なんだかんだで小学一年生から六年生までピアノを習っていました。
きっかけは何だったかはっきり覚えていませんが、「ピアノを弾きたい」と父に言うと、数日後家にピアノが届き、さっそく近くのピアノ教室に通うことになりました。
最初の1年くらいは多分楽しかったと思いますが、その後すぐに辞めたくなりました。
なぜならピアノ教室の先生と合わなかったからです。
あと幼い頃にはありがちですが、小指等々の指の痛みが辛いという部分もありました。
しかし嫌々ながらも六年生まで通うことになります。
その理由は幼き日の僕の弱さにありました。
癇癪を別目的で躱す小学生
まあ端的にいうと、ピアノ教室の先生は一般に言うよなヒステリー持ちというか、癇癪持ちでした。女性の先生でしたが、癇癪持ちだったので、「女の人はみんな優しいなんて嘘だ」と小学生ながらに思っていました。
癇癪を起こすかどうかというところは、その日の気分で大きく異なり、そのランダム性に辟易していました。
特にピアノのレッスン中は癇癪率が高かったので、なんだかんだ小学校の音楽の授業対策系の理由をつけて、ピアノのレッスン時間をなるべく短縮しようとしていたくらいです。楽典を勉強する系とか、学校のリコーダーテスト対策なんかですね。
まあおかげで、小学校から高校までの間、音楽の筆記試験は難なくこなすことができたので、少なくとも成績向上には大きく貢献してくれることになりました。
といってもそれくらいにまで「ピアノのレッスン」を拒否し、理論的な勉強の方ばかりの時間にしようと思っていたわけです。
それを六年間やるのだから当然に楽典系の筆記テストなど余裕です。
ただ、その分ピアノの技量はほとんど上がらずという感じで、現在でも、きちんと習っている小学生のほうが上手なくらいだと思います。
関門突破
で、どれくらいピアノ教室にいくのが嫌だったかと言うと、歩いてピアノ教室まで通う間、一つの交差点を跨いだだけで「第一関門突破」と心の中でつぶやいていたくらいです。
ピアノのレッスン自体は始まってもいないのに、そこに向かう時間ですら、変に緊張している自分を奮い立たせるためにそうした言葉をつぶやいていたわけです。
「どれだけ嫌なんだ」という感じですが、まあそれくらい嫌だったということになります。中学生の時には、ふとそのことを思い出して、先生をバットで殴りに行こうかと何度も考えたくらいです。
では本題である「それくらい嫌だったのに何故やめることができなかったのか?」という点に移ろうと思います。
幼き日の弱さ
まあもちろん単純には真面目すぎたことと幼き日の弱さゆえという感じですが、一般に想像されるそれとは少し様子が異なっているかもしれません。
もちろん自分から言いだしたことに対して責任を果たしたいと言うような点や、大人に負けたくないという点もありましたが、それより何より、「先生を傷つけたくない」という気持ちがありました。
いま大人になってからの言葉で表現すると、「もし『辞める』といい出すと、先生の尊厳を傷つけるのではないか?」とか、「先生をダメ人間だと言っていることになる」とか「先生の食い扶持が無くなる」とかそんな感じです。
それは仕返しを恐れてという感じとは少し違います。
変に先生の気持ちに感情移入し、ある意味一生懸命な先生を傷つけたくないというような感じでした。
ある時、泣きながら帰ったことがありましたが、母にその理由を聞かれた時に「小指が痛い」と嘘をついたことがありました。
そうなると母は「じゃあ自分のペースで頑張りなさい」としか言いません。
他心通とまではいかなくても、母によほどの共感力があれば見抜いていたかもしれませんが、見抜かせないようにすら僕が演出していたというような側面もあります。
何故か嫌いな先生をかばうような変な感じです。
なぜ嫌いな人をかばっていたのか、それはおそらく自分が先生の立場だったら、辞められたら嫌だと思うだろうと思い、そうなったら悲しくなるだろうと思っていたからです。
でもそれは幼き日の僕の弱さでもありました。
「辞めたあとに道でばったりあったらきっと悲しそうな顔をするだろう」
というそれに恐れを抱いていたという面もあるからです。
そして、そうした変な気遣いは、相手が何かに気づき、成長することを妨げているということにすらなります。
辞めることによって自省のきっかけが生まれることもありますし、他の教室に通い直す等々「良い方を選択する」ことによって、自然な淘汰の流れを作ることもできるからです。
といっても小学生の僕にはそんな発想はありません。
ただ、ピアノ教室の先生を傷つけたくないという思いや、傷つけたことに対する自責や、傷つけたことで起こりうる確執を恐れていただけでした。
小学六年生の時に辞めた時、それは小学校を卒業した時です。
「中学生になると部活動があるのでそれに集中したい」などという、わかりやすく当たり障りのない理由を利用することを思いついたので、これなら相手も傷つかないだろうと思い、すんなり辞めることができました。
でもそのタイミング、その理由がなければ辞められなかったわけです。
おかげでピアノの演奏は嫌いになりました。今でも基本的に嫌いです。もちろんピアノは何も悪くありません。
あの日々の中のどこかで、僕に「人を傷つけてもいい」という少しの勇気があったなら、今頃もっとピアノのことを好きだったでしょう。
もちろんそれは厳密には能動的に人を傷つけてもいいということではありません。
ただ、自分の勇気のなさを「人が傷つくから」という理由でごまかして、辛いことを耐え忍ぶということは弱さであり、そうして苦しみながら生きることは、結果的に自分の周りの人をも傷つけることにすらなるのだと思いました。
ピアノの腕はつきませんでしたが、そうした気付きがあっただけでも六年間は報われたと言えるでしょう。
そういう意味では、ピアノの先生に感謝をしている自分もいます。今でも嫌いなことには変わりありませんが、それだけで十分です。
そう思うと、かつての辛い出来事も「単なる前フリであり、プロセスだった」と感じることができます。