浴衣というものは何のためにあるのでしょうか。
旅館に泊まって浴衣で寝ると、昔はほぼ確実に翌朝下痢になっていました。足を冷やすとダメなはずなのに、「足は無防備でいけ」という仕様になっています。
朝方になると必ずぐちゃぐちゃの浴衣姿と、5時に下痢で起こされる僕がいました。頭寒足熱の精神はどこにもありません。
特に、帰る予定が二軒目三軒目と飲みに誘われ、スーツなどのままビジネスホテルに泊まった時などは最悪です。
スーツのまま寝るわけにはいかず、どうしても選択肢は浴衣のみになります。
ビールで胃は冷え、アルコールで胃腸はやられたところに、下半身むき出しの浴衣で「防衛しなさい」という過酷な試練が待っています。
そのためには寝相が良くなくてはなりません。
寝相が良ければ、かけ布団からもはみ出さず、浴衣も乱れることなく、事なきを得ますが、僕は寝相がよくありません。
電車の中でも、教室の机でも、真冬の公園のベンチでも眠りにつくことはできますが、「本格的な寝るための場所」では寝相はよくないようです。
腹を冷やすな
今ではお腹が強くなりましたが、昔は絶望的に胃腸が弱かったのを覚えています。
その際によくアドバイスされるのが、「腹を冷やすな」という言葉です。
小学生の時から再三この言葉を唱えられていた僕は、「腹」だけを温めていました。
高校生の時にやっと、「足が冷えると冷やされた血液が心臓に戻る時に内臓を冷やすのよ」というようなことを保健室の先生に教わりました。
どうして誰も教えてくれなかったのでしょうか。
その事実を知るまでに何度トイレで「懺悔タイム」を味わったことかわかりません。
懺悔タイム
小学生の時です。ある時、下痢をしていたのですが、「お腹のためにもっと野菜を食べなさい」と言われて、サラダを食べまくったら、史上最大級の下痢になりました。「生まれ変わったらこうなりたい、いままでごめんなさい」という最大級の「懺悔タイム」がやってきました。
「もう死のう。死ぬほうがマシ」というレベルです。こんなにも辛いのに、痛みを感じさせる自分の痛覚を殺したくなりました。
「どこかに腸の痛覚を全部摘出できる病院ありませんか」と聞いて回っていました。
さらなる懺悔タイム
今でも忘れません。小学校5年生の時です。
下痢は比較的決着が早いのですが、この世には便秘というものもあります。
僕は最大で5~6時間格闘したことがあります。その間ほとんど激痛です。
救急車を呼べばいいのですが、昔から腹トラブルが頻繁に起こる僕は、「いつものことだろう」と、家族に「いつものこと」として扱われてしまいました。
脂汗が止まりませんでした。バスタオルで拭きながらですが、シャツは4回くらい変えました。トイレの中にはビオフェルミンと2リットルの水分を持参しての戦いです。
洋式ですが、足が痺れました。痛さをごまかすために叩いた太ももは、真っ赤になっていました。
それでも出ません。
夜でしたので、薬局も開いていません。
衰弱してきました。助けを呼ぼうと思っても、少し動こうとしただけで、転げ落ちそうになります。意識は朦朧としていました。目の前が蒼白く見えます。もう痛みはほとんど感じません。
「そうか、もうすぐお別れなのか」
おそらくこのまま死ぬだろうと思いました。もう汗も出ません。全身がすごく軽くなって、そのまま宙に浮くような感覚になりました。
「短い人生やったなぁ短い人生やったなぁ短い人生やったなぁ」
そんなフレーズが頭をこだましました。
その頃になってやっと、さすがに察知したのか、家族の誰かが浣腸を入手してきてくれました。
一瞬で現実に戻り、また、緩やかに激痛が走り出しました。
そして、それから数分後、僕は完全に出し切ることになります。
もう立てませんでした。足のしびれと、衰弱で、一歩も歩けないどころか、一切力が入りません。力が入らないというか、ほとんど感覚がありません。
家族の手を借りて、ひとまず廊下に出た僕は、まだ、少し蒼白い世界の余韻に浸るのでした。
言葉も出ません。
そのまま廊下で寝たのか、部屋に運ばれてから寝たのかは覚えていませんが、その数時間後であろう深夜に目が覚めました。
生まれ変わったような気分です。
少し仙人にでもなったような気分を味わったあと、気づけばまた寝てしまったようでした。
―
翌朝、もちろん家族全員を集めて人生最大級の気迫でお説教をしました。
「殺す気か!殺される方がまだマシやぞ!」という具合に。
それからというもの、僕は人生に一つの教訓というか、揺るぎない信念を定めました。
「何事があっても、腹を最優先せよ」
それからは何事に対しても腹を優先することにしました。
「テスト?関係ないね、腹のほうが大事」
ということで、追試を受けたりもしました。
義務教育課程で、必ず「正しい腹教育」を設けていただきたいのですが、いかがでしょう?文部科学省さん!
最終更新日:
過去に懺悔タイムの途中、自分が頭に耐えていることに気がついて我慢をやめたらどうなるのかやって見たことがありますが、とても危険です。
めまいがして貧血の時と同じような感覚になりました。下手すりゃ失神してたかも。トイレの個室でね。
想像するにも辟易する実験ですね…
情報提供ありがとうございます。
頭に意識がある状態で下腹に意識を向けるのが普通ですが、まず力を抜いて頭に上がった意識を静め、下腹にだけ意識を向け、掌を腰元に当てながら全身の力を抜く、という感じでいくと少しマシになることがあります。
誤字ですね。申し訳ありません。
頭に耐えているのではなく痛みに耐えているですね。