怒りの本音

よく、そこまで怒らなくてもいいのに、すごく怒る人がいます。

また、異常なほど泣き言を言う人がいます。

共にイライラしていることには間違いなく、性格が外向的か内向的かで矛先が変わるだけです。

単純に溜まったエネルギーの吐き出し口を求めている状態です。

たまに、変な集まりがあって「今日のテーマは『愚痴吐き大会』」などと称している群れを見かけますが、あまりいいことだとは思えません。

限界にまでエネルギーが溜まっているときは、まずは感情を感じきって感情の暴走を終息させる必要はあるのかもしれません。

ただ、そんなに緊急でないときは、変に愚痴を言い合って傷を舐め合うようなことは避けたほうが賢明です。

イライラを吐き出しているようなつもりでも、逆にイライラを増幅させていくだけです。

「愚痴を聞いてくれる人がいる」というのはいいことのように見えますが、ただ愚痴を言い合っているような仲であるならば、そんな人とは関わらないほうがいいと思います。

そもそも「愚痴」という字面を読んで頂ければわかることですが、かなり危なっかしい漢字が二つも入っています。

くだけて言えば「バカタレ」か「あほんだら」ですね。

親友

余談です。

勝手に定義しますが、親友というのは、「あんな会社どう思う?ひどくない?」などの無駄話をし合う仲ではなく、怖いものに対しては「なんだか怖いなぁ」と心の本音を言える仲です。

ただただ共感が欲しくて、自分を弁護してくれる相手を探して友達を探しても仕方ないと思います。

そんなものは、一時的な幻覚剤にしか過ぎません。

「そうか辛かったな。よしよし」を求めても、根本は何も解消しません。

「なんだか怖いなぁ」と言ったところで、非難するわけでも慰めるでもなく「こういうことに恐怖してないか」と、表面的な取り繕いは無視して、単純に事実を指摘し、心の奥をえぐる仲がいいと思います。

あとは本当に楽しく過ごせれば、生涯の友として金銭的な勘定ができない財産となるでしょう。

怒りの本音

たまに些細なことで爆発的に怒る人がいます。
比較的安定しているときは、同じ現象が目の前で起こっても怒らないのに、何故か気分が悪い時には爆発的に怒る感じです。

理性的に判断しつつも感情的に対応して「そんなに怒るな!」と大声で言い返しても大抵は無駄です。

北斗の拳という漫画でよく出てきましたが、剛拳には柔拳で対応しなければなりません。

このような場合は、なにか他のことでイライラしています。

本人としては、ストレートにツッコむと立ち直れないくらいのダメージを食らいそうで、なかなか他の人には見せません。

そして、実際にツッコむと「違う」と言ってくるか、史上類を見ないほどの怒りのボルテージになります。

でも、つっこんだほうがいいのです。

本人としては、自分でわかりつつも、怖くて直視できないような事柄でイライラしています。

直視することができずに、先延ばしにしつつ、ずっとどこかで気にしていて、それが常に本人にダメージを与えています。

他人の目を気にする場合にそれは深刻になります。

そして、気にするなといっても気にしてしまいます。

その原因は、事実を事実をして見たことがないから。

よくある行動パターン

気になるなら飛び込めばいいのに、「周りの人はどうなのか」ということで、情報を集めだします。

人間は危険を予測する方に意識が集中しやすく、どうしても「不安」を加速させるような、「不安要素」の情報ばかり嫌でも集めてしまいます。

これは仕方ないことです。

安全なら、情報を集める必要もありません。

危険を感じて不安になるから情報を集めだすのです。

そう考えれば、裏付けとして不安材料ばかり集めてしまいます。

本当は不安を解消したいのに、まるで逆のことをしてしまいます。

昔は情報源が少なく、実際に体で当たらなければ仕方なかったのかもしれませんが、今は情報過多と言われる時代です。

特にインターネットでは、自尊心の傷付いた人たちが、自分より下の人たちを求めて、「確からしい偏見」をたくさん発信しています。

よくある事例

よくあるのは就職活動でしょう。

広告の会社は、「就職活動に役立つ情報」と銘打って、よかれと思って書いているのかもしれませんが、その情報の反対解釈で相当恐怖している人がいます。

たとえば

「採用は25歳くらいまでですね」

と書いてあったとして、25歳までの人は安心します。浪人や留年した人は安心するでしょう。

一方、26歳の人であれば何かしら自己説得で乗り越えられるかもしれないものの、27歳くらいともなれば恐怖で外に出られなくなるかもしれません。

本題に沿って言うと、何かにイライラしていても、本当は面接の時に「今まで何してたの?」と聞かれるその瞬間が怖くて、イライラしているだけかもしれません。

でも、直視するべきだと思います。

怖くても、面接に行けば、意外と触れられなかったり、確認程度で終わる場合があります。

言われてもいいじゃないですか。

面接官だって、人生でいろんなことがあったはずです。

圧迫面接のふりをすることはあっても、本気で嫌味を言う気はあまりないでしょう。

本当に嫌味で言うような会社ならこちらから断ればいいだけです。

本来は数日間で、そんな苦悩など終わってしまいます。

人やものにあたったり、愚痴など吐く暇があれば、自分の恐怖心を直視することです。

社会のせいにしたり、自分のせいにしたりせずに、ただ、その恐怖心を直視してください。

情報集めや言い訳集めや実際の行動の下準備なんかせずに、ただただ、心の動きを見てください。

で、気が向けば行動してみてください。

「意外と簡単なことだった」という感想を持たれることでしょう。

怒りというかイライラの本音を直視しない限り、何か外部のもので穴埋めはされません。

ストレートに言うと、実際はお金や仕事、パートナーなどが欲しいわけではなく、「リラックス」「安心した状態」が欲しいはずです。

その条件として「結婚相手がいればなぁ」などと勝手に決めているだけです。

変な占い師に占ってもらっても意味はありません。

パワースポットに行って拝んでも意味はありません。

そんなことより自分の心と向き合うことです。

安心を先取りしてしまいましょう。

そうすれば、「安心した状態」の「条件」にしていた「結婚相手」が現れても安心、現れなくても安心、つまりどちらでもよくなります。

そうすると本当に現れたりします。

でも、「結婚相手が欲しい状態」を解消するために「安心した状態」のフリをしても意味はありません。

そんなフリや、無理な思い込みなどせずに、心の動きをただただ直視してみればいいと思います。

ただ、なぜか恐怖してしまうその根っこの根っこを探る旅です。

「自分探しのバックパック世界一周」より楽しいですよ。

Category:うつ、もしくはうつ気味の方へ

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