愛の浪費に反対

他の人々から愛着の幾ばくかを引き去るほどにひどくだれかからその愛着を与えられるとき、心が締めつけられるように感じる人間たちがいる。われわれは選ばれ、好まれたのだ、という声を聞き取るとしたら!ああ、私はこの選択に感謝できない。私をそんな特別扱いにしようとする人に恨みを抱くことを、私は認める。 曙光 488 中段

「特別扱い」というものにご満悦の方というものは醜く映ってしまいます。必要以上にチヤホヤされて、嫌悪感を抱かずに鼻の下を伸ばしているという姿はひどく醜いと思っています。

最近ではちらほら講師を引き受けたりする関係もあり、先生と呼ばれることも多くなってきました。後輩起業家からは師匠と呼ばれることもたまに起こってきていますが、やはりそれほど嬉しくはありません。

こちらをどのような存在と位置づけて、どう呼ぶかは相手の勝手ですから、別に構わないのですが、それが過剰な評価になるとやはり違和感を感じてしまいます。

祝われることすら避けて通っているくらいです。

その理由は、やはり「おめでとう」の意味がよくわからないからです。まだ「ありがとう」の方がわかりやすい言葉です。

また、好きと言われて嬉しいのは相思相愛の時です。嫌いな人に好きと言われたり、別にそこまで好きではない人に過剰なまでの「好き」を押し付けられた場合はやはりそれを受け取る気にはなりません。

カラカラデートのすすめ

全ての存在を愛し慈しむことはできても、好きにはなれません。

好きかどうかは感情の問題であり、意識の中で勝手に起こった反応ですから、好きか嫌いかは選べません。

見えていないところが見えたりして、解釈が変わったりすると反応である感情も変わることはありますが、ほとんどの場合そんなことは起こりません。

そこまで好きではない相手に猛アピールされた経験をお持ちの方は実感があるかもしれませんが、過剰な感情を押し付けられた時、怒りが生じます。

自分が男性で、その「押し付けてくる人」が女性であった場合、○玉に支配されている場合は、「まあいいか」と思うかもしれませんが、○玉の貯蔵具合によって「まあいいか」か「都合がいい」か「鬱陶しい」かという感情の揺れを繰り返すはずです。

ということは根本的に好きではないということです。

そこで、やはりおすすめしたいのが「カラカラデート」です。

おそらく聞いた人はいないでしょう。今作った造語です。検索で調べてみても「カラカラ」が店名についている飲食店ばかりが出てきたので、おそらく世界新設の単語です。

単純に○玉貯蔵レベルが「カラカラ」の状態でデートをしてみてくださいということです。

通常数日貯め込めばZ会でなくても2、3回分が貯まるそうですが、家を出る前にカラカラにして意識朦朧とする中、何なら「今日はキャンセルしようか…」と思うくらいカラカラの状態でデートに挑まねばなりません。

Z会の方は、生産能力が高いので数日前から、「炭水化物抜きダイエット」ならぬ「炭水化物しか摂らないZ会特別講習」と銘打って、タンパク源を控えてください。間違ってもエビオスや亜鉛など飲んではいけません。

そしてもう一つ、もちろん体調最優先ですが、塩分を控えてください。

その状態で目の前の女性を愛せたとき、本当にその女性を愛したことになります。

また、ハチミツの匂いがしない状態の自分を好きでいてくれるのか、という相手を見定める良い機会にもなります。

これは双方にとって、老後まで一緒に過ごせる存在かどうかということを知るよいデートだと思います。

もちろん試験的に一回でかまいません。

もちろん、やらなくても何の問題もありません。

ここで新しい理想がつくられる

愛の浪費に反対 曙光 488

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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