カテゴリー別アーカイブ: 特別企画

特別企画

自然における目的

偏見のない探求者として、最下級の生物の眼および眼の形態の歴史を追い、目が徐々に発達してゆくその全体を証明する者は、見るということは、眼の発生のときの意図であったのではなく、むしろ偶然が器官をまとめたとき姿を現わした、という大きな結論に到達せざるを得ない。たったひとつのそのような例ではあるが、われわれは「目的」という迷いの夢から覚めるのである。 曙光 122 ご無沙汰しております。なかなか更新のタイミングがなく、やや停滞気味ですが、元気にしています。 「目的」という迷いの夢というのが興味深い箇所ですね。 さて、引用は

» 自然における目的の続きを読む


性に合わない

更新がやや滞っていますが、もちろん放置や閉鎖するつもりなど毛頭ありません。 さて、「性に合わない」というお題は、大抵のことについて書けそうですが、少し絞りましょう。 人の性格を分類するような占いやデータ等、世の中にはたくさんの分類方法がありますが、中学校のときに感じた違和感と、比較的最近出た手塚治虫氏の「ブッダ」の劇場版についてでも書いていきましょう。 中学校の時に感じた違和感 世の中には様々なタイプの人がいますが、それを分類してその人に合わせた売り方をする、ということはよくビジネス界で行われていることです。 中学

» 性に合わないの続きを読む


悪者

「孤独な者だけが悪い」と、ディドロが叫んだ。そこで直ちにルソーは致命傷を受けた感じがした。それ故に彼はディドロが正しいことを承認した。(中略)いたるところにお芝居だけを見てとる者の眼にとっては、やはり最も見事に悪いのである。 曙光 499 抜粋 世の中にはそこそこの悪者がいます。 しかしながら非難を受けて、少し肩身の狭い思いをしていることもあるので、悪者ながらに少し常に罰を与えられているような環境にいるということがあります。 それよりもさらにタチの悪い悪者は、社会の中で無害として扱われているか、その取り繕いによって

» 悪者の続きを読む


要求するな!

諸君は彼がわかっていない!そうだ彼は人間と事物とに軽々と、自発的に服従し、双方に対して好意をもつ。彼のただひとつの願いは、妨げられないということである。― しかしただ人間と事物とが要求することのない間だけである。あらゆる要求は、彼の誇りを高くし、遠慮させ、しかも勇敢にする。 曙光 498 昔から欲はあまりなく、怒りが強い気質です。もちろん根本は同じなのですが、傍からは欲に見えても、本人的には怒りであることがよくあります。 例えば「彼女がほしい」と言っても、欲々しい欲ではなく、「彼女がいないことによってソワソワする気

» 要求するな!の続きを読む


純粋にする眼

「じゅんすいにするめ」と打てば、案の定「純粋にスルメ」と出てきました。 僕はイカが食べれません。スルメはギリギリ食べられるものの、匂い、味、食感共に全てがダメです。原因は小学校のときの給食の「イカの煮付け」です。 なお、ぼっちゃん的な事柄になりますが、料亭で出てくる透き通ったイカは臭みがないのでぎりぎり食べられます。 さて、「純粋にする眼」です。 ニーチェはこの項目で、プラトンやスピノザ、ゲーテなどが出てきた後に「天才という名前が本来的にふさわしい他の人たちは、純粋な、純粋にする眼をもっている」と綴っています。 こ

» 純粋にする眼の続きを読む


悪い原理

静寂の中に身をおいていると、どんどん意識も身体も澄んでくるような気がします。 新居にはもちろんテレビなど置くはずもなく、携帯電話も机に放置。そんな風に少し世間(というかデジタルデバイス)と離れるだけで、意識の散らばりもどんどん集中へと向かいます。 インターネット環境が整わないので、以前と比べてはまだまだ更新頻度は少ないですが、もうしばらくすると頻度は上がってくるでしょう。 さて、「悪い原理」です。 アイツの原理 悪い原理ということで「アイツの原理」について少し触れていきましょう。 根底は生存本能的な恐怖心ですが、い

» 悪い原理の続きを読む


われわれの師

若い頃われわれは、師と案内者とを現代の中から選び、われわれがまさしく遭遇する範囲の中から選ぶ。現代は、他のいかなる人たちよりもわれわれに適した師を有するに違いない。あまり探さないでも師は見つかるに違いない、という無思慮な確信をわれわれは抱いている。 曙光 495 前半 「師と弟子たち」などで触れていますが、師というものがいた試しがありません。それぞれの分野における「師匠的な人」はいましたが、たいてい偉ぶっている人たちは師に値するほどの人ではなく、一度会っただけで、その人を超えてしまうことがほとんどでした。 言葉に詰

» われわれの師の続きを読む


勇ましい人の最後の論拠

そろそろ一回胡散臭い「自称コンサルタント」について書こうと思いましたので、そろそろそんな人たちのことについて書いていきましょう。 最近は出張が多く、様々な企業とやり取りするようなことが多くなり、特にほとんど「コンサルタント」に近いような仕事の形態の比率も上がってきました。 しかしながら世の中には自己啓発に感化されただけの「自称コンサルタント」や「自称コーチ」という胡散臭い人達がいます。 そうした人たちは自称の肩書上はコンサルタントやコーチなのかも知れませんが、いわゆる一般的なコンサルタントやコンサルティング会社とは

» 勇ましい人の最後の論拠の続きを読む


道徳的な刺蠅(さしばえ)

認識への愛が欠け、人を苦しめる喜びだけしかしらないあの道徳学者たちは、小都会人の才気と退屈さを備えている。彼らの残酷なまたあわれむべき慰みは、隣人を警戒することであり、隣人が刺されるようにそっと針をさしておくことである。彼らには、生き物や死んだものを捕獲したり虐待したりしなければ楽しくなかった、幼い子供の頃の悪戯が残っている。 曙光 357 僕は怒りそのものを否定していません。「人生で最初に本気でキレた瞬間」という題名で、少し触れたことがありますが、やはり「弱いものをいじめる」どころか、人間以外の生き物をいじめる様

» 道徳的な刺蠅(さしばえ)の続きを読む


自分の木で

甲。どんな思想家の思想を聞いても、僕は自分の思想ほど多くの満足を感じない。 曙光 493 序 甲。どんな思想家の思想を聞いても、僕は自分の思想ほど多くの満足を感じない。 bossu。どんな思想家の思想を聞いても、それが「思想」である限り、思想の領域を出ることはない。 というイントロで始まりました、「自分の木で」です。 「木」には、すごく見習うところがあります。「純粋な知性」で少し触れましたが、基本的に他の生命を殺さず、また、動くことを手放しており、同時に痛覚もなく、切られても泣きわめくことがありません。 「気になる

» 自分の木での続きを読む


南風の風下で

甲。僕は自分がもはや分からない!昨日はまだ僕の内面はひどい嵐で、それと同時にひどく暖かで、ひどく日当たりがよく― 極端に明るかった。しかし今日ときたら!すべては今や静かで、広く、憂鬱で、暗い。ヴェニスの入江のようである。 曙光 492 前半 苦しみへの勇気の時もそのような感じだったかもしれません。あの時確かに憂鬱で暗い感情を「どかん」と味わったような気がします。 その前の日までは極端に明るかったのに、急にシナシナになったというような感覚でした。 「すぐに戻るだろう」 そう思いながらも、その日の前日までが100だとす

» 南風の風下での続きを読む


やはりそのために孤独!

なるべく孤独のほうが煩いも少ないのは当然ですが、「『独りで歩む』 独立自由と対人関係」や「犀の角(結婚の偶然)」などなど、孤独に関しては何度か触れているので、「やはりそのために孤独」という項目を、「自分と関わる人のために」というアプローチで書いていきましょう。 自分と関わる人のために「孤独」を選ぶ 本当に笑ってしまうような話ですが、以前までは、関係が浅い人ほど自分と関わるとうまくいき、自分との関係が深い人ほど、自分と関わると「うまくいかない」ということがよくありました。 簡単に言うと、仲の良い人・関係が深い人に僕が

» やはりそのために孤独!の続きを読む


幸福の効果

幸福の最初の効果は力の感情である。この力は、われわれ自身に対してであれ、他の人間に対してであれ、表象に対してであれ、想像されたものに対してであれ、自らを表明しようとする。自らを表明する最もありふれたやり方は、贈ること、嘲ること、破壊することである。― この三つはすべて、ひとつの根本的な衝動をともにしている。 曙光 356 さて、「幸福の効果」というような胡散臭いタイトルが増えてきました。 そしてニーチェお得意の「力の感情」というような言葉も出てきました。 しかしながら引用の通り「力の感情」結果として挙げられているも

» 幸福の効果の続きを読む


崇拝者

いたく崇拝するあまり、崇拝しない人を十字架に掛けるような者は、自らの党派の絞首刑吏のひとりである。― たとえこの者と同じ党派であっても、われわれは彼と握手しないように注意する。 曙光 355 「いたく崇拝するあまり、崇拝しない人を十字架に掛けるような者」 世界中どこにでもこのタイプの人がいます。気に喰わない場合は、晒し者にしたり、時に抹消したりするタイプですね。 何度も触れていますが、そういったことは全てアイツの内にいるからこそ出てくる考えです。 これが宗教の嫌がられる最たるポイントです。 「どうせなら」ということ

» 崇拝者の続きを読む


こんな小さな真理!

「真理」という字を見ると胡散臭い印象がしてしまうため、あまり使いませんが、なぜ胡散臭い団体ほど真理という言葉を使うのでしょうか。 やはり、「あなた達の知らない真実」という旨で使うのでしょう。そして私は知っていて、教えてあげるから私を拝みなさいというようなことを思うのでしょう。 残念ですが、彼らの言う真理など「再現可能性のない妄想だ」と言われても、それを覆すことは彼らにはできません。 根本的に大前提となっている事柄がおとぎ話のような仮定であり、その根拠自体も文献が古いとか伝統的だとか、その程度です。 そんな宗教系の胡

» こんな小さな真理!の続きを読む


逆境のときの友人

「お金と異性が絡んだときの人間を信用するな」 これは高校生の時に同級生が、僕に説いた言葉です。 その一年後、夏目漱石氏の「こころ」によって、その言葉がズシンと響いたものです。 その同級生としては、何か直近に思い当たるフシがあったのでしょう。 同時に「だからオレを信用しろとは言わない」 と言いました(別にお金を借りてこようとしてきたとか、恋敵だったとかそういうわけではありませんでしたが…)。 意図的に相手を欺くつもりがなくとも 大抵の約束や行動は、最初から意図的に相手を欺くつもりがなくとも、時と状況によって、結果的に

» 逆境のときの友人の続きを読む


愛の浪費に反対

他の人々から愛着の幾ばくかを引き去るほどにひどくだれかからその愛着を与えられるとき、心が締めつけられるように感じる人間たちがいる。われわれは選ばれ、好まれたのだ、という声を聞き取るとしたら!ああ、私はこの選択に感謝できない。私をそんな特別扱いにしようとする人に恨みを抱くことを、私は認める。 曙光 488 中段 「特別扱い」というものにご満悦の方というものは醜く映ってしまいます。必要以上にチヤホヤされて、嫌悪感を抱かずに鼻の下を伸ばしているという姿はひどく醜いと思っています。 最近ではちらほら講師を引き受けたりする関

» 愛の浪費に反対の続きを読む


病気に対する思想!

病人が少なくともこれまでのように、病気そのものについてよりも、自分の病気に対する自分の思想についてより多く苦しむことがないように、病人の空想を鎮静すること。― これは重要なことだと私は思う!だからそれは些細な事ではない!さて諸君はわれわれの課題がお分かりになるか? 曙光 54 「さて諸君はわれわれの課題がお分かりになるか?」というような表現をするからこそ、ニーチェは言葉足らず感が指摘されるフシがあります。しかしながら何でもそのまま「わかりやすく」というのは、対消費者の書き方であって、文学的表現の場合は、あえてわかり

» 病気に対する思想!の続きを読む


恥辱

そこに立派な馬がいて、地面を引っ掻いている。それは鼻を鳴らし、乗馬を熱望し、いつも騎乗する人を必要としている。― しかし、おお恥辱!今日彼は跳び乗ることができない。彼はくたびれている。― これは、くたびれた思想家が自分自身の哲学に対して抱く恥辱である。 曙光 487 「恥辱」はよく胡散臭い人がマインドコントロールにおいて使う手法です。 別に胡散臭い人でなくても、晒し者にすることによって「自発的な退職」を迫ったり、はたまた義務教育でもムラムラを抑制しようと使われるやり方です。 見栄や恥に釣られる甘い客 恥ずかしいこと

» 恥辱の続きを読む


黄金と飢餓

彼が触れるすべてのものを黄金に変えるような人間が、時折いるものだ。ある日彼は、彼自身そのもののために餓死しなければならないことを発見するであろう。 曙光 486 前半 最近またよくいろいろなところから会社宛にDMが届くようになりました。 創業時も、法人の登記を見てたくさんの事業者が勝手に送りつけてきますが、会社が継続しているということが理由で第二段階ということになるのか、また、よくわからないDMがちょろちょろ届くようになりました。 会社宛なのですが、代表取締役宛、ということで僕個人宛です。 高級マンションや宿泊施設

» 黄金と飢餓の続きを読む


遠い視野

甲。しかしこの孤独はいったいどういうわけだろうか?― 乙。僕は誰に対しても怒りをもたない。だが僕は、友人たちと一緒にいるときよりも、ひとりでいるときのほうが、、彼らを一層はっきり美しく見るように思われる。そして僕が音楽を最も愛し、感じたとき、僕は音楽から離れて生活していた。物事をよく思うためには、遠い視野が僕には必要なように思われる。 曙光 485 実際に今この場で感じるときよりも、想像の上で触れている時のほうが美しく見えるというのは常日頃実感のあるような事柄です。 しかし、「その場」、「事実」をしっかり捉えられる

» 遠い視野の続きを読む


自分の道

われわれが決定的な手段を講じて、いわゆる「自分の道」に踏み入るとき、突然ひとつの秘密がわれわれの前に姿を現す。 曙光 484 序 何かを始める時、たいてい抵抗が起こるものです。 誰か賛同者を求めて、いろいろと公言して、それがよほどいいことであっても、単純にわかりやすい「都合が悪い」といったことから、「え、お前がオレより偉くなんの?」といったようなことで、抵抗が生まれることすらあります。 もちろんただ単なる恒常性維持の抵抗感、という場合もあります。これは自分も相手も持っているものです。 そういった時に、うまくやるひと

» 自分の道の続きを読む


苦しみへの勇気

われわれは現在のままの状態で、かなり多くの不快に耐えることができる。われわれの胃はこの重たい食物に適している。ことによるとわれわれはそれがないなら人生の食事には味がないと思うかもしれない。苦痛へのよい意志がないなら、われわれはあまりにも多くの喜びを逸するにちがいないであろう! 曙光 354 「いままで一度も、特に歓喜というものを味わったことがありません」 「おそらくそれは一度も『努力の末に勝ち取った』ということを経験していないからでしょう」 こういったやり取りが二十代中頃の頃に実際にありました。 実際に「苦しんで努

» 苦しみへの勇気の続きを読む


言論の自由

「真理は語られなければならない。たとえ世界が粉々に砕けようとも!」― 偉大なフィヒテは大きな口をしてこう叫ぶ!そうだ!全くだ!しかしわれわれは真理を実際に持たなければならないであろう!― ところがフィヒテは、すべての人はたとえ一切が混乱に陥ろうとも自分の意見を述べるべきである、という考えである。この点については、フィヒテとさらに論争することができる。 曙光 353 「言論の自由」という概念がありますが、どんなことであれ、それを社会が制限をかけてこようとしても、社会的制裁という圧力などがあるだけで、どんなことでも自由

» 言論の自由の続きを読む


人間嫌悪

甲。認識せよ!そうだ!しかしいつも人間として!何だって?いつも同じ喜劇の前に座るのか、同じ喜劇を演じるのか?この眼以外の眼では、物を見ることが全くできないのか?しかも認識に一層適した器官を備えた存在は何と種類が無数にありうることだろう!人類はそのすべての認識の最後に何を認識しているだろうか?― 人間の器官だって!ことによるとそれは認識の不可能性ということだろう!悲惨と不快だ! ― 乙。これは悪い発作だ― 君は理性から襲われたのだ!しかし明日になれば、君は再び認識の真中にいるだろう。それと同時にまた非理性のただ中に、

» 人間嫌悪の続きを読む