少し上の世代が持っていた悪しき伝統や価値観についてでも触れていこうと思います。
年齢的に僕は前後世代との狭間にいて、「社会をどう捉えるか?」にあたってちらほら混乱があったような気がします。
そんな中、悪しき伝統や価値観を「僕達世代で断ち切ろう」というようなことをした思い出もたくさんあります。
意味不明な暴力の否定
例えば、ボーイスカウトにおいて、年齢が2つ上の人たちは、1つ上の人たちに暴力を振るっていました(「フィードバックを奪う人たち」で少し触れていました)。
その理由も結構理不尽なものでした。
時は90年代、よく雑誌の裏にヌンチャクやメリケンサックのようなものの通販広告が載っていた時代、ひとつ下の後輩に対して「警棒を買ったから殴らせろ」と言って殴る、というようなとんでもない世の中です。
で、その殴っている当の先輩は、過去に「そのさらに上の先輩」にペンで腕を刺されたり等々されていたようです。
そのような意味不明の風習は断ち切ろうということで、僕は同級生と会議をして、「後輩にそのようなことをした者は他のものが取り囲んで殴る」というようなことに決定しました。
そして、2つ上の学年の人達がシニアスカウト(ベンチャースカウト)に上がる頃に、その意向を1つ上の人たちにも伝えて、風習を断ち切りました。
運が良かったのは、1つ上の学年の人は2人しかおらず、僕の同級生は10人近くいて、そのひとつ下世代も8人くらいいたため、1つ上の学年の人たちも僕達やその下の世代に手を出すことはありませんでした。
それはそれだけの思い出ですが、勤め人時代の混乱についてでも触れていこうと思います。
勤め人時代に怪我をした日のこと
本当に入りたての新入社員時代に、さっそく外回り中に足を怪我したことがありました。多少血は出ていましたが、全く歩けないということもありません。
すぐに上司に連絡しても良かったのですが、「まあいいだろう」と思い、そのまま外回りを続けていました。
で、足が痛むためどうしてもいつもよりも全てが遅れがちになりました。
いつもより帰りが遅い、かつ、新入社員ということもあり、直属の上司が、近くを探しにやってきてくれました。
「すいません、ちょっと足が…」
というと、真剣な顔かつ大声で叱られました。
早く連絡しなさい。もっと周りの大人を信頼しなさい。何のための会社組織だと思っているんだ、と。
大雨が降っていたことを覚えています。
そしてすぐに帰って、総務の人と一緒に病院へ、そして、労災の手続きという感じになりました。
僕はなぜ「昭和の根性」のようなものを選んだのだろう?
で、先日そのことを思い出して、なぜあの時僕は上司に連絡をせずに変な「昭和の根性」のようなものを選んだのだろうということを考えました。
記憶を遡ると、高校一年生の時に最初にバイトした時のチーフを思い出しました。
このチーフはとても嫌味なやつで、バイト中、両手が塞がっている時に「そこにあるものこちらにください」という程度のことを頼むと、
「へぇ。僕がやるの?」
などといいながら渋々応じるようなやつでした。おじさんです。
この人は、交通事故の後遺症か何かで、片足が少し動きにくい感じで仕事をしていました。
で、ある時、強烈な腰痛が起こったのでバイトを休む連絡をすると、休むことについては了承したものの
「僕は、足を引きずりながらでもやってるけどね」
と言ってきました。
多分、この時のイメージが焼き付いていたのでしょう。
「社会に出るからには足を引きずりながらでも仕事をする」
という変な観念が形成されていたということです。
知らず知らず、嫌な奴に影響されていたんですね。
ただ、もうその影響はありません。
なぜなら、そのチーフは、自分の能力の低さを人に当たっているだけだと知っているからです。
「僕は、足を引きずりながらでもやってるけどね」
ではなく、
「僕は、足を引きずりながら嫌々やってるけどね」
ということです。
このおじさんは、「嫌々やらなくていいような仕事」を見つけられないんです。
なので、本当の問題は本人の能力不足です。
そういう能力不足に対して、根本的な部分に働きかけないで、「根性」で何とかしようとするというのが、一番の悪しき伝統や価値観なのかもしれません。
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