本日は起きてから右手の指がピクピクしています。でもそれはそれだけで何かのためにピクピクしているだけです。
最近あえてミルトン・エリクソン氏に意識を向け、洗脳や催眠について本を再読したりしています。
理由は、そういうのをドヤ顔で語る人たちやビジネス利用のためという名目で悪用しようとする人たちへの嫌悪感からきているのでしょう。
心理学や催眠療法、最近では認知科学や行動経済学などいろいろな方法がたいてい人の幸せではなくビジネス利用の方で応用され、結果的に病人を増やしているような気がします。
またAIや「最適化」というようなものが、本質的には一段上から見ると「最適ではない」ということも感じています。
その理由は簡単で、平均的な一般論を述べられても、それは「その人」を幸せにするものではないということになりがちだからです。
むしろ一般論を標準的なものとして捉え、それから逸脱していたり、その一般論に合わせられそうもないというところから自己否定をしてしまうということがたくさん起こるのではないかと思っています。
つまり、最適化された回答は、「言っていることは正しいが、何も良い方向には向かわない。むしろ悪化する可能性がある」ということです。
この汎用的な定義をして、当てはめて解決しようという合理化の流れ自体が人を彷徨わせると思っています。
それが向いている人、向いているケースもあり、また、平均的な人の納得を得やすいのでそれが主流になっているというだけです。
これをひっくり返した人は、何人もいますが、そのうち顕著なのはシッダールタとミルトン・エリクソンだと思っています。
共通しているのは、文語的記述による汎用性のある解決策の定義を避け、その人に合わせた口語で語るというものです。
そして、「言っていることは論理性の上では正しいかどうかわからないが、やっていることと結果は正しい」という感じになっています。
実はこれは「お笑い」も同じです。
「真面目な先生やお医者さんが、真面目に正論を語っても何にもならないが、お笑い芸人が爆笑させると、一歩前に進める」
という感じになっています。それは古代文明から存在する喜劇や悲劇でも同じです。文化の役割はそんなところにあります。
それでまあ物理的な脳にしても、基本的に頭にあるものの神経で全身につながっているのだから、どの場所も脳と不可分であり、その先の空間も同様に不可分である、という一方、仮想空間に臨場感を感じることができるのだから、情報宇宙とも不可分だなぁということを再確認しています。
意味がわからない人はわからないままで結構です。
そこで本題ですが、個人的な学び直しです。
そういえばミルトン・エリクソン氏はポリオの後遺症で全身が動かなくなり、小さい弟や妹がハイハイしたりつかまり立ちをしたり、よちよち歩きをする姿を徹底的に観察して、自分なりに身体の動きを再構築したというような話があります。
ああ、そういえば極端に睡眠時間が削られていた娘の乳児期などは、否が応でもその観察をしていたなぁと言うことを思い出しました。
また、小学生の時からずっと興味があった「人はどうやって言葉を話せるようになるのか?」という本質的な部分を、娘の成長プロセスを毎日観察したことによって、ある程度把握できたような気はします。
コロナ環境と在宅業務だったのでほぼ24時間一緒です。
チョムスキー氏的な「言語体系が基本的には生得的にインストールされていて、後は環境によってどうチューニングされるかだけだ」というようなことが一般論ですが、ちょっと違うのではないかと思っていたりします。
いつも思うのですが、こういう事を考える人達は、知識体系の中だけというか、ある意味での男社会、学術空間の中だけで捉えるのが基本です。なので、結構リアルな体験を通じたものではなく「妄想」が入っているような感が否めません。
特に言語だけでなく全般的にそんなことを思ったりします。
まあ致し方ない面はありますが、実際には民間企業の勤め人をしたこともない人が、そうした人たちの生活を妄想して「少子化対策」などを構築したりしているわけです。
結果は、行政主導のコンパ、「男らしさでモテるための壁ドン講座」です。
そりゃズレますね。
で、言語習得ですが、生得的かどうかは、はっきりいえばどうでもいいと思っています。
そうかもしれないし、ホメオスタシス同調による無意識的ラーニングかもしれない、というようなところです。まあ実際はミラーニューロン的なところが大きいとは思いますが、どっちにしても客観的に計測し得ないので、どうあがいても「仮説」で終わります。
で、「何を学び直しているのか?」という本題です。
それは、より一層のミルトン・エリクソン寄りになるための学び直しです。どちらかというと知識を得るというより、チューニングです。
本来それが才能であるはずですが、環境に合わせるために曇っていた感があります。
でも曇っていたのは単に睡眠不足が原因です。
睡眠不足になるとどうなるかというと、状態が歪むというのもありますが、一番マイナスに働くのは、ある意味での変性意識の浅さと相手に主導権を握られてしまうという点です。
問題は、「変性意識の深さと方向」をコントロールできないという点です。睡眠不足になるとそうなりやすいですね。
ここでいきなり俗っぽい例えをしますが、チェックポイントは簡単です。
妄想だけでギンギンになれますか?
というだけです。
若いとそれだけ身体的な反応が出やすいのであまり参考にはならないかもしれません。逆に身体的に栄養不足だったりしても厳しくなるかもしれませんが、その場合は栄養が不足しているという点を確認することができます。
「仮想空間に臨場感を感じる」ということが重要で、これは変性意識の深さに関わります。さらに「自分の意図した方向に」というところで「どれだけコントロールできているか」ということをチェックすることができます。
「動画でないと反応しない」ということは、それだけ力が弱くなっているという証拠です。
ただ、こうしたものは才能の範囲にはなります。
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個人的に
「相手が動物でも眠るときは眠る」
という催眠療法的才能の部分を忘れていました。
「ああ、それでこの数年、時折近い関係の人々の機嫌が悪いのか」ということに気づきました。
特に意識しているわけではないですが、能力が全開の時は、何もしなくても相手をある程度深い変性意識に導いてしまいます。
「娘に絵本を読んでいると、妻が寝ていた」ということも日常茶飯事でした。
目を合わせるだけで見ず知らずのおじいさんのが階段から転んでしまうというようなことも良くあります(これは良くない事例です)。
睡眠不足やある意味での「論理性への偏り」等々により、そういう変性意識生成の能力が低下すると、
「日常の空間ではないどこかに連れて行ってくれる」
という期待を裏切られたような気持ちになるのか、周りの人たちの機嫌が悪くなります。
ちなみに厳密には催眠ではありませんし、催眠を学んだことはありません(臨床の治療を行う人でない限り、ああいうのはたいていスケベ心で学ぶのではないでしょうか?)。
ただ、ミルトン・エリクソン氏の実際の治療例のテキストを追うだけでもどんどんそちらに寄っていきます。
後に体系化されたようなものは、一応知っていますが、さほど興味はありません。彼の意識を追体験したいだけです。
この追体験が学び直しです。