恥辱

そこに立派な馬がいて、地面を引っ掻いている。それは鼻を鳴らし、乗馬を熱望し、いつも騎乗する人を必要としている。― しかし、おお恥辱!今日彼は跳び乗ることができない。彼はくたびれている。― これは、くたびれた思想家が自分自身の哲学に対して抱く恥辱である。 曙光 487

「恥辱」はよく胡散臭い人がマインドコントロールにおいて使う手法です。

別に胡散臭い人でなくても、晒し者にすることによって「自発的な退職」を迫ったり、はたまた義務教育でもムラムラを抑制しようと使われるやり方です。

見栄や恥に釣られる甘い客

恥ずかしいことでも笑いに変換してしまえば、何てことはありません。

恥ずかしい思いをしたくないと思うと、それを利用して意志決定を誘導されたりします。

個人的に恥ずかしい経験もたくさんありますが、最もひどいものは、高校1年生位のときの出来事でしょうか。

ダンスダンスレボリューションでの出来事

中学生の時にはビーマニことビートマニア、高校生くらいの時にダンスダンスレボリューションというものが流行りました。今でもその後継のものをやっている人はいるのかもしれませんが、当時はまさにその初代です。

家庭用として専用のパットなどが作られていましたが、高校生の時、同級生がダンスダンスレボリューションの「敷パット」を持っているということで、友人宅に集まり、みんなで楽しんでいました。

真夏に男ばかりが部屋で踊るというむさ苦しさです。

冷房もかかっていましたが、さすがに体を動かすので汗だくになってきました。

そんな時、ドンドンと家が揺れているからか、友人のお兄さんが部屋に入ってきました。

叱られるかなと思いながらも、普通に話しかけてこられただけでしたが、さらに男が加わって、むさ苦しさはヒートアップしていきました。

そこで、あまりに暑いので、友人みんなでトランクス姿になって、みんなが踊り出すという狂気じみたことになってしまいました。

順番が回ってきました。他の友達も僕の後ろで練習です。

そして、ダンスダンスレボリューションでよくあるパターンの

↓↑

の後に

←→

というパターンが連続した時のことです。

もちろん体が90度に何度も往復するのですが、想像通りのことが起こってしまいました。

汗だくの男たちはゲームに夢中です。

友人のお兄さんは爆笑しながら

「黙って続けろ!」

と叫びながら笑っています。

僕達は夢中だったため、事を理解するのに数十秒かかってしまいました。

ゲームプレイ姿の僕達を傍観する「友人のお兄さん」以外の全員が、トランクスの隙間からモロ出しです。

笑われていなかったら、もっとひどい辱めだったと思います。

恥ずかしさなど、その程度です。

恥辱 曙光 487

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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