実やかに約りつつも

様々な試験の結果のデータを見ていると、何故かわずかばかりは「申し込みながらもテストを受けに来ていない」といったものがあったり、「合格したものの入社していない」とか「初日で退職」というものがあったりします。

しかも数が多くなると何故か毎回のように同じような数字というよりも比率になっていたりします。

なので採用等々においては、予めそうしたものを予測して「少し多めに」ということで備えていたりします。

こうした一定比率の「結ばれないもの」が起こるということは、まあ確率論的でもありつつ、体の具合や取り巻く状況の変化などによって起こるものとは思いつつも、いくらかは「気分の変化によって約束が破られる」ということを示していたりするわけです。

その場の感情、熱意、誠意と呼ばれるもの、それ自体は確かに本物であったとしても、その「本物」はその場では本物であるだけで、一瞬先以降は確かなものとして存続するかはわからないという感じになっています。

女心と秋の空

こうしたものは、男女で大きな差があります。もちろん個々人として個人差はあったとしても、全体の傾向を見ると男女間において差があるようにしか見えません。

そういうわけで男女間においては「???」という混乱が生じます。

「それほどの熱意があるのならばこれから先も信頼して大丈夫だろう」

というような基準が大きく違うので、異性との付き合いに慣れていない人としては夕日に向かって走りたくなるほどの混乱が生じたりします。

「一年先ならばわからないが、今日、明日に変化するということはないだろう」

ということを思ったりもしますが、「女心と秋の空」という言葉に象徴されるように、今日、明日どころか、数時間で変化することもあります。ということで、男友達との約束と同様に考えるわけにはいきません。

もし同じように考えてしまった場合、いずれ人間不信が起こるほどのショックを受けることになります。

「大きな思い出ができたのだから、今日生まれた結びつきは強いものとして機能し、長らく二人を結んでくれるだろう」

というようなことを期待しますが、そうした大きな出来事もそれほど長くは機能してくれません。

「同じ生き物であり、同じように考えるはずだ」と考えると、ショックがやってきます。

「それは致し方なく、そういうものなのだ」ということを念頭に置いておかないと、ショックから立ち直ることができず、怨恨すら生まれてしまうことになりかねません。

しかしながら逆に考えると、「秋の空の如き移り気」でありながら、移り気ではなく、すぐに忘れるというのが当然である中、忘れてはいない、ということが起こったのならば、それは非常にありがたいことであり、通常よりもふんだんに評価すべきことであると捉えることができます。

もし同じ生き物だと考え、「そんなことは当然だ」と思うのであれば、最高でゼロ、感情としてもプラスにはなりません。そして最悪で死に至るレベルのショックがやってきます。

しかし「当然ではない」と思っておけば、最高で涙を流すレベルの「ありがたいなぁ」という感想、最悪で「やはりそんなもんか」という感想程度です。

実やかに約りつつも秋の空の如し。

君がよい妻を持てば幸福になるだろう。

悪い妻を持っても案ずることはない。

君は哲学者になれる。

咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなん

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