14歳

比較的最近のことですが、千原ジュニア氏の14歳を再読しました。

小学生の時にすんげー!Best10で千原ジュニア氏を初めて見た時、「この人は他の人とは違う」ということを思い、そして「何かが自分と似ている。きっと僕はこの人のようになる」というようなことを率直に思いました。

僕は部屋に閉じこもることはなかったですが、14歳を読み返すと、怒りの強さを筆頭に「やっぱりどこか似ているなぁ」というようなことを思ったりしました。

世の中では昔からいじめのようなものが常に問題視されています。

それをどう定義するかというところの細かいところは知りませんが、傍から見るといじめに近いような感じ、体育会系や不良とされる人たちで少し上の学年の人たちから受けた排除・排斥的な感じは、僕自身も経験があります。

しかしながら、僕は平気で仕返しをするので、客観的にみると最初はいじめのようなことをされていても、次の瞬間にはもう話が終わっているので、現代でいういじめには該当しないとされるような感じがします。

社会人になってからも、労働組合の勧誘を断ったことで、上司、先輩からは半分無視されたりしました。しかし、そうしたことを苦にしたことはありません。

そうした仕打ちの始まりは中学校1年生くらいの時です。

ただ、岸和田少年愚連隊の影響から、かばんに鉄板を入れて、いつでも殴る準備をしていたので全く問題はありませんでした。

世の中ではソフトにスマートに、穏便にという目線でばかりそうしたものが語られます。

しかし、明らかに相手に非がある時、とりわけ相手が集団である時は、凶器ででも殴れば良いというひとつの答えがあります。

理屈としては単純です。

それは正当防衛だからです。やりすぎで過剰防衛ということもありますが、それでも情状酌量の余地はあるはずです。

例えば僕は中学2年生の時にひとつ上の学年の人5人に囲まれましたが、身の危険を感じるようなことがあった場合、もし凶器で殴っていたとしてもおそらく自分は許されるというようなことを思っていましたし、本質的にもおそらく社会はその防衛をある程度は容認してくれるはずです。

その事件は結局誰か通行人が警察に通報してくれたおかげで何事もなく終わりましたが、「金髪の不良5人が僕を囲んでいる」という状況で、胸ぐらでも掴まれたなら、相手を怪我させるくらい社会は容認すると思いますし、してもらわなくても自分を守るために手を出していたと思います(君主論から考えるいじめへの対応と対策)。

ということを踏まえた上で、14歳の時の思い出についてでも触れていきましょう。

「こいつが何かしたの?」

中学校3年生のある日、学校の廊下を歩いていると、屋根裏部屋で一緒に自作すごろくを作っていたメンバーの一人でゲーム仲間である浦安鉄筋家族の十三階段ベム系の友人が、僕たちとは違う小学校出身のオラオラ系に絡まれていました。オラオラ系は反町隆史氏を8分の5サイズにしたようなやつです。

通りがかったので、「こいつが何かしたの?」と聞いてみました。

するとそのオラオラ系は、舌打ちをしてどこかに去っていきました。

自作すごろくメンバーに話を聞くと

「鬱陶しい」

とだけ言われたという感じのようでした。

「また絡まれたら言ってこいよ」

とだけ言い残してその場を去りました。

それから特に絡まれることはなかったようでした。

「誰の机に腰掛けてんねん」

それからしばらくして、別のクラスの友人と話をするために、別の教室に行って机に腰掛けていると、先のオラオラ系8分の5反町氏が、「誰の机に腰掛けてんねん」と言いつつ、僕のお腹に膝蹴りをしてきました。結構本気蹴りです。

さあどうするかな、と思った瞬間に休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴ってしまいました。

僕は自分の教室に戻り、次の授業中、ずっと次の戦いのシミュレーションをしていました。

僕の嫌いなひとつ上のくだらない人間に媚びを売るやつ。

性格がおとなしいゲーム仲間のあいつみたいなやつにしか絡めないしょぼいやつ。

さあどうやってボコボコにしよう。

戦闘開始

授業が終わることを知らせるチャイムが鳴って、僕は友人たちと手分けして、先生たちが全員教室を出て廊下の角を曲がったことを確認しました。

ゴングが鳴りました。

アドレナリンは吹き出し、武尊氏のように笑いながら8分の5反町に向かっていきました。

僕に気づくまでの間、先のやりとりを誇らしげに語っているかのようにヘラヘラしていました。

速歩きで彼に向かっていくと、彼は驚き、何故か彼は椅子の上に登りました。

服を引っ張り引き摺り下ろし、髪を鷲掴みにし、顔と頭を20発くらい殴りました。

手が痛くなってきたので

「ベースが弾けなくなるからな」

と思い、鷲掴みにした頭を机の角にさらに20発くらいぶち込みました。

倒れた8分の5反町を踏むようにして10発くらい蹴った時、彼の友人で学年2大勢力ひとつのドンのようなやつがやってきました。

「それくらいにしたってくれ」

まあさすがにもうこれ以上はいいかなと思って少し離れると、そのドンは8分の5反町を担ぎ込み、どこかに連れていきました。

そうこうしているうちにチャイムは鳴り、僕は自分の教室に帰っていきました。

戦いの後

放課後。

8分の5反町と若干仲のいい一人が、その隣りにいたやつに

「あいつは素早いから、グラウンドだったらわからなかったな」

などと言っていました。

「夢の中で喧嘩になっても、相手に当たらなくない?」

そんなことを言ってたやつ。

違うよ。

お前が本当の喧嘩をしたことも、相手を本気で殴ったこともないから。手の痛みがわからないから。だから夢で描写されないだけ。

まだアドレナリンの余韻が残る僕が一瞥すると顔を俯向けました。

「オレ、謝らないよ」

そうこうして帰ろうかなと思っていた時、さすがにとでも言えばいいのか担任の先生に呼び出されました。

ドンに連れて行かれた8分の5反町は、授業に出ずにどこかで休んでいたようですが、授業に出ていないということで校内を捜索され、発見され病院に連れて行かれていたようでした。

「視力が戻らなくて大変なのよ。相手の親御さん次第で警察沙汰になるから覚悟しておきなさい」

「オレ、謝らないよ」

片目に直撃していて、視力が1.0から0.0なんぼになっていたようでした。

母が来ました。

僕は連れて帰られました。

「オレ、謝らないよ」

母は相手の親に謝りに行くべく相手の家に電話をかけていました。

「もし鑑別所に行くことになったとしても、オレ謝らないよ」

相手の母

「どうせうちの子がしょうもないことしただけやと思いますから、お詫びなんて結構です」

「でも治療費くらいは払わせてください」

「先生に聞いたらうちのが先に手を出したみたいですから、ほんまに結構です。調子に乗ってたらいつかこんなことになるて言ってたとこなんです。むしろ感謝してます」

「それでも怪我をされてますから治療費くらいは払わせてください」

「この子と私の勉強代です。先に手を出したんはうちの子みたいですから、この子に謝らせます」

というような流れになり、8分の5反町は治療のためしばらく学校に来ませんでしたが視力が戻った段階で学校にやってきました。そして、会議室のようなところで、双方の軽い詫びのようなものだけ交わして終わりました。

母にも特に叱られず

「いろいろあるやろうけどやりすぎたらあかんで。あと、夕方に家の電話が鳴ると心臓が止まりそうになるから勘弁して」

とだけ言われました。

あいつの名誉のために

その後、学校を卒業して働いている系のひとつ上の学年やつらと公園で出くわした時、

「8分の5反町に勝ったくらいでイキがんなよ」的なことを言われました。

おまえらみたいな15歳が人生のピークのやつと一緒にすんなよ。

おまえらの土俵に上がるつもりはないね。

でも、自分だけは守るから。できれば自分の仲間も守るから。

オレより強いやつはいっぱいいる。もちろんお前らよりも強いやつはいっぱいいる。

ただそんなやつらもみんな、お前らと同じような土俵に立つのが馬鹿らしいだけ。

強さを誇示しても別に意味がないだけ。

それもわからない馬鹿だから、お前らは今がピークで後は下降線をたどるしかない。

お前らと一緒にすんな。

そんな事を思いながら、とりあえず無視して去ることにしました。

後日、公園にいると、ひとつ上の学年のやつらと仲のいい同級生たちが「8分の5反町に勝ったくらいじゃな」的なことをつぶやくように言ってきました。

「お前らさ、一人でいる時に言ってこいよ。集団でいる時じゃなくてさ」

8分の5反町は、ひとりで挑んできました。

もし殴り合いになったとして、勝てるかどうかわからない相手に一人で挑んできました。

だから彼のことが好きというわけではありませんが、8分の5反町の名誉のために、そんなことを言ってみました。

ひとつ上の学年のやつらも、そいつらと仲のいい同級生も、群れて威圧することしか能がないやつらです。それで勝ったような気分に浸っています。

「言いがかりにしても、あいつは一人で仕掛けてきた。その点は、まだかっこいいと思うけどな」

そう言い残して、仲のいい友達とその場を去りました。

Category:miscellaneous notes 雑記

「14歳」への3件のフィードバック

  1. 今回は結構エキサイティングなお話ですね。私もbossuさんとは近い年齢でして関東とは言えどイキった奴がいたのは記憶に残っています。私も多少なりとも彼に奴に不快な思いをさせられましたが、我慢はした感じで終わりました。
    8年くらい前にふと彼の名前を思い出し、ググったところ「実名でSNSを行っていた」事が分かりました。画像も載せており、顔つきも変化なしで本人特定。更にご丁寧に大学&現在の勤務先という命綱も記載されており、数カ月単位で情報収集を行い、ここぞというタイミングで一通のメールを送った所、翌日にその実名アカウントは消去されていました。私も14歳の頃に彼と出会っていたので一応は今回のタイトルに沿った内容だと思います。「実名で行うSNS=場合によっては人生終了の時限爆弾」だとしみじみ思いました。ネットもあの頃とは変わり、「発信&特定」が出来る時代です。被害者が加害者に30分後にでも復讐できる世の中になったという点では喜ばしいとは思いますが、先日の「硫酸を加害者に直接ぶっかける」という事件にまでは発展しないケースが殆どなのかなと思ったりもします。沸点は人それぞれですが悪いのは加害者なのは間違いないでしょう。余談ですが、私も浦安鉄筋家族は読んでいました。あの頃のチャンピオンは「鉄鍋のジャン!」が好きでした。

    1. 今となっては、今現在に実害がないのであれば、怨憎会苦を再燃させる必要はないと思っています。
      基本的にはその場で終わりというのが理想ですが、どうしてもエネルギー自体が未消化のまま残ることがあります。
      そんな時は「相手よりも幸せでいる」というような感じで、自らを高めることのみが相手への一種の報復となると思っています。
      そしてそれでも相手には心安らかに幸せでいて欲しいと思っています。
      今回は、十代の時の思い出として当時の心情について触れましたが、本質的に智慧によりこの「心」という視点から観れば、そのような感じになります。
      この心のためにこの精神を制するというような感じです。

  2. 返信ありがとうございます。今回に関しては、私個人としてはあまり賛同出来る点が見当たらないので、これで終わりにしたいと思います。

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