リハビリをするために、小説を読むべく図書館に向かった。
楡周平の本があったので借りてみた。
「ゼフィラム」
表紙に車が載っていたことから、「自動車産業だな」とは思いつつ、
「あまり興味ないな」とも思いつつ借りてみた。
車が嫌いなわけではないが、むしろ運転は楽しいが、都市部に住むと費用対効果が薄すぎる。
なのであまりご縁がない車についていい機会なので考えてみる。
ついでに金融工学と言う博打×詐欺についても考えてみる。
さらに氾濫したモノと情報について考えてみる。
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誰の目にも明らかだろうが、もう規模を縮小せざるを得ないだろう。
本の中ではエタノールの生産を商社と合弁、エタノールを燃料とした車種の開発、いう結末で終わる。
「最近の若いやつは車欲しがらないんだってな」
という言葉も耳にするが、代替手段をたくさん知ってるからさ。
お金がかかりすぎるんだな。
最低生活費と言うのを、よくよく考えてみると良くわかる。
本当に必要なものは、そう多くはない。
一種の富の象徴にも思えるが、僕は高級車に乗っている人を二つのパターンに区別する。
普通に普通の感覚で乗っている人と
計算のできない自己破産型の浪費家として。
その浪費家が経済を循環させているとも言えるが、それが最も効率的かは別問題。
最近ではその浪費家も以前よりは減っているだろうし、ボーナスカットという現実を突きつけられれば、まず最初に目を付けられるのはちょうどローンで買うような金額のものになる。
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仕組む系のやつね、詐欺商品をよくもあんなに売れたものだと、感心はする。
でも詐欺だからやっぱりダメだな。
そして証券とか、金融商品に関して言えば、もう外回りをする営業の時代は終わる。
確かに60歳以上がたくさん金融資産を保有してるから、しばらくは続くのかもしれないけど、お金の勉強をせずにああいうのに手を出すのはやめといた方がいい。
かといって資金をタンス預金されると困る。
大いなる勘違いから世の中は回っている。
偏見のない目で見なければならない。
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おそらく頭は半分くらいまで回復してきたように思う。
「ありすぎて選べない」
これが現代の基本的な迷いの根本だろう。
そして「選べるようで選べない」と言う現実に直面する。
選ぶのがめんどくさいと言うのもあるし、結局最終的に選択肢に残るのは少数、と言うのもある。
そしてなぜか意思決定には責任が伴う。
しかし、選ばなければならない。
このストレスが日に日に精神を蝕んでいく気がしなくもない。
しかしながら、これを楽しみと捉えられると、充実と呼べるのであろう。
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人に相談してもどうにもならないことを相談してしまうのは、頭の中が混乱している証拠である。
本を読む速度で自分がどれだけ衰弱しているかがわかる。
明らかに衰弱している。
致命的なほどに衰弱している。
人と話しても根本には何の影響も与えられないのなら、活字と闘うまでだ。
―
僕がお金に興味を持ったのには理由がある。
家計を見直した時、真っ先に車の家計に対する圧迫を目にした。
車に罪はない。
だが、事実として無駄の最たるものであることは計算すればすぐにわかる。
住宅もそうだ。
大型テレビにしてもそうだ。
およそ日本人が描く「夢」というものは社会による騙し。
そして常にローンと言う手軽さに騙される。
もう最近ではそんな「夢」も無いのかも知れない。
しかし、おそらくまずは感情をコントロールできねばならない。
そして本当に必要か、考えられる頭を持たなければならない。
(2011年05月29日20:56)
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