
グラスマンの法則(Grassmann’s law)とは、ヘルマン・グラスマン(Hermann Grassmann)によって記述された加法混色に関する基本法則。
ヘルマン・グラスマンによって示された「グラスマンの法則」には、言語と色彩の分野があるが、ここではグラスマンの法則のうち、色彩に関する加法混色の基本法則を示す。色彩に関するグラスマンの法則は、第一法則、第二法則、第三法則、第四法則の4法則からなる。
第一法則
あらゆる色は3変数で表現することができる。
(いわゆるRGBによる表現)
第二法則
混色する二つの光の一方を連続的に変化させると、その見えもまた連続的に変化する。
第三法則
等色している色は、物理的にはどのような成分であっても、混色においては全く同じ効果をもつ。
第四法則
混色光の強度は、その混色したそれぞれの光の強度の和に等しい。
色彩理論の公理系とその現代的射程 19世紀におけるベクトル空間の先駆的直感
ヘルマン・グラスマンが1853年に提唱したこの法則は、色彩科学の歴史において特異な位置を占めている。彼は物理学者であると同時に優れた数学者であり、当時の色彩論が主観的な記述に留まりがちだった中で、色を数学的な対象として扱い、その操作に厳密な代数的構造を与えた。
この功績は、色が3つの独立した変数によって記述可能であるという「3次元性」を示した点だけには留まらない。現代の線形代数学におけるベクトル空間の概念を、抽象的な数学体系として確立される以前に色彩という具体的な現象を通じて予見していた点にこそ、真の洞察がある。グラスマンの法則が示す加法性や連続性は、色がベクトルとして加算可能であり、スカラー倍が可能であることを示唆しており、これが後のCIE(国際照明委員会)による表色系策定の数学的支柱となった。
線形性の限界と視覚生理学的なズレ
グラスマンの法則は加法混色における完全な線形性を前提としているが、厳密な精神物理学的実験を行うと、人間の視覚系はこの法則から逸脱する挙動を示すことが知られている。
代表的な例として「アブニー効果」が挙げられる。単色光に白色光を加えて彩度を低下させた際、物理的な主波長は変化していないにもかかわらず、知覚される色相が変化して見える現象である。また、輝度のレベルによって色の見え方が変わる「ベゾルト-ブリュッケ現象」も、グラスマンの線形モデルでは説明がつかない。これらの現象は、網膜上の受容体(錐体)から脳に至る神経伝達プロセスにおいて、対立色応答などの非線形な処理が行われていることを示唆している。
現代色彩工学における実用的な妥当性
視覚系の非線形性が明らかになった現代においても、グラスマンの法則が色彩工学の現場で参照され続けるのには理由がある。それは「工学的な近似」として極めて優秀だからである。
ディスプレイのキャリブレーションや、異なるデバイス間でのカラーマネジメントにおいて、メタメリズム(条件等色)の計算を成立させるためには、システムが線形であると仮定することが計算コストと実用性のバランスにおいて合理的である。CIE 1931 XYZ表色系をはじめとする標準的な色空間は、グラスマンの法則が成り立つことを前提に設計されており、産業界における色の標準化を支える共通言語として機能している。
生理学的基盤と数理モデルの融合
近年の色彩研究では、グラスマンの法則が成り立つ「入力レベル(錐体応答)」と、それが破れる「高次処理レベル」を明確に区別してモデル化する傾向にある。
LMS色空間のような錐体基本空間においてはグラスマンの法則は比較的よく保持されるが、その後の神経節細胞や外側膝状体、視覚野への伝達過程で複雑な非線形変換が加わる。最新の色覚モデルでは、この生理学的な多層構造を数理的に再現することで、従来の線形モデルでは捉えきれなかった色の見え(カラーアピアランス)を高精度に予測しようと試みている。古典的な法則は、現代の複雑なモデルの中に包含される形で、その基礎的な価値を保ち続けている。
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