詰まる言葉

直接のコミュニケーションの機会が分断されているということが影響しているのか、この夏くらいから今に至るまで、スムースに話が進まず何となく言葉に詰まるということがよく起こっているような気がします。

他愛のない会話という部分を含めた会話の機会が少なく、用件を話す程度の会話が多いということが影響しているのでしょう。

何かもう一つか二つ聞いておきたいのに、それを思い出せずに詰まってしまうというようなことが多いようなそんな感じがします。

意志決定と情報不足

物事の運びが悪い時、たいていは「意志決定がうまくいかない」ということが要因になっています。そしてその意志決定がうまくいかない理由のひとつが情報不足という感じになっています。

いわば決めようにも判断材料が少なく決めかねてしまうというやつですね。

それで「普段ならばパパっと決まりそうなことが決まらない」という時を思い返した時、やはり情報が不足しているというような感じがしました。

判断、決断に必要な情報は揃っているように見えるのにどうも決めかねるというような感じになっています。

やはりそこに必要なものとして、「本来は、相手の感覚、状態、感性といったものも含まれているのだろう」ということを実感したりします。

でもそれをあえて聞くというのも野暮ったく、また気まずく気恥ずかしいという感じになっています。

なので、捉えておきたいのに、どう話しかけて聞けばよいのかわからないという感じで、言葉に詰まってしまうのでしょう。

というようなことは、どちらかというと「思い返すともう少し話したそうだったなぁ」という相手の状況を見て感じたりしました。しかしそうした変な空気に釣られて自分も少し言葉に詰まり気味であることも感じたりしました。

言葉に詰まってしまう

相手が古くからの友人ならば良いものの、それが仕事の付き合い中心の人であれば、いわゆる無駄話に長い時間を取るというのも気が引けてしまいます。

しかしながら、そうしたものがないと感覚のズレが生じ、認識の違いが生まれ、後々に何かを引き摺ってしまうかもしれないというような空気も生まれます。

それを防ぐためにやや多めに連絡を取るということをしてみても、どこかしらお互い言葉に詰まってしまうという雰囲気があります。

つい先日は、電話にてせっかく相手の方から雑談を開始していただいたにもかかわらず、若干言葉に詰まり、素早く切り上げてしまう自分に気づいてしまいました。

やはり、業務上のやり取りの内容を頭で整理しつつという中の雑談は両手放しでできるものではありません。

やろうと思えばできますが、どうしても意識の何割かはその直前の業務的な会話内容の方に持っていかれます。

そうしたものがたまにならば何とかなりそうなものですが、どうも直接会う機会が減っているので、変な空気を感じてしまったりするわけです。

そう思うとメール等々の方が楽ですが、メールに関しても「やたら相手からの返信が遅い」という感じがしてきています。これも一種の言葉の詰まりというものなのでしょう。また、内容が支離滅裂である場合も多くなってきたように感じます。発する内容の優先順位が錯乱しており、言葉を紡ぐことが難しくなっているということが影響しているのかもしれません。

直接的な感覚部分が分断されているので、文語的な優先順位と口語的な優先順位、つまり思考・言語的な重要事項と感情・感覚的な重要事項の各々をどちらから満たせばよいのかわからず、言葉の並べ方がぐちゃぐちゃになってしまうという現象が起こっているのかもしれません。

「廊下や道路を歩きながら軽く聞いてみる」というような、軽い感じを代替する工夫をもう少し見出していく必要があるのかもしれません。

Category:miscellaneous notes 雑記

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