懐かしのメロディ、いつかは全てそんな風になってしまします。
まれになか卯などに行くと、90年代のヒットチャートをカバーした曲がよく流れています。
カバーというのは原曲を超える同系列か、「こういうのもアリ」とか、「まるでコイツの曲みたいだなぁ、カバーなのに」というレベルでないと、してはいけないものだと思っています。
そういうところで流れるものは、ほぼ、というか完全に100%劣化しています。
結局売り出すのにお金がかかるのに、手元にお金のない業界が、なんとか食扶持を探しての苦肉の策だとは思っています。
昔は、いい曲がいっぱいありました。お金がかけられたという点もありますが、これだけは断言できます。
半端なラップを許していなかったから。
という点です。
メロディが作れないのにアーティスト
音楽には要素があります。
リズムメロディハーモニーはよく聞く話ですが、それに音色や乗せるコトバ(発音)、語感なんかもあります。
同じ音の高さ・長さで同じ声(音色)でも「あ」と「い」では音が異なります。
日本語は母音で終わり子音で終わることが外来語を除いて無いので、表現の幅が狭いと言われます。
そこをなんとかクリアしたのが桑田佳祐氏や桜井和寿氏、宇多田ヒカル氏だとかは言われますが、そんなことが本題ではありません。
アイドルなどは、音楽よりというよりエンターテイメントよりなので、もう議論の対象にもなりませんが、問題は、韻も意識しないようなラップを音楽としてしまうところにあります。
僕はeminemが結構好きだったりします。
もうこういう人と芸能系の「読んでるだけの歌詞」を同一視して同ジャンルにはして欲しくないですね。
本人たちもわかっているはずです。
「久石譲さんや小田和正さんの足元にも一生たどり着けない」
ナツメロ
ミスチルやスピッツは語るまでもありませんが、SPEEDなどを聞くと中学生の時を思い出します。
それにメンバーが同い年前後ですからね。ドンピシャで同世代です。
懐かしさといえば次のようなものの方がもっと強烈な印象を誇ります。
(動画は削除されたようです)
これで反応した方はおそらく同世代前後でしょう。
すべてがどんどんナツメロになっていきます。
過去記事⇒いつかはすべてがナツメロ
最終更新日: