ゴールデンウィーク中、友だちが家に来たり、娘と自転車で桂川を走ったりした時に、20代前半の「なんてことのない日」を思い出したりしました。
休みの日でも、特に何もすることはなし。
様々な同級生友だちも「新生活」で、違う世界に行ったようなそんな時期。
音楽業界の人たちに嫌気が差してステージを降りて、特に活動としては何もやることが無くなった日々。
世間的には、自分から音楽を取り除いたらそこそこ社会的には低評価であろう現状。
そんな「世間的にはほとんど何者でもない、どちらかというとクズや失敗作に分類されるであろう僕」を、トラブルを原因にしながらも、本当は「見込みなしの事故物件」と切り捨てただけなのかもしれない当時の彼女。
それでも何か情が残っていたのか、それともキープ的な厚かましさがあったのか、真意はわからないものの、しばらくは付き合ってきた彼女。
その人のことを、20年越しくらいに親友が「あえていわなかったけど、おまえの優しさだけたまに受け取ろうとするような、卑怯な女だとは思った」と言ってきたりなんかして。
実際はそうだったのかもしれないなぁ。
つまり、僕は、直接的にはそう言われたわけではないものの、一種の人格否定と、社会的烙印を押されていたのかもしれません。
「その当時だけ切り取ったら、俺もお前も社会的にはカス扱いだった」
まあ、そうでしょうね。
僕は、社会的な評価から逃げていたのではなく、本当にそれより大切なものを追い求めていました。
「生きて、それで?」
という感じです。
その感覚は一応自我レベルでは常にあります。
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つまり、一種の哲学の完成、哲学を超えたところの哲学、強いて言うならシッダールタが追い求めたものを、僕も追い求めていたというのが正解です。
しかしそれは、誰にも理解されません。
その人の視点、つまり、言い方は悪いですがその人の知能で見える範囲で「判断」されるので、「社会的な圧力からの逃げだろう」という程度にしか捉えられないことがしばしばでした。
本当に違うんですけどね。
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なんてことのない日、僕は「酒でも飲むか」などと思うこともちらほらありました。
それは、現実逃避や一時の楽しみのためではありません。
「もしかしたらリミッターが外れて、何かがわかるかもしれない」
という淡い期待です。
特に何もやることがなかった日、数冊の本を読んで、酒を飲み、単に頭痛がして何にもならなかった、という思い出もあります。
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誰に聞いても、何を読んでも、さほど収穫は得られず、という時もありましたが、何かの本にのめり込んで、その本を一秒でも早く読み、理解し、血肉にすることは、今後の人生にとって最も大切である、と思った日もたくさんあります。
世間的には、「そんなことをするくらいなら、何かしらの資格試験でも受けて、社会的評価を高めよ」というような論調で語ってくると思いますが、そうした「社会的評価」自体が、哲学より上に来るということはありえません。
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僕は常にそのような感じで過ごしていました。
その部分は、今でもさほど変わりありません。
世間では、たいてい世間的に羨まれるようなポジションにさえいれば自尊心は満たされ、幸福だろうというような推測がなされています。
しかし、それは完全に嘘です。
幸福論的な領域に入りますが、極論はそうした社会構造の中にはありません。
心と自我と現象の有様を捉えて、究極の安らぎに到達する以外にはありえません。
しかしそれはそんなに難しいことではありません。
難しいことではないのですが、簡単すぎて思考ではなかなか理解することができません。
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おそらく20代前半の頃、僕は当時の彼女を含めて、実はさんざんバカにされていたのでしょう。
しかし同じ土俵に立っていなかったので、僕はそうしたことを考えることもなく、また、相手からはため息をつかれていたのかもしれません。
どうして、ため息をつくのでしょう?
まるで幸福論は確定しており、自分はそれを理解し、実行しているが、僕はそれを理解せずに別の方を向いている、と言わんばかりです。
今となれば、どの階層ででもいくらでも語ることはできます。
経済社会的文脈から哲学領域まで、どのレベルででも語ることはできます。
しかし、ため息をつく人たちは、結局目の前のことだけを見て、短期的なストレスを回避したいがために、正論のようなものを提示しているだけです。
まさに「エゴ」。
それが答えです。
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安易に語る人たちは、自分の精神が本当に破壊される程度にまで、限界にまでいったことがあるのでしょうか?
シッダールタについては、その知名度や権威性などから、評価をして、同様の人については首を傾げるというのが社会的な自我の集合体です。
結局、ラベリングされた属性で判断しているだけです。
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桂川を自転車で走っていると、たくさんの春の花が咲いていました。
死に絶えた芸術家、芸術家に依頼した貴族たちが、いつまでも見ていたかった「現物」がそこにあります。
どのような高機能の機材を使っても再現できない生の現物、「肉眼で接触する」という最高解像度がそこにあるわけです。
価値や豊かさや富と呼ばれるものは、心しだいです。
そしてそれを感じることのできる安全もまた、価値や豊かさや富と表現しても差し支えありません。
何かに怯え、高度なセキュリティに大量のコストをかけている人がいる一方、家の玄関の鍵すら開けっ放しでいられることは、同一以上の価値があると「解釈」することもできます。
それを価値や豊かさや富のひとつであると定義することを、「それは違う」と世間は一蹴するでしょう。
ここに幸福論的定義の乖離があります。
しかし、同じようなことが例えば仏教経典に記述されていたとすれば受け入れ、僕が言うと受け入れない、というのが世間です。
別にそうしたことくらい、安心感という「効用」(これは曖昧)と、セキュリティにかかるコストから、経済学的に示すことも可能といえば可能です。
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20代のある日、それはなんてことのない日。
僕は違う景色を見に行こうとしました。
今の延長と言えば延長、でも、また違う平凡かもしれない世界に行こうとしました。
頭ではそんな感じで思い描きましたが、僕に残ったものは「世間的低評価」。
多分そんな感じです。
僕自身も、「この子を幸せにする」というようなものを、心底望んではいなかったのでしょう。
その後、「人を幸せにする」ということを考えてはいけないのか?
ということも思いました。
多分、ちょっとくらいズレがあるのでしょう。
つまり、その姿勢自体が、自分の世界を若干蔑ろにしているということです。
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20代のある日、その日もなんてことのない一日。
僕は、自分の病が治っていることに気づきました。
考えては否定し、しかし、本質的にはそうなのかもしれない、と受け入れざるを得ませんでした。
パニック障害期を支えてくれていた彼女は、文字通り、その病を「支えて」いました。
つまり僕は、結局、計算対象、思考検討対象として、他人を加えだすと、神経がパンクするということです。
また別の側面で考えると、限界まで破綻すること自体が、「再生」をもたらすという可能性もあります。
それらが阻害されていたのかもしれません。
倫理上で考えるとそのようなことを考えたくはないですが、それが本質なのかもしれません。
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そのようなことを当時完全に受け入れられたのかどうかはわかりませんが、少なくとも可能性自体は受け入れた時から、知性は爆発的に高まりました。
それから二年に一度くらいのペースで、世界を移動しました。
さほど変わっていないような印象でしたが、考えてみるとその後ずっとそのようなペースで世界が変わっています。
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20代のあの日々の中で僕は、本当に社会的な生活のあり方に関心がありませんでした。
世の中では、学業や社会人生活のスタートが重視される時期なのでしょうが、本当に関心がありませんでした。
キャリアビジョンという言葉に寒気がしていたくらいです。
個人的には、「で?」の世界なんです。
それは世に言うような結婚生活等々についても同様です。
「で?」の世界なんです。
存在と幸福の定義が曖昧なまま、なぜそれが確定事項のようなことになっているのですか?
ということです。
1000円の食事より2000円の食事の方が満足度が高かったとか、女子を見ると興奮するとか、そういう経験則からの思考的推測なのでしょうが、発想が低レベル過ぎると考えていましたし、今でもそのような視点は低レベルだと思っています。
たいてい何かしらで大人が困った時に考えるような「あの時こうしていれば、こんな結果にはならなかったのではないか?」という推測が集合しているだけなのではないかと思います。
論理でつじつまを合わせることは可能であるものの、本質的には「それとこれとは関係がない」というのが本当のところです。
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「そんなことを学習しても仕方がない。考えても意味はない」
そのようなことをたくさんの人に言われました。
しかし、なぜ仕方がなく、意味がないのかを僕が納得するレベルで教えてくれる人は一人もいませんでした。
そもそも、学習ではないんです。
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娘を自転車に乗せて川沿いを走る時、自転車の旅を楽しめるような人間になって欲しいという願いを込めています。
世の中には、飛行機やヘリコプターで昼飯を食いに行く暇人もいます。しかしながら、それもそれで良いですが、すぐそこにあるものを見つけられないような、どこか遠くにあるのではないかと彷徨うような世界にはいて欲しくありません。
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20代の頃、特に収穫もなく、何にもならなかったような日は数え切れないほどあります。
ただ、それでも少しずつは移動していたんです。
そんな少しずつの移動を待っていられないという人たちに影響を受けてはいけないんです。
よく見ると、単純に相手の都合ばかりですから。
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20代のあの日、気づけば病が治っていた日。
僕は誰のためでもない、僕だけのために、世界を生きて、世界を選んでいました。
他者の意志の集合体である僕の「自我」のためでもないような、そんな生き方です。
それからまた、「誰かのために」ということが重力を帯びるたびに世界は歪んでいきました。
そんなことを思い出した、初夏でした。
