近代化はすべての文化を平均化し特徴のない世の中をつくります。いま一度、突拍子もない土着センスよ、カムバック!
近代化して選択肢が増えるのは問題ないような気がします。
歩いていこうが電車で行こうが、それを新幹線に切り替えようが、それは別に個人の選択の問題で、世の中に選択肢が増えるのはいいのですが、確かにどんどん特徴のないような世の中になってきたように思います。
特徴がないことが良いことかのようになっていくのならば、その逆の土着文化の方もまた際立っていくということにもなりそうです。しかし、何でもかんでも土着的であれば良いというわけでもありません。
しかしながらそれよりもまず、平均化し、特徴がなく、有料でないといけないというような風潮には違和感を感じたりします。
なんでも有料の真意
有料、無料に関して気にもしていなかったことが、ちょっと手を加えて「有料」になってきているように思います。なんだかイオンモールみたいなところでないと信用できないかのように、こまごました店を避けるようになってきたような気がします。
完全に滅菌した砂場でないと遊ばないようなもので、そんなところにお金を使わなくても、友達と歩いて御室八十八箇所にでも行けばいいのです(御室八十八ヶ所)。
「なんとなく有料でないと不安」そんな感じになってきたように思います。
有料ならいざという時、怒りの矛先を向けて、責任を追及できますからね。結局、何かが起こったときに誰かのせいにしたいのではないでしょうか。
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また、有料でないといけないかのように至るところで駐車場が有料になりつつあります。かといって何かをもたらしてくれるというわけではありません。そしてそのうち有料のほうが当たり前という感じになっていくのでしょう。
もっと土着
以前にも書きましたが、「観光スポットといえば」みたいな感じで神社仏閣を無理やり押そうとせずに、田舎ならもうそれはめちゃくちゃに田舎らしさを出して欲しいと思います。
「こんなもんはウケんだろう」と思っているようなことが、神社仏閣にあふれて「神社とかはもうやめてください」と思っている京都人にはウケるかもしれません。
幼き頃から三大天満宮とされるところに週一回以上遊びに行っていたような身のものが、お金を叩いて行ったバスツアーで「○○天満宮」に連れて行かれた時の虚しさをどうかわかっていただきたい。
しかもあそこは毎月縁日があります。25日です。「年一度」などのプレシャス・プレイを許さないという頑固者です。
おそらく磯のにおいにも、土のにおいにも飢えています。
特に海は遠いですからね。
改バージョン⇒ドチャック 改
補足ながら「ドチャック」という本もあり、「ドチャック」というキャラがいます。
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