世の中にはたくさんの去勢圧力、去勢空間があります。
これは、同調圧力、バイオパワーのようなものですが、あえて男を男でなくすため、男性性を否定する「去勢」として表現します。
この去勢圧力、去勢空間は、男性性を排除しようという圧力ではありますが、根本的には大いなる誤りが含まれています。
端的には、その去勢圧力に屈しても何にもならない上に、去勢空間の内側で圧力をかけている者をも閉じ込めるという二重の誤謬です。
これは、社会においては真面目空間であり、それに従っていればある程度の安全のようなものが手に入りそうではあるものの、鬱屈した空気の中、安心や安全もジリ貧となるという一種の罠です。
去勢空間に没入してしまうもの、それはニーチェ風に言えば、ラクダであり、現代において最も象徴されるのは、当て馬のポンゴ「パパゾンビ」です。
また、当て馬のポンゴパパゾンビは、ラクダとしての自己肯定のために、去勢圧力に加担します。
これは大きな空間的塊であり、エネルギー吸収のブラックホールのようなものです。
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いろいろと抽象的でまどろっこしい始まりでしたが、僕としてはいつものことです。
それは眩しすぎてショックを受けないようにという助走的配慮でもあります。
メスの妥当性空間による去勢圧力
それではリアルかつ極めて単純な構造を示していきましょう。
産後のメスは、PEA(フェニルエチルアミン)、ドーパミン系のムラムラからオキシトシン系のつながり的ムラムラに変化する。
これを突破するには、より高いムラムラか、より境界線なき没入のいずれかが必要となる。
ムラムラのポテンシャルはあるが、非倫理的な非日常の空間没入へも抵抗があり、かつ、オキシトシン充足も絶望的という複数の拘束が起こる。
そのことに自他ともに気づかず、ヒステリー傾向になる。
それを直視しないためにメス同士で群れる。
これは一種の年齢退行である。
低レベルではあるが安心とドーパミンが手に入る。
その状況を肯定し、保つために、男性性を否定するようになる。
去勢空間、去勢圧力の完成。
よく観察してみたまえ。
思春期のメスの群れ、父親を筆頭とした男性の性欲動への嫌悪によく似ていないかい?
しかし、思春期のその空間においても、ひとり、ふたり、とその空間を脱していく。最後まで残ったのは、こじらせヒステリー女だけになる、その再演である。
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「微かにでもモテたければ去勢してから。そうすれば話を聞いてやる」という圧力。
「接したければ、鼻息を荒くするな」という◯玉を否定する去勢圧力。
座っておしっこをしろという圧力。
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まあそんな感じですね。
ヒステリーが伝播したパパゾンビの醜態
そうして去勢圧力にやられた人たちはどうなるか。
かつて彼女に響いた、笑ってくれたものでもう一度、という意図を込めて、何をするか。
聞いた話ですが、ずっと不平不満ラップを歌っているそうです。
世界が狂っていますね。
重要度を高めて抵抗してはならない
世間では、夫に対する非難のようなものが多いような気もしますが、これは単に核家族で当たりどころがそこになっているだけというような構造があります。
祖父母同居の場合、姑に向いていたような感情が夫に向くというだけで、どちらにしても誰かに当たる、つまりヒステリーを起こすんです。根本問題はリソース不足ですが、弱った頭で群れて考えると、男が悪い、そして男を避けて群れよう、というようなことになるだけで、元々は疲労物質的な反応です。
本来よほど歪んだ構造でない限り、家族間に社会的な悪者は存在せず、そうした疲労物質がもたらす認知の歪みから起こるだけです。なので、メスが悪いわけでもありません。
ただ、彼女たちの考える解決策はたいてい誤謬にたどり着きます。
癒着して歪んだ顔面を見ればわかります。
合っているのなら全員がいきいきしているはずです。
そうして疲労物質の不快感の矛先を夫に向けるので、関係性はこじれ、さらにヒステリーは解消されません。その悪循環です。
去勢空間に晒された先
去勢空間に晒された先にあるのは、「ここではないどこかへ」の渇望です。
しかし、元々、去勢圧力や去勢空間というエネルギー集合体に、エネルギーを吸われ、道を外されただけです。
男女とも、去勢圧力、去勢空間から離れ、寝るのが一番良いかもしれません。
