男子たるもの女子にいくらお金を使えるか、その点はモテに大きく関わってきます。ただ、それをいいことに、かなりの額を搾り取られ、心身共にボロボロになる男性がいます。
正しい思春期を送り、正しく自分塾を開いてきた人は、ゴータマシッダールタが「オレ、王子辞める」と旅立った頃には、モテないが正しいことを悟るはずなのですが、正しく自分塾を開いてこなければ、晩年にも女子に耐性ができていないため、その衝動の虜になります。
お金があって偉そうも嫌われますが、お金がないのに偉そうはもっと嫌われます。
「おごってやるよ」は手抜き
ただの「おごってやるよ」は、短期的には非常に効果のあるものですが、一つ言えるのは「手抜き」だということです。
同じ1万円でも、お金には最強の代替性があります。つまりお金で買えるものは何でも交換可能だということです。
そこで経済学の大原則、Utility Maximization、すなわち効用最大化が要になってきます。
同じ100円程度の原価でも、愛をこめた手紙というものは、数百倍の価値を放ちます。
「何でも金で解決」ということは、手紙を売れっ子ライターに書かせて送るようなもので「何でもタダで解決しよう」というケチな業者よりはいいですが、製造原価に対して、付加価値の係数が全くかからないのでそれほど効用が得られません。
相手の満足を得ようとすれば、どんどん「原価」が上がっていき、終いには破産する羽目になります。
胸のドキドキ
女子に抱きしめられると、耐性ができていないときはドキドキするものです。
「このドキドキはなんなのだろう?」ということを一人で悶々と考える時間を過ごしてこないと、後にそのドキドキに囚われてしまうことになります。
そしてその「このドキドキはなんなのだろう?」の期間が過ぎると、「なぜドキドキしないんだろう?」という難問が待ち構えています。
「あのドキドキがこない」ということに無駄に悩むという試練が待ち構えています。
それを無事修了すると、モテないが正しいことを悟ります。
そして、モテたい、チヤホヤされたい、入れたいという気持ちを棚上げして、女子そのものを好きになるようになります。
必ずモテてしまう
ケチと聞くと、「おごらない人」というのが世間の相場ですが、一方で、闇雲にモノを買い与えてしまうと「その人が努力の末に手に入れたという充実感」を奪ってしまうというパラドクスが待ち構えています。
努力はしてはいけないことですが、ひとつのプロセスとしてのストーリーを台無しにしてしまうのはもったいないことです。
それはそれで置いておいたとしても、よくあるのは「身近な人にはおごらない」という癖です。
意識の問題としての「おごる金がない」
「おごる金がない」というのは簡単ですが、問題はあまりお金がないという点ではなく、意識の問題です。
たとえば小遣いが1万円しかなくても、月に200円くらいは貯められるでしょう。
半年ほど貯めれば、小さな花束くらいは買えます。
花束といえば、すぐに枯れてしまうものです。
半年のコツコツが、ものの一週間ほどで枯れ草になります。
その一週間、しかも何の実用性のないものに、ただ、渡す相手のためだけに少しの我慢とイマジネーションを働かせるわけです。しかも少し照れくさいことです。
その想像力と実現力を持った男子は必ずモテます。
モテないが正しいですが、そういう人はいずれ見抜かれてしまいます。
貧困というものは、特に良いものではありません。豊かに越したことはありません。
ただ、状況はどうあれ、それはコントラストをもたらすためにその概念が有り、また、いくらでも利用可能なものです。
今ある立ち位置からできる最大限を想像してみてください。
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