本調子どころかさらに力強くなった僕は、物事を強烈に展開させています。厳密に言うと自我としての「僕」が展開させているのではないのですが、主観的感覚としてはそのようになっています。
最近気づきましたが、調子が狂う原因の第一番目は「睡眠不足」ではあるものの、慢性的な「話が通じない人とのやり取り」というものがその次くらいにくるのではないかと思ったりしています。
確か霊長類のボスか何かの事例で、自分の声が群れのみんなに聞こえない=言うことを聞いてくれないというようなことが続くとセロトニンが不足し鬱になるというような話を聞いたことがあります(詳細は忘れました)。
僕の場合は傲りでもなんでもなく自分に不足があったとは全く思っていませんが、実質的に話が通じない人と否が応でも接さなければならなかったという状況がここ数年続いていました。
そのため、ジワジワと気力を削られていたのではないかと思ったりもしています。
ちなみにこの場は、自分自身の負のエントロピーを働かせる場であり、そうした情報の空間を抽象化していくような作業を担っています。すなわち、話が通じない人から浴びたものを昇華するような感じです。
で、最近は本調子以上の調子を取り戻したので、「秘めたる力」を使っています。
これは何かというと、僕だけしか持っていない「経験の情報」を呼び出して使用するというようなものです。
怪しさ抜群の密教的ですが、理屈としては簡単です。
感覚的には「あの時の僕」を呼び出すと言うだけです。
誰でも昔の感覚、思い出を思い返して瞬間的にやる気になったりしたような経験はあると思います。その延長のようなものです。
ただ、時に一種のペルソナのようなものも発動するので、抜群に口は悪くなったりもします。
どの「僕」を使ってもいいですし、統合することもできます。気力だけ得ることもできます。
「話が通じない人」は、いくつか類型があります。話が通じないだけならばいいのですが、謎の強気を持っている人もいます。言い方は悪いですが、頭が悪い上にゼロ百思考で少し障害が入っています(「雑」の極みとしての発想の人などがいい例です)。そういう人は周りが気を使っているので強気をキープしています。
で、そういう人に強気に出られるということは、ナメられているということになります。
「ふざけんな」
というのが一種の「秘めたる力」です。
この「秘めたる力」は、裏に愛情があります。なのでかなり強いです。
戦ったり抗ったりする必要はないのですが、「ふざけんな」という気迫を呼び出すということですね。
個人的には何を思われても全く問題がないのですが、力を呼び出します。
養子のうさぎと共に歩んだ日々を思い出します。
妻の寝顔をこっそり見に行って、深夜業務をしていた日々を思い出します。
娘をおぶったり、一緒に歩いたりした日々を思い出します。
病に倒れてまともに話せなくなった母との関係性、母の印象がそれまでと変わりそうなところを、変えずに踏ん張った日々を思い出します。
小さい時から倒れるまでにしてくれた全てを否定させようとする後遺症の叫びに対して、「それでも母は母なのだ」と一種の奮闘をした日々のことを思い出します。
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「おのれらにナメられる筋合いはないよ」
というのが「秘めたる力」、換言すれば「オリジナルの秘伝の気」です。
これは僕のオリジナルです。僕の経験ですから。
しかし誰しもにそのような思いはあると思います。
それぞれの人にそれぞれの「秘めたる力」があるはずです。
それをいつでも身につけておいてください。