものは、どれだけ「足を引っ張る無駄な情報」を削ぎ落とし、うまく頭を使えるかというようなところにかかっています。

例えば営業の仕事をしている場合、うまく頭を使うと一回の単価が1.5倍、2倍になるということは普通にあります。イメージとしてはそんな感じです。

営業という現場でもそうですが、それが経営という領域になるともっと大掛かりなことになります。

二倍と言わず、三倍でも四倍でも十倍でも可能です。

Category:miscellaneous notes 雑記

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