仏像には全然興味がないのですが、仏像自体が煩悩の象徴だと思っています。
それどころか、テーマパークの目玉として、仏像を大々的に宣伝し、完全なビジネスモデルを構築しましたね。
毎日ではないですが、よくボンノウ期真っ盛りの修学旅行生とすれ違います。
修学旅行といえば、京都や奈良以外の方は、よく京都・奈良コースになると聞きます。僕はずっと京都なので、修学旅行といえば、小学校は広島、中学校は東京、高校は長野県にスキーという具合でした。
寺といっても、修学旅行で行ったのは唯一中学生の時にいった浅草寺くらいなものでしょう。
余談ですが、古くから根付いている京都の人は東京少し違った目で見ています。
大好きなことには間違いないですが、あくまで日本は京都が中心だと思っています。
イスラエルも国際的な首都は経済の中心地「テルアビブ」ということになっていますが、現地民はエルサレムだと思っています。
これと同じようなことです。
「首都」に続く言葉は、「って言っても経済社会面ではね」とか、「って言っても情報とか流行はね」とか、どこか永遠に譲らない傲慢さがあります。
市内中心地では、「住めば都っていうか、ここ都」という思想が今でも強く残っており、親子4代で同じ小学校、という家庭もかなりあります。
ただ、かなり親東京主義ではあります。
世界有数の精神の捻じ曲がり
超正統派京都人
ちなみに移住者や学生をあまり歓迎はしていません。
先日、「京都に移住しよう」みたいな本を見つけました。
「おすすめスポットは?」
「鴨川」
と移住者へのインタビューに書いてありました。
「京都人」にそのことを話すと、みんな爆笑してしまいました。
「せめて荒神橋とか出雲路橋とか、やな。鴨川て何キロあるおもてんねん」
そんな感じの会話になってしまいました。
歓迎するのは不動産屋と拝金主義の大学と最寄りのコンビニくらいなもので、学生マンションが建つ度にみんなため息をついています。
京都は学生の街⇒自分たちは学生⇒京都は俺たちの街
という三段論法で勘違いする学生が多いですが、なるべく学生を減らす方向に向かっていただきたいですね。
さらに言うと地元民は祇園や木屋町にはほとんどといっていいほど行きません。徒歩や自転車で行けるにも関わらず行きません。
芸子なども地元民というより石川などからやってくる人が多いと聞きます。
つまり元締めは別として、京都のブランドを使って他府県民が他府県民相手の商売をしているに過ぎません。
「いやいや京都人も沢山行っている」
という人がいますが、「本当に京都人ですか?何処に住んでます?何代目?」というのを超正統派ユダヤ人ならぬ超正統派京都人は心の中では思っています。
京都は本当に不思議な街です。
精神が捻じ曲がるのも当然と言えるでしょう。
ボンノウ×東京
さて、生まれた時から仏像など掃いて捨てるような環境にいた僕たちは、「こいつらに仏像なんか見せても、顰蹙を買うだけ」ということで、首都東京に連れて行かれました。
ボンノウ真っ盛りの頃に、ボンノウで溢れた誘惑だらけの街に行くのだから、煩悩にあふれてしまうのは仕方ないことでしょう。
「煩悩を満喫し、煩悩を直視しなさい」
そういうコンセプトだったのかもしれません。
僕たちは、神社仏閣の代わりにフジテレビ、仏像を拝観する代わりに音楽番組の収録を見物していました。
鹿で溢れる奈良公園に行く代わりに、人で溢れる渋谷センター街に行きました。
やっとこさ寺についたかと思ったら、「寅さんの舞台」のイメージしかありません。
これでもか、というくらいにボンノウの動きを見るための「誘惑の修行」が待っていました。今思うと、フルコースです。
とはいえブッダも元は放蕩王子。誰もが一度は通らなければならない道なのかもしれませんね。
そんなことを分かりつつ、うちの学校は東京に僕たちを連れて行ったのでしょうか。
いえ、たまたまだったようです。
それまでは伊勢神宮だったそうですが、たまたま、試験的に「僕たちだけ東京」ということだったようです。
ボンノウ期にブツゾウや御神体と戦わずに、ボンノウを満喫できて結果的に良かったような気がします。
京都という土地柄もあってか、同級生の家が寺ということも多く、墓場ビジネス、冠婚葬祭ビシネスが盛んに語られる事が多い環境に育っています。僕としては昔から偶像崇拝たる仏像や墓には否定的な印象を持っています。そして墓場ビジネスはそれほど問題視されないもののタダの霊感商法だと思っています。
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