職業的誇りを傷つけられたせいか

職業的誇りを傷つけられたせいか「僕は皮膚の専門医ですよ」とキレてきながら思いっきり誤診していた医師と出会ってからというもの、医師にも相当のレベルの差があるのだろうということを思うようになりました。

当のその医師は、保健室の先生が「帯状疱疹」だと言い当て、別の医師が「帯状疱疹ですね」と診断した症状を、この腫れは「虫に這われたから起こった」と一点張りをしていました。

僕が寝ている間に掻いた部分を毒虫に這われた痕だと主張していました。

まあその手の人間は、職業的誇りというよりも「自分は我慢をしてみなさんよりも勉強しましたよ」的な自分の努力のようなものを誇っている程度であり、「苦しむ人を何とか楽にしてあげよう」というような意志は欠片もないのでしょう。

自分の限界すらもよく見える

本当に自分の仕事に誇りを持ち、高いレベルで自信を持っているのであれば、自分の限界すらもよく見えてくるはずです。

そんなことを思っているので、社会に出てからというもの、勤め人の頃であれ、今のような立ち位置であれ、ある程度仕事が様になってきてからは、事あるごとに他の人に仕事を振ったりしてきました。

無理に受ければできなくもないかもしれないものの、もちろんベストでもなければ、ベターですら無いという時、他の人に話を振ったり、平気で他の方法を勧めてきたりしたわけです。

例えば、何かしら資産運用をしようとしている人がいたとしましょう。そして、自分としてはいくつかの金融商品を扱うことができるとします。

でも、まだ資産状況がそれほど豊かでもなく、急な出来事があれば中途解約をしなければならないような状況にあるような人であれば、「コストを減らしたほうが早いですよ」とか「定期くらいにしておいてください」という感じで、ほとんど儲からないようなことを勧めていたりしたわけです。

また、「創業を考えています」という人に対して、あれこれ言ってその気にさせて何かしらのサービスを売るということもできますが、そういうことはしたくありません。

そして、自分が提供できる何かよりも別の方法の方が合理的なのであれば平気でそちらを勧めます。

なぜなら詐欺師のようにはなりたくないからです。

まだまだ勤め人だった頃においても、「結局は、心が受け取ることが全てであり、お金や物はそれを媒介して心に何かを伝えてくるという程度なので、そんな遠回りなことをしなくてもいいのではないか」という感じで思っていました。

「本当はあっちの方がいいけど、自分で受けなきゃお金にならんからなぁ」

と思っているうちは職業的誇りというものは出てきません。誇りを持てない分、結局手に入れたお金で何かしらの物やサービスで自分を満たしてもらおうとするのがせいぜいです。

職業的誇りとしての「オレに任せろ!」

そういうわけなので、職業的誇りとして

「オレに任せろ!」

と自信を持って言えるような状態でなければなりません。

そしてその自信は、結局経験を通じてしか得ることはできません。

それすらも本質的は虚像であるという中、経験を通じて得たものでないような、虚像にも満たない自信など、ただの自己欺瞞であり、ただの傲慢です。

そして、先の「皮膚の専門医」は、お金というよりも自分の威厳の方を優先しているわけです。ある種の威厳を保てなかったことに対して、何かしら勝手に怒っているわけです。

皮膚の専門医だろうがなんだろうが、それは何かの試験に合格したというだけであって、見事治してみるなり何なり「人の役に立たないと意味がない」ということを理解する頭くらいは持てよ、と思ってしまいます。

それすら理解できないということであれば、根本的に自分の知能を疑ったほうがいい、ということになります。

まともな医師はそんな藪のことをどう思っているのか、というところが少し気になります。

同じ医師という括りで同種の人間だと思われても困るはずです。

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