顔の好みを超えた本能レベルでの拒絶

大変失礼なのですが、僕は人生で数回、女の人の顔を見ただけで吐きそうになったことがあり、一度は本当に目の前で吐いてしまったことがあります。

容姿の美醜というより、好みの顔ではないというものが大きく、理性で考えると「個人的感想として、美しいというわけでもないが、その人の顔を好む人もいるだろう」というような感じだったりもします。

本当に「本能レベルでの拒絶」というものになるのだと思います。

思考ではどうしようもない防御反応のようなものなので、本当にどうしようもありません。

それが個人的経験によるものなのか、遺伝的な相性によるものなのかはわかりません。

とにかく何かの条件が揃った時、嗚咽感がしてしまうという現象が起こります。

相手の女性にとってこれほど失礼なことはありませんし、頭で考えた結果というわけではないというところが、さらなるショックを与えかねないということは理性では把握しています。

しかしながら今のところはどうしようもありません。

対外的な対処法としては、「それを口に出さないこと」しかありません。

ただ、どこにもそれを出さないとなると、逆にこの嗚咽感はいつまでも反応の関数として残ってしまうような気もします(なので書いてみようと思いました)。

吐き気とまではいかない嫌悪感というものであれば、相手が男性の場合にもそうした現象が起こります。

しかしそれは、どちらかというと「脳筋顔」「偉そうなやつ顔」「パワハラ顔」等々の数々の経験則的な「データからの結果」という感じになります。

ただ、吐き気、嗚咽感、実際の嘔吐というものは相手が女性の場合しか起こったことはありません。

拒絶は本当に本能によるものなのか?

僕の中で、「この拒絶は本当に本能によるものなのか?」という疑問があります。ということで、この「本能レベルでの拒絶」について、少しだけ仮説を立ててみることにしました。

その条件とは何かという点の抽出です。今までに吐き気がしてしまった時、何かの共通点はなかったかという点を見つけることと、「そうしたポイントを捉えた時に想起するものは無いか?」ということの観察です。

明確に覚えているのは三回ほどですが、季節としてうち二回は夏でした。あと一回は冬です。ということで、内臓が弱りそうな季節ということも条件になりそうです。

もしかすると、頬骨&歯茎については、「癇癪持ちのピアノの先生(ピアノの先生と幼き日の弱さ)」による嗚咽感から来ているのかもしれないと思ったりしています。

また、「もーれつア太郎顔」にも反応しやすいという感じなのですが、これはもしかするとホ◯なのではないかと噂をされていたボーイスカウトの先輩の「もーれつア太郎顔」から来ているのかもしれません。

ということを思い浮かべると、先天的で本能的なものではなく後天的な防御反応であるような気もします。

しかし実際に目の前で吐いた時のことを思い返すと、その時に限って言えばやはり本能レベルの拒絶なのではないかと思ったりもします。

失礼にも目の前で吐いてしまった日

目の前で吐いてしまったのは18歳くらいの時です。

友達の友達くらいの関係の人でした。

見てすぐに吐いたわけではありません。

最初は何か掴みどころのない嫌悪感くらいしか感じませんでした。

夏の夜、公園で友だちを含め三、四人でしばらく話していると急に吐き気がしました。

僕はその場で吐き、夏の暑さのせいにして誤魔化して、体調不良を理由に帰ることにしました。

もしかすると顔だけではなく、その顔を通じて察知した「何かの情報」に対する拒絶反応なのかもしれません。

今まで会った中で、吐き気は数名、本当に吐いたのはこの人だけです。この人に関してだけ言えば、「本能レベルでの拒絶」になるのかもしれません。

その手の人に会った場合でも無理に付き合う必要はないので、まあいいかなぁと思っています。

個人的にはこの経験のおかげで、もし自分の顔が誰かにとって嫌悪感や嗚咽感を呼び起こすものであっても、「自分にも経験があるのでショックを受けずに許容することができる」ということに、ある意味ありがたみを感じています。

Category:miscellaneous notes 雑記

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