人は焦ります。焦ったときは当然にそわそわしているので、それを苦しいことだと感じますが、ゲーム中に焦っているときは、「エキサイティング」を楽しんでいるだけで、特に苦しんでいるというよりは純粋に楽しんでいるはずです。苦しいのならすぐにやめられるのですから当然です。
想像力というものは強力なので、「なにか大変なことになるかもしれない」というイメージは相当自分を焦らせてきます。ところが、実際になにかが起こってもそれは大変なことではありません。腹痛のような激痛がくるのならまだしも、たいして自分には何のダメージもありません。ほとんどの場合腹痛はストレスからきます。じゃあそのストレスをストレスと感じなければ腹痛はきません。
競争させんのね
以前、北海道で酪農を営んでいるタレントが、バター作り体験を盛り上げる囃したてとして、「特に男の客の場合、競争させんのね」というようなことを言っていました。
その言葉遣い自体が、「え、オレ、競争させられてんの?お前に?」という具合に、京都では「そんな言葉遣わはんにゃったら、うちの敷居は跨がんといておくれやす」となりそうなほど横柄ですが、特にこのタレントに限らず、社会ではよく競争させる、勝ち負けを決めさせる、ということを用いて人を奮い立たせようとします。
そんなことはゲームだけにしてみよう
上述のタレントの例は、まだ「ゲーム」なので笑い話にもなりますが、「同期のあいつに数字で負けて悔しくないのか!」と体育会系の脳筋上司に詰められた時は、本当に「悔しくない」ので、返答に困ったものです。
僕はもうだいぶ前から勝ち負けにこだわったことはありません。
勝ち負けのある世界は、ゲームくらいにとどめておいていただきたいものです。所詮ゲームなのに、何かたいそうなものとして作られた世界があります。それはスポーツです。遊んでいるだけで、何か一般人とは違うというような傲慢さを醸し出してきます。当の本人はそれを意識していない場合もあるでしょう。
スポーツなど遊びであり、特に価値のあるものではありません。あくまでエンターテイメントとしてのメディアコンテンツなので、スポンサーメーカーや広告屋が、それを価値あるものかのように盛り上げているに過ぎません。
一般の方
たまにタレントが、「お相手は一般の方です」という言葉を使いますが、あれはどういう意味なのでしょうか。
一般の対義は特別です。民法は私法一般法ですが、商法は私法特別法です。
「自分たちは一般ではない特別」という意味合いで使っている以外に考えられないのですが、「芸能人以外」「この業界以外」というふうに言い換えていただけないでしょうか。
蓋を開けてみればテレビアナウンサーだったりしますが、それは「この業界以外」ではありませんね?
「自分たちのいる狭い世界以外」=「一般」という認識でよろしいでしょうか。きちんと定義して、広辞苑の出版元なりに提案していただきたいものです。
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関係あるような無いような話で、相当脱線しましたが、「生きるって悲しい」です。
生きるって素晴らしい
何かと比べることをやめたとき、そこにはただ単に純化された現象だけが目の前を通り過ぎていきます。
それとあれ、これとあれ、何かと何かを繋げて解釈を入り込ませて、異質な感情を発生させているものがあります。
その感情すらも、ただ単に自分を通り過ぎるのだとしたら、そんなものに一喜一憂する必要はありません。また、一喜一憂してもかまいません。その選択肢は常に自分にあります。喜怒哀楽愛憎を筆頭に、楽しみ放題です。
ともすれば「生きるとは」ということで、それがどういうものであるか考えようとしますが、変な宗教書やスピリチュアル関連本を読むより、雑草と呼ばれる植物やたくましく生きる野鳥や家で寝そべっているうさぎに問いかける方が、より的確な答えを示してくれます。
過去記事⇒生きるって悲しい
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