謳歌といえば「青春」ということになっているのか、「青春を謳歌する」ということは決まりきったことのように使われます。
「青春」とは、無責任で、物事がよくわからない故に、全てに可能性を感じて興奮している期間です。
「永遠に青春」という人がいますが、なんか違うなと思ってしまいます。
「いつまでも若い」のが素晴らしいことのように思っているのでしょう。
おそらく「ため息だらけの人よりはいいだろう」というようなことなのでしょうが、興奮を求めても穴を掘って埋めるだけの行為です。
その年齢でしか味わえないような出来事
いくつになっても、その年齢でしか味わえないような出来事があります。
ですので、いつまでも謳歌はしていいのではないでしょうか。
若い時は、結構いろいろなことが想像の範囲です。しかもその想像の範囲すらもとの情報源が少ないため、かなり狭く見積もっていたり、もしくは過度に期待しています。
そして、実際に経験してみると、いずれにしても結構な頻度で期待を裏切られるので、感情が揺れ動きます。
年を重ねるとやったことのないことでも想像できてしまう
しかし、年を重ねるとその刺激はほとんどなくなります。やったことのないことでも、なんとなく想像ができて、しかもその想定はかなり精度が上がっていきます。
そして、「もっと感動を、もっともっと感激を!」ということで、やることもないので、結婚したくなったり子供が欲しくなったりします。
本当は「もっともっと刺激を!」なのですが、そう言うと野卑で下品に聞こえるので、まだ上品な「感動」「感激」を用います。
でないと、好きな相手もいないのに「結婚がしたい!」などというセリフは出てこないはずです。
もうほとんどのことに飽きていて、世間の体裁のいい最大級の刺激を求めているだけです。
激動から静寂へ、喧騒から清閑へ
その時にしか味わえない事柄はたくさんあります。
本当はたくさんあるはずなのですが、派手なアクション映画に慣れすぎて、風の音には何も感じなくなってしまっています。
どうしても刺激ないと落ち着かないのであれば、街角に潜む小さな美しさをたくさん発見していくのもいいのではないでしょうか。
ベクトルを激動から静寂へ、喧騒から清閑へ、それだけで見える世界はかなり広がります。
改バージョン⇒すべてを謳歌してくブーム 改
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