どうも社会において「不安の押し付け合い」をよく見受けます。これは各個人の問題ではなく、一時期の社会状況の変化とその時の情報汚染の影響だと考えています。
端的にはコロナ環境の影響です。その時についた「癖」とその影響による不安が根底にあります。
先に社会状況と情報汚染の影響の例について触れておきます。
体育会系の脳筋感や「脅して人を動かそう」という「ノルアドレナリンルート選択」は、おそらく第二次世界大戦をメインとした戦争の影響だと考えています。その時の社会状況における人の意識の最適化がそれだったという感じです。
そういうものは徐々に薄れていくものですが完全に消えたわけではありません。そのやり方でうまくいくことがあるからこそ残っている面はありますが、人の幸福度を下げるものであると考えますので、やはり僕の意識としてはそれを選択することはありません。
あの時についた変な癖
で、今は今で変な癖がついています。
数年前は最適だった選択も今では最適ではないという感じになっています。
実際の行動として簡単なもので言えば、飲食店の中に入らず持ち帰りにするとか、インターネットで物を購入するとかそういう癖です。その他、「外出できないとすれば」ということで、代替策として見つけた「楽しみ」などもそれに当たります。
一番厄介なのは、「自信を失ったまま、助け舟もない」という不安です。
それについては後々触れますが、最近見聞きした色々な状況について少し触れておきます。細かいデータを記載してもいいですが、面倒なのでそのへんは省略します。
別に本人たちは何も悪くないがうまくいかない状況
飲食店の方に聞いたところ、最近常連さんから「家族みんなでは外食しないという癖がついたから、あまり来れないけどごめんね」と言われることが多いそうです。
もちろんお店の「色」によってそうした需要の変化はバラバラでしょうが、行動の癖がついてしまったという感じで、客足はあまり回復しないままという感じになっているところもちらほらあるようです。
ガバガバ融資の返済開始
あと、信用金庫の人に聞きましたが、コロナ騒ぎの初めの頃、審査がガバガバの特別な融資がよくありました(ちなみにうちの会社は融資を受けていません)。
「3年間の据え置き」、つまり3年間は返済が開始されないという感じの融資で結構な数の企業が首を繋いでいたようでした。投資的性質のある積極的な融資ではなく、首をつなぐための融資です。
すると例えば2020年9月なら2023年9月から、返済開始という感じになります。
ということで、「それくらいの時期から体力が低下していく企業が増えますよ」という感じでこっそりお話をいただきました。
先の例でいうと、2023年9月から爆発的に売り上げが回復しているのならいいのですが、さほどそれ以前の水準に戻っていない場合は、企業は相当危機的状況になります。
また、初めの頃はよく給付金や補助金などがありました。
それと特別な融資枠で首を繋いでいた企業は、焦りを持っているかもしれません。
で、3年で需要がそれ以前まで戻っているかというと、人々がそれまでとは違った行動癖や不安を持っているので、おそらくそれ以前の状況までは戻っていません。
それで、3年間くらいは給付金等何か助け舟があるという状況だったので、「また助け舟があるだろう」という癖がついてしまいました。しかし、そうしたものにも限界があります。むしろ回収の方に回っています。
幼稚園ですら焦り
ちなみにですが、幼稚園という一見関係のなさそうなところも経営状況に焦りが見えてきています。
幼稚園から「こども園」に変わるところも増えてきているようです。
その原因は、端的には出生数の少なさと親の経済不安です。
自然な出生数の低下のスピードをはるかに超えるペースで出生数が低下しています。
つまり、経営目線でいうと数年後のお客さんが根本的に減っているわけです。
幼稚園に入れる年齢の前に保育園に預けられるとそのまま継続してその保育園に通うパターンが増えて、さらに幼稚園に来なくなります。なので、幼稚園からこども園に変更し、より小さい子から通えるようにして、顧客数を安定させようというような流れになっていると考えられます。
この出生数の低下は、確実にコロナ環境の影響です。
幼稚園の経営状況が悪化すると人員削減等により教育サービスが行き届かなくなり、結局園児が被害者となります。
極端に言うと、コロナ環境によって生じた「不安」を最終的には「園児」も受けるわけです。
しかしながら幼稚園・保育園・こども園の数は変わらずだったとしても子ども自体は減っていますし、「では外国人を呼び込もう」というようなことがすぐにできるようなものでもないので、多少なりと影響が出るのは致し方ないのかもしれません。
「不安」を切るため、「癖」を切って縁を切る
さて、本題に入ります。
結局何かしらで「不安」がまだ残っています。そしてそれを押し付け合うような空間が生まれています。
こうしたものは強いものが弱いものに押し付けます。また、弱いものも強烈にゴネることで押し返そうとしたりもするでしょう。
強い国家は弱い国家に、国家は企業に、企業は従業員に、従業員はその子どもにという感じです。
そういう空間は地獄のようです。
一番の問題は「不安」というか、「自信をなくしたこと」です。
そして自信は加点方式ではありません。減点方式です。
何かが自信をなくす要因になっています。
それがコロナ環境によって生まれたものであれば、コロナ環境下で選んだ選択、今も残る「縁」を何でもいいので切っていきましょう。
コロナ環境だからネット通販のアプリを入れて買い物癖がついたのならアプリを削除するというような感じです。
「お話しようアプリ」を消してバーに行くというのでもいいのではないでしょうか。
また、持ち帰り癖、惣菜癖がついているのなら、可能な限り店内食ばかりにする等々も良いかもしれません。
すごく細かいところを考えると近年の「年賀状はこれで最後にします」のような流れも、「ウイルスは数日間残るから郵送はやめておこう」という細かい不安から来ているのではないかと思います。
(さらに独り言言うと、そういう流れを作ってインターネット経由の連絡を増やし、個人同士の関連性データを吸い出したり、メッセージ内容から人工知能に自然言語を学ばせようというような意図があったりして…勝手な妄想です)
では、その逆を考えれば、「コロナ以前の送付枚数以上に年賀状を送る」というようなことも縁切りになります。
「こういう癖ができたからなぁ」
というもので、今現在本当に合理性があり最適なもの以外をどんどん切り捨てるという感じです。
なぜなら、そうした癖が、アンカーとトリガーになっていることがあるからです。
「その行動を取ると、コロナ環境下の不安が情動として軽く蘇る」ということになっていることもある、という感じです。
心理学的に言うとそんな感じですが、因縁生起における、「縁」を切るという感じで捉えることもできます。つまり原因が結果を生み出すための諸条件を切ることで、結果が生じないか、変化するということです。
自信と知恵
で、結局どういうことかというと、現在の環境が悪いとかそういうことではなく、社会全体が自信を取り戻して知恵を働かせられるようにしていくしかないということです。
例えば、給付金で味をしめたというか、一時的に楽になった事業者は、同時に自信をなくしています。
そうなると、何かのせいにしたり、人に当たったりします。
そういう流れはゴメンです。
くだらない不況の話題、「仕方ない」という話題をインターネットで見ている場合ではありません。
それを見せることで配信者は儲かっていますが、見ている側はさらに自信をなくしています。
それすらも一種の「不安の押し付け合い空間」です。
また、例えば、不安になったところで、人に押し付けること考えたところで、出生数の低下という事実は変わりません。
(まずは幼稚園や保育園ですが、年数が経つにつれ高等教育においても影響が出てきます。大学であれば留学生などで補えるとしても、高校あたりは厳しくなるかもしれません。ただ年数があるのでその間に調整がしやすいと思います)
入園児が減り、収益が低下するので、幼稚園の先生の数は調整しなければならないかもしれません。
そうなると先生一人当たりが担当する園児が増えて、目の行き届きに支障が出るかもしれないという流れは仕方ないのかもしれません。
しかしそれは数量的な単純計算です。
極端に言うと先生が「合気道の達人」のようになれば、瞬間的に全体を見渡して適切な動きができるようになります。
園長や教頭がチグハグなことをすると先生に影響します。そして先生への影響は園児に行きます。不安があるならその不安が影響していきます。
頭を働かせて不安の原因を捉えていくと適切な対処ができますが、不安という感情にばかり囚われると「押し付け合い空間」が生まれてしまいます。
社会環境の変化やその時に感じた不安、行動パターンによってついた今ある「縁」を切れば切るほど元通りになります。その時についた行動パターンが、今でも本当に最適かどうかをもう一度検討するというのがいいかもしれません。
感情ではなく全体的な空間や空間の歪みを把握していく方に気を向けてください。
不安という「感情」に着目しているからこそ「くだらない情報」を探して、汚染され、そしてまた不安になり、自信を低下させてしまうのです。
自信がみなぎり、頭がきちんと働くと、くだらない情報など見向きもしなくなります。
状況を好転させる情報に意識が向くようになります。
「助け舟など不要」
という自信で溢れかえりますように。
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