誘惑して愛させる

われわれは、自分自身を憎むものを憚らなければならない。なぜならわれわれは、彼の恨みと復讐との犠牲になるであろうからである。それ故にわれわれは、彼を誘惑して自分自身を愛させるように気をつけよう! 曙光 517 誘惑ということで、中学三年生の時にカラオケに行ったときのことを思い出します。同級生女子の前でGLAYの誘惑を歌い「キー下げる?」と言われたことを思い出します。 今では何とかギリギリ原曲キーでも大丈夫です。 広瀬香美氏のおかげです。

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実務家

諸君の実務― それは諸君の最大の偏見である。それは、諸君の現場や、社会や、傾向に、諸君を結びつける。 曙光 186 前半 人にもよりますが、中高生の時は、つまらなさそうな大人を見て、そして、大学に進んだりすると、理論と実務との乖離に頭を悩ませる事があります。 だいたい学校で学んだことや資格取得の際に学んだことだけでは実務レベルで全然通用しないという感じになっていますし、学んだようなことと実務上の取り扱いとがあまりにかけ離れていると頭が混

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道徳におけるキリスト教的なものの終わり

「憫みによるものでなければ、人は善ではない。したがって、すべてのわれわれの感情の中には、何らかの憫みがなければならない」― 現在道徳はこう思われる!そしてこれはどこに由来するのか?― 同情的な、公平で、公益的で、社会的な行為をする人間が、現在道徳的な人間として感じられていること― これはひょっとするとキリスト教がヨーロッパにもたらした最も一般的な影響であり、心境の変化であろう。 曙光 132 序盤 憫み=「あわれみ」だとは思いますが、ま

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自分の内的な力を身近な人たちの中に放棄しない!

すなわち自我[エゴ]を避け、憎み、そして他人の中で生き、他人のために生きるということを― これまでわれわれは、確信を抱いて、また同じように軽率に、「非利己的」したがって「よい」と呼んできた! 曙光 516 文末 「自分の内的な力を身近な人たちの中に放棄しない!」ということをニーチェが書いています。 一応、彼の言う「エゴ(ego)」は自己中心的というような意味になるでしょうか。僕の言う「アイツ」とは若干ニュアンスが違うような気もしますが、

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観想

ある思想家にあっては、彼固有の観想的な状態はいつも恐怖の状態に続き、他の思想家にあっては、いつも熱望の状態に続く。 曙光 395 前半 観想、これは今の状態を捉えようとするようなことですが、感情を直視することでその感情の力(?)が弱まってくるということをお知らせしておきます。 恐怖を感じても、恐怖に対抗すること無く恐怖を感じてください。恐怖心の源泉である、思考上の理屈に対して自己説得するような論争自体を止めて、恐怖を感じてしまう方が恐怖

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美の増大

なぜ美は文明とともに増大するのか? 曙光 515 序 感性やセンスなんて言われるものは、本来、今ある具体的な何かの出来などではなく、それよりももっと高いレベルで、抽象的な領域で形を作れるかどうか、というようなことで、素人レベルの「センス」などまったくあてになりません。 なんだか最近やたらと「パクリ曲」の記事にアクセスが多いようですが、まあ曲のパクリ云々はさておいて、「具体的な何か」が「その時代にピッタリとはまっただけ」で脚光を浴びてしま

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強い人たちに

諸君、強くて高慢な精神の持ち主たちよ、たったひとつだけ諸君にお願いがある。われわれ他人に新しい重荷を課さずに、われわれの重荷の幾分かを諸君で引き受けてくれ。いうまでもなく諸君は強い人たちなのだから! 曙光 514 前半 わざわいだ!偽善の律法学者パリサイ人よ! ということでしょうか。 「パリサイ人や取税人の類」ということで、案外取られがちな税金などについて書いていきます。 「働いた分の半分以上くらいは持って行かれてるよ♥」 え? となる

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制限と美

君は美しい教養を備えた人間を探すのか?しかしそれなら君はちょうど美しい地方を探すときのように、やはり制限された展望と光景を甘受しなければならない。ー たしかに全景的な人間たちもいる。たしかに彼らは全景的な地方のように教訓的であってすばらしい。しかし美しくはない。 曙光 513 あえておカタイことをいうと、美しいとは、「羊+大」ということで身体の大きい羊のボスが、仲間を守るために天敵に立ち向かっていく様を表しているそうです。 だから美魔女

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第900回投稿記念

これで900記事目になります。900回目の投稿ということで「第900回投稿記念」です。前回の第800回投稿記念は、2016年5月7日だったので、1年3ヶ月かけて100記事書いたということになります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 ユーザーさんの滞在時間を見ていたら、最高記録で13時間超えという半日以上の記録があり、「猛者だなぁ」という印象を受けました。 ― 何だかんだで、1000回記念になっても曙光はまだ終わらないと

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虚栄心をもたない

情熱的な人間は、他の人々が考えるものをあまり考えない。彼らの状態は、彼らの心を虚栄心以上に高めるのである。 曙光 394 マルチネットワーク全開の人の勧誘文句が「あなたもランボルギーニに乗りませんか?」だったということを筆頭に、今回は虚栄心です。 「本当にランボルギーニに乗っているなら虚栄じゃなくて本当に金持ちじゃないか」 という人もいるかもしれませんが、お金で消費物を買って使うことで得られる贅沢など、たかだか知れています。 そして、ま

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危険な美徳

「彼は何ものも忘れない。しかも彼はすべてを大目に見る。」― そのとき彼は二重に憎まれる。というのは、彼はその記憶と寛容によって二重に人を恥ずかしがらせるからである。 曙光 393 危険な美徳ということで、引用とはあまり関係ありませんが、動物保護団体について、ちょっと考えたことを書いていこうと思います。 まあ少しショックでした。 まずは参照記事のご紹介から行きましょう。 動物保護団体の崩壊 動物保護団体の崩壊 〜ネグレクトになった保護団体

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礼儀の条件

慇懃無礼(いんぎんぶれい)という言葉があるように、丁寧過ぎる対応で逆に相手に対する皮肉を込めているようになってしまうというパターンもあります。 礼儀の条件ということで、礼儀について触れていきますが、これは一種の洗脳であり、意識的な結界でもあります。基本的なマナーというものは「相手を不快にさせない」というものであるはずなのに、礼儀が形式的になった故に、「礼儀がなっていない」という無駄な不快感を呼び起こすものにすらなっています。 礼儀を重ん

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発想が予算制の公務員的な人たち

まあお口直しということで、久しぶりに会社経営と商いカテゴリに投稿してみましょう。「発想が予算制の公務員的な人たち」という感じで、予算制の組織と同じような感覚でいる人達への警鈴的な感じで、経済の基本的な仕組みがあまりよくわかっていない人たちについて書いていきます。 よく「もっと平等に」みたいなことを言う人がいますが、そういう人たちの言いたいこともわかるにはわかるのですが、根本的なところを見落としている人が数多くいます。 それは、その人達の

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記事をパクっていくアフィリエイターたち

たまーに記事がパクられていくようです。 広告収入のために記事をパクっていくということをしている人がいます。 アフィリエイターというか、アドセンス広告収入などを得ようとしている人ですね。 まあ常連さんならおわかりの通り、このブログの内容は僕にしかかけないような内容です。 特にサイドに表示しているPV数の高い記事がパクられがちのようですが、見つけ次第どんどん通報していますので、 パクリコンテンツアフィリエイターの方は、 僕およびGoogle

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嫌いなものは嫌いと認めることで好きなものが見えてくる

さて、世間でもお盆休暇だということで、嫌いなものは嫌いと認めることで好きなものが見えてくるなんてな感じで、うつテーマも更新していきます。 嫌いなものは嫌いだと認めていくと、好きなものが見えてきます。 すごく単純なのですが、常識なんかでこうした「嫌い」に関する感情は蓋をされていることが多いので、知らぬ間に好きなことすら見えなくなるほどに感情に鈍感になっていることがよくあります。 嫌いなことを嫌いだと感じることができない場合 嫌いなことを嫌

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悪の瞬間

活潑な性格の人々が嘘をつくのは、ほんの一瞬のことでしかない。そのあと彼らは自分で自分を偽ってしまい、確信をもち、正しい。 曙光 390 嘘をつくのはもちろんですが、嘘をつかれる瞬間というのもなかなか嫌なものです。 その嘘の内容にもよりますが、だいたいは自分都合のスケベ心か身の保身くらいなもので、方便のような気づきのための嘘や「相手を混乱させないための嘘」というタイプのものではない嘘は許してはいけません。 嘘がどんな感じに嫌かというと、「

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才気を隠す

だれかがその才気をわれわれに隠す現場を取り押えると、われわれは彼は人が悪いという。しかもお愛想と博愛のために彼はそうせざるをえなかったのだ、とわれわれが邪推すると、なおさら一層そういう。 曙光 390 「能ある鷹は爪を隠す」と、散々言ってくる仕事のできないおじさんがいました。 そんな言葉を説きながら、同期の社員がえらく出世したおかげで口利きで多少出世させてもらったという実績を持つ人です。 「一体あなたのどの面が『能』なのかね?」と言いた

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すこし重すぎる

とても正直ではあるが、愛想がよいとか愛すべき人物であるとかいうにはすこし重すぎる人々は、お愛想をいわれるとたちどころに、まじめに世話をやいたり自分の能力を提供したりして、これにこたえようとする。 曙光 389 前半 世の中には「甘え上手」というタイプの人がいます。 相手にしてはいけません。 なぜならその人達は甘えるのが上手いため、世話をしたとしても、そのお世話に対しては何も思わないからです。 ほとんど当然のことのように思っており、むしろ

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良心の疚しさのない悪事

良心の疚しさ(やましさ)のない悪事ということで、洗脳されてしまった人たちによる「良心の疚しさのない詐欺的営業」についてでも書いていきましょう。 「本当に頭の中はどうなっているんだろう?」 と、僕にはあまり理解できないような人たちがいます。 いい人なのですが、疚しさなく詐欺を行っているような人たちです。 ご本人は良心の疚しさなく仕事という社会的な活動をしているつもりでしょうが、売っている物自体が詐欺的商品である場合もあります。それを詐欺的

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道徳的な流行

道徳的な全体判断は何と変化したことだろう! 曙光 131 序 毎度おなじみ道徳の時間です。 世の中には宗教という形を取らなくても、変化感じの思想とか道徳的教義をもって群れる集団があります。あまり言い返せそうにない道徳によって人を洗脳するという感じです。 まあこうしたものの大半は、来世主義だったり、「もうすぐ宇宙人がやってきて地球を支配するから、今のうちに宇宙人側につくんだ」というようなものであり、結局、自分よりすごい存在がいて、その存在

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乞食

乞食は禁止すべきである。乞食にやるのは癪にさわるし、やらないのも癪にさわるから。 曙光 185 まあこの物乞いに関するニーチェのアフォリズムは、結構有名だったりしますね。この「乞食は禁止すべきである。乞食にやるのは癪にさわるし、やらないのも癪にさわるから」は、事あるごとにニーチェの代表的な格言として出てきます。若干の日本語訳違いがあったとしても、結構目に触れた方も多いのではないでしょうか? といっても、禁止しようにもできないですからね。

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結婚前の熟慮の見本

もし彼女が私を愛するとすれば、長く続けば彼女は私にとってどんなに重荷となることであろう!またもし彼女が私を愛さないとすれば、長く続けば彼女はそのときようやく私にとってどんなに重荷となることであろう!二つの違った種類の重荷が問題であるにすぎない。― それゆえわれわれは結婚しよう! 曙光 387 モテないが正しい、ということをいつも言っていますが、あまり理解されないような事柄ですので、もう少し深く書いてみようと思います。 男女ともに、本当に

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悲壮な人々と素朴な人々

胸をたたいて悔み、自分自身を悲惨で卑小だと感じる観客のことを考えるあの楽しみのために、悲壮さを示しうる機会をひとつも見のがさないことは、極めて高貴でない習慣であるかもしれない。したがって、悲壮な状態を嘲笑したり、その状態のとき自分にふさわしくない振舞をしたりすることは、高貴な心のしるしであるかもしれない。フランスの古い軍人貴族は、この種の高貴と洗練を身につけていた。 曙光 386 悲惨な状況の時、どういった振る舞いをしているでしょうか?

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目的か?意志か?

たまに「今 集中」なんてなキーワードでサイト内検索が盛り上がっていることがあるようですので、今に集中するということについて書いていきましょう。 もちろん、「今やっていることに集中しろ」というような、義務教育的なお話ではなくて、今この瞬間に意識を集中させるというようなものです。 今に集中する場合、意識の集中のレベルによって、体感にも段階がありますが、途中で変な体感がやってきても、「今そんな変な体感があるだけだ」と考えてください。 でないと

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うぬぼれの強い人々

われわれは陳列店のようなものである。われわれはそこで、他人が与えてくれるわれわれの特質なものを、自分でいつも整頓したり、覆い隠したり、光に当てたりする。ー 自分を欺くためである。 曙光 385 男女ともにうぬぼれの強い人はいつの時代でもたくさんいます。「うぬぼれがかっこ悪い」ということが問題ではなく、うぬぼれの根底は恐怖心であるというようなことが問題です。 うぬぼれは、他人に対して主張しているとか、意識の中で作り上げた架空の他人を説得し

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奇人

その最上の作品や感動をくだらないと見なし、それを打ち明けたり述べたりすることの下手な小心な人々がいる。しかし一種の復讐心から、彼らは他人の同情をもくだらないと見なす。あるいはまったく同情を信じない。彼らは、自分自身のことに心を奪われたように見えることを恥じ、物笑いの種になることに反抗的な快感を抱く。ー これは憂鬱な芸術家の魂の状態である。 曙光 384 奇人、ということで、今回はなんとなくH ZETT M氏が浮かんだので、H ZETT

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物に対して勇敢

生まれつき、人に対しては思いやりがあったり小心であったりするが、物に対しては勇敢である者は、新しい親密な知人たちを憚り、旧知の人たちを制限する。それは、彼の匿名と彼の容赦なさとが真実に成長して一体となることのためである。 曙光 512 動植物には思いやりがあるのに、物にはあまりない、そんなことを言われることがあります。 特に物を粗末に扱うというわけではないものの、物への愛着と言うか思いやりのようなものはそれほどありません。その理由は、や

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無政府主義者の産物としての国家

馴らしつけられた人々の国には、依然として馴らしつけられない残余の人々が存外いるものである。 曙光 184 序 「無政府主義者の産物としての国家」ということで、無政府主義(アナキズム、Anarchism)について書いてもいいのですが、政府が正しいわけでも無政府主義が正しいわけでもないというようなことについて触れていきましょう。マジョリティだからと言って正しいわけでもなく、逆にマイノリティだからといって正しいというわけでもないという点です。

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同情のお芝居

たとえわれわれがどのように不幸な人に関心を寄せようとも、われわれは彼の面前でいつも何かお芝居を演じている。われわれは重病人の寝台のそばにいるいしゃのあの慎重さを抱いて、われわれが考える多くのことや考えたとおりの多くのことを語らない。 曙光 383 世の中には本音を語る人は少なく、特に京都では本音を語る人は極端に少ない傾向にあります。 本当のことを言ったところで仕方ないというのが「本音」ですが、一応僕は、社会の中でもほとんど本音で生きてい

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誘惑者

正直はあらゆる狂信者たちの偉大な誘惑者である。悪魔の姿もしくは美しい女性の姿をしてルターに接近するように思われ、ルターがあのような無作法な仕方で自分を守るために防いだものはおそらく正直であったのであり、しかもひょっとすると、一層珍しい場合ではあるが、真理でさえあったであろう。 曙光 511 誘惑者ということで、キレイになろうとするような人について触れていきましょう。美貌こそが誘惑の武器であると思っている人たちです。 エステ経営者に聞いた

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