思い返すと昔はかなり先延ばし癖があり、未来を見ようとしないというか、現状維持に相当意識が向いていたような気がします。
それは未来を考えることが恐ろしいというようなものも含まれていますが、現状がそこそこ楽しいので、その空間をなるべく継続したいというような、そんな理由も結構な比重であったように思います。
十代後半の頃は、「とりあえず癖」が強く、衝動のままに突き進むことも多かったように思います。しかしながら大人になるためのあれこれについては、経済社会に対する「本質的にはどうなっているんだろう?」という問いの力がある程度高まるまでは結構無頓着だったような気がします。
一応「いずれ社長になるんだ」という芯のようなものはありましたが、具体的なところについてはあまり見ぬまま、というような感じです。
同級生と求人雑誌を見て「まあこんなにあるからいずれなんとでもなるだろう」というようなことを言いながら、結構曖昧に過ごしていたような気がします。
自己弁護のようになりますが、その根底にあるのは、単なる「サボり癖」のようなものではなく、時代的に本当に大人の意見が当てにならない時代であり、誰に何を聞いたらまともな答えなのかが不明瞭な感じだったから、というものと、未来を見るために必要なエネルギーが不足していた、というもの原因だったと思います。
余談程度ですが、僕たちの同世代は「友人を大切にする世代」といったように言われていたりするようです。
その理由の奥にあるものは、それまでの王道が崩れ、かっこよかった大人の人たちがハローワークに通い、そうした人たちが今まで言っていた「こうすればいい」が全く当てにならないという中、同世代の友人たちと、その先を模索していたからというのが大きな理由のひとつであると思っています。
様々なルートもハウツーも有効的なのかが不明瞭で、混乱が多かったという感じになります。そしてその混乱により、あまり夢は描けず、エネルギーも無駄に消費していたというような感じでした。
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夢を描けば勝手にエネルギーは生じる、というのは一応本当ですが、そうした夢を描くというか、行きたい方向を見るため、未来を見るためには多少なりとエネルギーが要ります。
燃え始めれば、後は勝手に燃えていくようなものであっても、最初に火種が必要になります。ライターに火がつかないと、その先の物にも火がつかないのと同じです。
そんな未来を見るためのエネルギーを蓄えるために笑おうにも、笑うことにすら手前に多少の火種的なエネルギーが要ります。
様々なことに対応し、辟易していくとそんなエネルギーが少しも残っていない、という状態になっていくこともあります。
生命力を削り、それが帯状疱疹や十二指腸潰瘍として表面化し、最終的にはパニック障害につながっていきました。
全て結果的には良かったですが、笑ってしまうほどたくさんの遠回りをしました。
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何かを思い描くにもエネルギーが要ります。
そのエネルギーを溜めるために笑うにもエネルギーが要ります。
そうしたことを始める前に、まずは、何にも煩うことのない時間と空間が必要です。
体を整えることも必要です。
まずは笑えるようになるように、というところからくらいで十分です。
それくらいから始めないと、いきなり「夢を描いたらエネルギーは湧くよ」なんて言われても、湧いてこない自分を責めるようなことにもなりかねません。
構造としては正しくても、その手前、さらにその手前のエネルギーが不足している人には酷であると思います。
自分が学んだこと、研究したことの正しさの証明のために、様々な状態にある場合を想定せずに「未来を思い描こう」といったようなことは説くというのはどうかと思います。そうしたことを言うだけの人たちは、医者や学者など恵まれてきた人たちです。悪気はないのでしょうが、自分たちの生活が基準となり盲点ができていたりするわけです。
「先のことをきちんと考えろ」ということは、言われなくても一応わかっていたりするものです。
でも考える手前の手前くらいの段階くらいにエネルギーが不足していたりする場合もあります。
腹から力強く声を出せばエネルギーは湧いてきます。
でも最初はその腹に力が入りません。
しかしながら声が出なくてもひとまずそうした感じで徐々に出していくと、様々な部分の固さが取れてきて、声が出るようになってきます。
馬鹿らしいようなことに見えるかもしれませんが、そうしてどんどんエネルギーを高めていくということが重要です。
問題は自分自身にどれだけ力が戻ってきたかという点であり、出なかった声が出るようになってきて、込められなかった力が込められるようになってきたとすれば、少なからず前進したということになります。
「何にも煩うことのない時間と空間」と「体を整える」という面で言えば、手軽なのは散歩です。好きな曲を聞きながら一人で歩くという感じである程度それらが叶っていきます。
最初は面倒ですが、歩きだして数分経つと「もう少しいけるかもしれない」という気持ちが起こってきたりします。そういう気持ちが生じてきたということは少しばかりエネルギーが戻ってきたということになります。その感覚が大切です。
スピードを上げてみたり、強めの一歩が踏めるなら踏み出してみたり、という感じで力の高まりを感じましょう。
そんな感じでエネルギーを蓄えつつ、ある程度「ちょっとくらいならいけるかも」と思った時に、友達と談笑したりしてさらにエネルギーを高め、「まあまあいけるかもしれない」と思った時に「未来を見る」ということをすれば良いという感じになります。
「先延ばしにしてしまう」とか「先のことを考えることを避けてしまう」という場合、未来を見るためのエネルギーが不足しているだけということがよくあります。それを自分の性格的な弱さであると思ってしまうと、自責の念でさらにエネルギー不足になってしまいます。
そうなると構造上抜け出せなくなりやすいので、「ひとまずエネルギーを蓄えよう」くらいの感じで気楽に考えてください。