見ることを意図してから絵を描く
見ることを意図してから絵を描くということで、「絵を描く」という表現をしていますが、本当に絵画を絵の具で描くわけではありません。頭のなかで計画を設計することというくらいの意味合いです。 最近ナニワ金融道を読んでからと言うもの、実は自分の周りでも「絵を描く」という言葉を使っている人が結構いることに気づきました。たいていは社長仲間ですけどね。ということで、見ることを意図してから絵を描くと言う感じで、認知的な話について触れていきましょう。 先日の投稿で、世の中では、一発逆転的なことが好きな人が結構いるということについて書き
他人の成長
ご無沙汰しています。bossuです。 久しぶりに頭を休めるために書こうかと思いますが、寒さのせいか、俗世間に触れたせいか少し頭の働きが悪くなっているような気がします。 思えば、昔は「他人の成長を喜ぶ」ということが本当のことかどうか半信半疑だったように思います。 おばあちゃんが孫の成長を喜ぶというようなものならば何となくわかりましたが、「部下の成長や後輩のような人の成長が嬉しいというのは本当だろうか?」ということを考えていました。 それはどちらかというと、あくまで上下関係があって、部下が成長すれば自ずと自分の評価も上
状況によって変わる意識の身勝手さ
状況によって変わる意識の身勝手さについてでも書いていこうと思います。 意識の中に信念や考え方の傾向を持ってはいますが、そうした意識の向き方やモノの見方、いざというときの考え方や環境への対応というものは状況によって変わっていきます。 そう言えば先日、ナニワ金融道、新・ナニワ金融道、新・ナニワ金融道Rと、ナニワ金融道シリーズを読破しました。 お金を借りに来る人については、お金を貸す人借りる人で、ある程度触れていますが、ナニワ金融道を読むと改めて状況によって変わる意識の身勝手さについてヒシヒシと実感したりします。 前回の