二重拘束的空間

たいてい、人からの話には何かしらの要求があり、そうした際、詭弁的に「二重拘束的空間」を作ってくる人たちがいます。それはその人達の生存戦略的なものなのかもしれません。

そういうと難しそうですが、構造としては単純です。

「要求があり、受け入れても苦しい、受け入れなくても苦しい」という構造がある、ということです。

端的には詭弁的であり卑怯な方法です。

意図的にそうしたものを提示して、それ以外の空間に脱出するように導くという方法もあります。その場合、前提に慈悲喜捨があります。方便やミルトン・エリクソン氏の治療がそれに当たります。

ただ、世間に溢れているそれは、単に自分の厚かましい要求を通すために、経験則的に用いられているものであり、前提には貪瞋(貪りや怒り)があります。

たいていは「転嫁」であり、自分一人で行き詰まった時に相手にそれを転嫁し、相手に解決させようとする時、「二重拘束的空間」を生成して、要求を受け入れさせるか、もしくは、抽象度の高い解決法を考えさせようとしているか、というような感じになっています。

こういう時に、「良い人」とされている人たちが犠牲になってしまうことがあります。

共感力の高い人ほどそうなってしまうのかもしれません。

その人の問題ではないにも関わらず、です。

もしかしたら、と思った時には、論理構造と抽象度をよくよく観察してみてください。

Category:miscellaneous notes 雑記

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