悪く考えることは、悪くすることを意味する

悪く考えることは、悪くすることを意味するということで、「悪く考えること」についてでも書いていきましょう。

意識の中には遮蔽効果があります。五感からも、意識からも大量の情報がやって来る中で、省エネルギーのために、「すべてを見ずに一部のものだけを見る」ということが起こっています。

そういうわけで「悪く考える」ことは、ある種無属性の対象の中から「気分を害するもの」を中心に意識に上げ、「悪くする」ことを意味するという感じにもなります。

そして、一般的に悪いことが起こった時、その結果を操作しようとします。

しかしながらよくよく考えてみると、「悪いこと」とは何でしょうか?

もし客観的な物理世界があったとして、目の前に展開している「自分の現実」はそうした世界とは別物であり、客観世界は無属性です。

客観世界は無属性

例えば、1万円で買ったコーヒーカップを落としてしまって、中身のコーヒーは飛び散り、コーヒーカップは粉々になってしまった、というのが物理世界で起こったとしても、それには良いも悪いもありません。

自分の家で大事に育てている松の木が台風で折れてしまった、ということが起こったとしても、その時「おいおい…」と落胆したとしても、あなたは数キロ離れた山奥で同じ現象が起こっていることを気にもしていません。

つまり、自分が育てた松のことにしか関心がないのです。

そして、「自分」が「育てた」という記憶から、落胆しているだけで、物理世界で起こった現象自体は無属性です。

ということは、「悪いこと」というのは、客観世界が存在していたとしても、それを思考に入れて現実と記憶がごちゃ混ぜになった時に起こる反応にしかすぎません。

現実と何かが入り混じっている、ということでいわゆる変性意識です。

勝手に思い浮かんでしまう

で、たぶん人間くらいにしか起こらないのですが、先ほど「コーヒーカップ」という文字を見て、何某かコーヒーカップを思い浮かべた人もいるでしょう。1万円と見れば、1万円札か、その金額の感覚かはわかりませんが、何かを思い浮かべるはずです。

でもこれは、本質を言えばパソコンやスマートフォンの画面が映し出す光の差でしかありません。

だから動物が画面を見ても、現実的な物であるコーヒーカップのイメージなどは出てこないのです。

今現在、手元になくても想起することができる、そして文字を見ただけで勝手に想起されてしまう、そんな現象は、能力でもあり煩悩の原因であったりもします。

無属性に属性を与えるなら

何かにつけてラベリングし意味を与えるということをしています。

そうして無属性のものが属性を帯びてくるのです。

そいうわけで、一番いいのはそうした現象の域を脱してしまうことですが、それがいまいち腑に落ちない時は、自己啓発にありがちなポジティブシンキングでもしておくと良いでしょう。

歩いていて犬の糞を踏んだとして、それは無属性です。

ただ、一般的には「最悪だ」と思うでしょう。

特に家から遠く、洗おうにも洗えない、近くに洗えそうな公園もない、しかも初めてのデートで待ち合わせ時間5分前だ、と。

しかしながら、踏んだ瞬間に

「セーーーーフ!!!」とでも言ってしまいましょう。

もっと最悪のケースを考えれば、滑って転んで頭を打つ可能性だってあります。

そう考えるとセーフです。

占いにハマっているような人であれば「運をつかんだ」とでも思えばいいですし、何かにつけて笑いの方に持っていく人であれば、「ネタが一つ増えた」とでも思っておくと良いでしょう。

悪く考えることは、悪くすることを意味する 曙光 76

Category:曙光(ニーチェ) / 第一書

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