不安の押し付け合い空間との縁切り
どうも社会において「不安の押し付け合い」をよく見受けます。これは各個人の問題ではなく、一時期の社会状況の変化とその時の情報汚染の影響だと考えています。 端的にはコロナ環境の影響です。その時についた「癖」とその影響による不安が根底にあります。 先に社会状況と情報汚染の影響の例について触れておきます。 体育会系の脳筋感や「脅して人を動かそう」という「ノルアドレナリンルート選択」は、おそらく第二次世界大戦をメインとした戦争の影響だと考えています。その時の社会状況における人の意識の最適化がそれだったという感じです。 そうい
情報の破壊
気力や体力がない時、「治そう、回復させよう」と考えます。それでうまくいくときもありますが、うまくいかないときもあります。 それはマイナス要因が大きすぎる時です。 このマイナス要因というのは何かということを突き詰めると、意図の障害になっている情報状態です。 また、治しても治しても復活する体のこわばりや痛みがある時、特定の情報による慢性的な緊張や炎症が潜んでいる場合があります。 なので表面的に治療しても、また緊張によって復活します。 何かしらの表現としての情報が残っているわけですね。 で、それを意識上の解釈変更で正そう
ドラえもん的視点
ふとドラえもん誕生の時の藤子・F・不二雄氏を思い出したのですが、その誕生の時の発想やマンガ自体が「現代の哲学がようやく追いついてきている視点」であることに気づきました。 大きく分けると ドラえもん誕生の時のF先生の思考 「タイムマシンがあったら未来の自分からアイデアをもらってくるのに」 という点、そして 「ドラえもんの世界自体がパラレルワールドであるということ」です。 前者はやや大乗仏教的です。 後者は「量子的な重なり合いの解釈」として現代の哲学でようやく追いついてきた考え方です。 ドラえもんというものが普通の社会
肚の据わりと集中力・やる気のルート選択
肚の据わりとやる気について、そして集中力・やる気のルート選択でも触れていきましょう。極めて大まかに軽くだけ触れておきます。 大きく分けると肚(はら)の気と、「集中力・やる気のルート選択」についてです。それぞれ別々のことについて触れますが、前者は東洋的、後者は西洋的かもしれません。 肚(はら)の気 まず、肚(はら)の気について触れていきます。気と呼ぼうがプラーナと呼ぼうがそのあたりは何でも構いません。 まあいわゆる下丹田、臍下丹田であり、あえてまとめると第一・第二チャクラについてです。第一は会陰や尾骨、第二は小腸・仙