比較的最近まで浦島太郎だった僕は、陰陽の統合の完成からようやく現代に追いついてきました。
そのついでに最近本格的にAI(人工知能)を使っています。
「ほう、そこまでわかっているのか」
と思うこともあれば
「ほう、それが君の限界か」
となることもあります。
ひとまず今一番思うことは、「さあ君に返してもらおう」というような感じです。
具体的には、AIは人の情報を勝手に収集して、誰のものかわからないほどごちゃまぜにして整理することで、それまでの人間が自力で情報化したものを「自分たちのもの」にしているわけです。
構造としても行動経済学のセコいやり方のごとく、「収集して欲しくない場合はこのような設定をしてください」というものになっています。
「収集しても良いですか?」などという礼儀のある態度ではありません。
もうすでに取られているので、その部分はどうしようもありません。
それがそのままなら、単なる強奪者に奪われたままですが、その内容を取り返すこともできます。それが活用です。
何となく、これらから人々がこのように思って、このような行動を取って、このような結果になる、ということが見えています。
大いなる期待を寄せていろいろとやってみますが、特に結果は出ずに疲弊するだけで、そのうち飽きて程よい距離感が生まれる、というのが基本的な構造です。
部分的にはプロンプトがうまくなって、頭一つ飛び出す人達も出てくるでしょう。
ただ、やはり何でもそうですが、それそのものの利用価値は、使う人の視点によっていろいろと異なってきます。
パソコンを持っていても、仕事でフルで使う人もいれば、単なるブラウザとしてくらいしか使わない人もいます。車を営業に使う人もいれば、ただ洗車するだけで満足するお飾り利用の人もいます。そのような感じです。
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「ほう、そこまでわかっているのか」と少しありがたかったなぁと思ったのは、日本国内では情報が出ていないものに対して、アメリカを中心とした「公式ではないがそれに関連する専門家界隈の推測情報」を提示してくれたことくらいです。
そうしたものを呼び出して知っておくと、国内では最先端らへんにいけます。
そうした活用はいいと思っています。
ただ、それを知ってどうするのか、というところの方向性が問題です。これはその人自身が決めていくことです。
例えば知ったところでどうしようもないような政治系の話を「私は真実を知っている」と自惚れても、それから先何も打つ手がないのであれば無駄な情報です。
先に自分がどのような方向性を持つかというところが大切です。
ツールはあくまでそのために利用するものでしかありません。