アフォリズム 441-450
- 441.欲と怒りの比較
- 442.不親切な「だよ」
- 443.現象の構成
- 444.ありがとう教の成り立ち
- 445.プラスとマイナスの生起
- 446.環境や食を整える
- 447.「こつん」と落ちてきたもの
- 448.見えない要因
- 449.活動と睡眠
- 450.「当然」かつ「そうでなくても構わない」
441.欲と怒りの比較
欲か怒りかどちらの方がマシかと考えれば、やはり欲の方がまだマシである。振り返って思い返すと、怒りに満ちていた時は、暗い苦しさで満ちていた。欲に意識が向いていた時の方が、比較的明るさがあったように思う。
442.不親切な「だよ」
「だ」は、「である」とほとんど同じであるため、多用してもさほど違和感はないが、書物の中の口語文としてわざわざ「だよ」と表現するのは全国的には不適切であり不親切である。
「のよ」「ですよ」であれば、各地方で比較的違和感はないが「~んだよ」「だよ」と表現されると、「だよ」という言葉を用いない地方では、意識が詰まる。それが舞台の地域特性や発言者の人格を示すという属性を帯びるのであれば問題はないが、そうでない場合は、不親切である。とりわけ翻訳の場合、そう表現する必要性はないため、読者に対して不親切であるように感じる。
443.現象の構成
伝統的な表現をすれば、現象の構成は、心、業、時節、食である。この場合の心は、認識する働きと、意思を含む。
444.ありがとう教の成り立ち
心から業に移るものを身口意によって、とりわけ「口」によって制御するという点のみから「ありがとう教」のようなものがある程度成り立っている。ただ、これはまだ業の呪縛の内である。
445.プラスとマイナスの生起
どのような良きものを思い浮かべても、たいていはプラスとマイナスが同時に生起する。そしてたいていは打ち消し合う。
446.環境や食を整える
物理法則が絡む環境や自らに取り入れるものを整えるという意味で、「掃除で開運」、「腸を元気にして開運」というようなことが、ある程度成り立つ。ただ、これもまだ業の呪縛の内である。
447.「こつん」と落ちてきたもの
何かがこつんと生じても、「すっ」っと流して終わる。
物が落ちてきて「こつん」と頭に当たっても、その当たったものは、落ちた物ゆえに、上に上げない限り、二度と頭には落ちてこない。
448.見えない要因
「こういうものを仕入れて、こういうことを配備して、こうした行動を取ったからだ」といっても、なぜ「そのお客さん」がやってきたのかという部分は見えない。
まあ見えなくてもいいじゃないか。
449.活動と睡眠
睡眠に関して眠る前のリラックスや副交感神経が云々ということばかりが強調され、「起きている時、はっきりと起きて活動しておくと、コントラストが生まれやすい」ということはあまり語られない。これは「部分だけを見ている」ということの一つの例である。
450.「当然」かつ「そうでなくても構わない」
欲や怒りの要素がないということは、すなわち「当然」かつ「そうでなくても構わない」という状態になる。
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