そろそろ過去の記述をいろいろとこちらに移し替えていこうかなぁ、などと思います。分散していても仕方ないですからね。
昔のことなので、昔の文と写真と記憶だけを頼りにまだそんなに記憶が薄れていない今、一応形に残しておこうと思います。
一応、独り旅です。もう既にバレていると思いますが、世界旅行も「自分探し」をしに行ったわけではありません。行きたいから行っただけで、なにかの目的などを定めて行ったわけではありません。もちろんなにかの動機があったのでしょうが、特にその動機がどうした、ということになりますね。無理矢理に目的を定めることはできます。でも、そんなことは「他の人への説明」であって、あまり難しく考える必要はありません。
イスラエルに旅立ったのは2010年です。今から4年半ほど前になります。ちなみに航空券は往復で9万円ほどでした。
イスラエル旅行記「テルアビブ」編です。イスラエル現地ではエルサレムが首都ということになっていますが、国際的な首都はこちらテルアビブ(Tel Aviv)です。概ねトルコでの乗継便になりますが、日本からイスラエルに行くときはこちらテルアビブに到着という感じになります。
写真は別ページにまとめてあります。
Tel Aviv
イスラエルへの直行便はないので、関空からトルコのアタテュルク国際空港を経由してイスラエルの国際的な首都(現地民は認めていないようですが)テルアビブのベングリオン国際空港に到着いたしました。「いやー長かった…」という感想しかありません。
外務省のデータによると「渡航の是非を検討してください」という注意書きがありましたが、特に気にすることはありませんでした。商社や教会関係者が年間千人前後はやってきているようですが、あまり観光目的で来る人はいないようです。
行く直前に、「日本の公安に尋問とかされたら面白いなぁ」
なんてぼんやり思っていたのですが、 入国カードという制度がないせいか、トルコと現地の空港でみっちり尋問されました。
ベングリオン国際空港にて
空港に着くやいなや、まず単独ということで疑われました。
「観光って、どこに観光に行くんだ?」
「本当にそこだけか?」
ほっといてください、の一言ですね。
僕の語学力は中学生レベルなので、正直あまり言葉がうまく伝わらず、一応持ってきたガイドブック的なものでなんとか指し示す程度が精一杯でした。
ガイドブックというものは必要ではないのですが、そもそもイスラエル旅行自体があまり需要が無いので、実際は地域情報的な本でした。もちろん日本語なのですが、一応写真の景色だけで空港の職員さんには伝わったようです。
「一人?なんで一人なんだ?」 というようなことも聞かれましたが、
団体でないといけないってほうがおかしいじゃないですか。と思いつつ、「どうして今夜のホテルしか取ってないんだ?」
理由なんて無いですよ…、とも思いつつマシンガンのような尋問が続きました。特に目的もない旅なので、泊まるところもその日その日で確保する、ということにしていただけなのですが、それではまずかったようです。
訳を聞いてみると、「テロリストのアジトに行くのではないか」、ということでした。
表に出るまでに、トルコの空港含め、3回も尋問されました。
タクシーに乗ってテルアビブ市街地へ
電車に乗ってホテルまで行こうかなと思いながらもタクシーにしました。タクシーなのに ベンツ、ベンツ、ベンツ、たまにプリウス…といった感じです。
今回はさすがに1泊目はテルアビブ市街地のホテルをとったのですが(これがまた高い)、「日本語スタッフ0名、英語スタッフ0名」と。
誤記かジョークであると信じています。
という、強烈な洗礼を受けつつ、ホテルに行くと、
「予約者リストにあなたの名前が載ってません。でも心配しないでください。今すぐ確認をとります」
「おいおい…」という感じです。
ホテルはネパールの山小屋の100倍近い値段です。
自販機で飲み物を買った後に気付いたのですが、ペットボトルのコーラが円換算で250円でした。
高いなぁ…物価高いなぁ…
お金は多い目に持ってきているので安心安心。
世界最強の商人の故郷。 まずはここから楽しんでいきましょう。目の前には地中海。 内陸部に住む私たち京都人からは縁の遠い存在です。
どこへ旅行に行く時もそうなのですが、観光地を周り歩くのも結構、でも地元の暮らしに触れてみるというのがもっと醍醐味があります。
持っていった本によると、テルアビブはロスに近いというようなことが書いてありましたが、そのロスを知らない、という場合はどうすればいいのでしょうか。そんなときはひとまず目の前の景色に触れてみればいいことです。
ただ、普通の街並みを歩くだけでも結構楽しいものです。
買い物に出かけてみると、やはり世界中どこでもヤンキーはいるものです。
日本のそれとは資本関係があるのでしょうか。
テルアビブの街を歩く人はみんな結構顔立ちが整っていて綺麗な人が多かったように思います。東洋人は珍しいのでよくナンパされるそうですが、確かに数回声をかけられたように記憶しています。
料理はひとまずどこで何を食べても美味しかったように思います。
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