相関関係さえ分かればそれでいいというような風潮が蔓延してからというもの、データを集めることの重要性がやたらと説かれていたりします。
そういうわけなので、どうしてデータを集めることに価値があり、「それについていかないと負けてしまう」というような論調が多く、新しいサービスとして相関関係を抽出するようなデータ収集のサービスをもてはやす演出がなされています。「レシートのデータを買います」のようなものですね。
しかしながら、次のように考えると、そうしたサービスが必要か否かがすぐに分かってしまいます。
見に行けばわかるという事実
例えば、そうしたデータを集め相関を元に最適化されたようなお店があったとしましょう。
すると
「そのお店を見に行けばどうすればいいのかがわかる」
という単純な事実があります。
データ収集の結果見えた相関関係により「Aという商品とBという商品はセットで購入されることが多いので近いところに置いておく」という最適化があったとしましょう。
「そんなことはそうしたデータを利用している店に行けばわかる」
ということが成り立っています。
一方、そうした構造がない場合は、そうしたデータの利用が優位性をもたらすという場面ももちろんあります。
「見て確認しようにも見えない」
というような部分です。
「なぜうまくいっているのかがわからない」という部分に対しては、そうしたデータからの相関関係の抽出がひとつの価値を生み出してくるという場合もあります。
ただ、素人目線でデータを取り扱った場合は、そこからの改善策がチグハグということにもなりかねないので注意が必要です。結局データを見て自己満足に陥るのがせいぜいで、だからといって何かをするわけでもないという様子は至るところで見受けられます。
「データを集めていていつでも参照できる」「解析ツールを導入している」ということだけで何かしらの満足や安心感を得ているような感じです。しかしながら、そうしたものは次の改善に活かすことがないのならば何の意味もありません。
ただデータを活かして改善を実施している場合であっても、そうしたデータに表れる部分ばかりしか見えず、本質からズレていることが案として出てきてしまうという場合もあります。
ということで、リアルをチェックするのが一番です。
低コストを叶えるショートカット
そういうわけなので、データの収集や相関の抽出というようなハイテク感のあるような事柄さえ、自分がその気になればコストなどかけなくても同様の効果を得ることができます。
あまり何事もギムキョ的に考えてしまうと「一から十まで正規の方法で積み上げていかなければならないのだ」と思ってしまいます。しかし、「見に行けばわかる」といった感じでショートカットできるようなことはいくらでもあります。
利用規約のようなものや就業規則のようなものですら、基本的な部分はたいてい重複していますし、いくつかサンプルを集めて、自分たちなりに加筆修正するだけで十分だったりもします。
不安ならば、専門家にチェックだけしてもらえばよいという感じになりますし、チェックくらいならそれほど高い報酬を要求されたりもしません。まして仲の良い人であれば、飲食費くらいで軽く請け負ってくれるという場合もよくあります。
また、ショートカットというものではありませんが、「大型店舗の駐車場の近くであれば、お客はそこに駐めたまま歩いて来てくれたりするので、自社で駐車場を用意しなくてもいい」というようなこともギムキョな感じとは逆行する費用をかけない知恵になります。
結果ベースで見ると必要な費用が見えやすい
「確かにそれをやろうと思えばそれくらいの費用はかかるだろうが、そこからもたらされる結果は他で代替できる」
という前提で物事を見ると、営業さんの口車に乗ることも格段に減っていきます。
「そんなデータにそれほどの費用をかけるほどの価値はあるだろうか?」
ということくらいはすぐにわかりそうなものです。
「赤いバラを買う人はかすみ草をセットで買うことが多い」
などと言われても
「そんなことくらい知っとるわ!」
というのが普通ではないでしょうか。
大半のことは、ゼロから始めたり、一から十まで揃えなくても、レンタルやリースで事足りることは事業のみならず個人レベルでも同様です。
義務的で無機質でつまらないものを対象に
ただそうしたことは、なるべく義務的で無機質でつまらないものに対して行うほうが良いかもしれません。
有機的なもの― 例えば、作品であったり、好意から生ずるプレゼントであったり、というものは、元が社会的義務のようなものではなく意志の伝達であるので、ショートカットの発想からは逆行していたほうが良いはずです。
ラブレターが参考例文と同じ、指輪がリースなんてなことにはならないように、という感じです。
最終更新日: