本日、痛みはほとんどないですが、「春の爆下痢」のため、体力的には衰弱しています。
清々しさも、希望もなく、爽快感もありません。そしてやる気はもっとありません。
やる気はないのですが、やる気など無いくらいの方がちょうどよいと思っています。
やる気はありませんが、徹底的に「素」です。
何かをやろうという気もなければ、治そう、回復しようという気もありません。
ただ、このコンディションの方がやりやすいこともたくさんあります。
そのひとつが投稿です。
ということで記述しています。
例えば「こうした方がいいのかな?」的な、ある意味社会性のあるような検討がありません。なので投稿には最適です。
近年、「何がそんなに物事を難しくさせているのだろう?」と思うことが多々ありました。
それはおそらく、空間の抽象度のズレがもたらしているのではないかと思っています。
物理・生理レベルのことを、社会という空間で考えてはたいてい誤りを生みます。
昔から、「大峯山が女人禁制などというのは許せない!」などと群れて叫んでいる人たちは、「股間が凝っているだけ」と言っているのはそこにあります。
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様々な苦しみのうち、個人的に嫌だなぁと思うものの最たるものは、「良い思い出もたくさんあるはずなのに最後の思い出によって、オセロがひっくり返るように嫌な印象になる」というようなものです。
しかもこれは、自分は全く関係ないようなところで、「当たりやすいから」と相手が八つ当たりをしてきてひっくり返ることもあるということです。
ただそこでどう捉えるかということを考えた場合、物理・生理レベルが絡んできます。
本当にロクでもないのは関係を消滅させた方が良いですが、社会関係性のレベルで物事を考えずに、相手の疲労などが根本原因としてあるのだということを考えてみるというのも良いのではないかと思います。
すると相手を恨むことなく、とにかく自分だけは落ち着いて反応しないでおこうと思えます。自分の神経まで過敏になると良くありませんから。
というのが思考領域でできる一つの工夫であり、その限界です。
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「徹底的排出」ということで、身体レベルでも「爆下痢」ですが、その他いろいろとクリアにしていっています。
(ちなみにどの程度の下痢かと言うと、夕食時に食べたフリルレタスが数十分で緑のまま出てくるレベルです)
幅広く拾うより、ある意味尖らせて、ある意味絞り込んで、よりコアな部分のみを大事にしようというようなことです。
そういう感じで、いろいろと捉え直した時、とりあえず身体でも社会でもないレベルで物事を捉えるようになってきました(それが本来の僕です)。
普通に「この人と繋がるように楽しく過ごしたい」と、身近な人達に思ったりしました。
20代の頃に、「あなたは駆け引きもできない」等と言われて違和感を持ったことがあります。
その違和感はやはり正しかったと思います。
駆け引きとか責任などというものは、社会レベルであり、そんなレベルで世界を見ていると、「つながり、溶け合うような感覚」は一生やってこないんです。
責任等々で、「嘘でも不本意でないが、本心でもない」という状態にある相手を半ば無理矢理駆動させる方法の空間にいる人達には、永久に安穏はやって来ません。
そうした空間にいるからこそ勝ち負けや上下関係などという体育会系発想で、時に優越感を時に劣等感を味わうことになるという格好です。
ある程度、取引と責任というものがあってもいいですが、そうしたものでしか安心できないと言うか、責任などという「あってないようなもの」で、無理に相手を動かそうとすると、要求水準に満たない場合に苦悶することになります。
しかし裏側で、不本意な負担を自分が負わされていると感じるなら、それも同様に放棄すれば良いのです。
一貫性がないことへの認知的不協和を避けることを意図して、論理的整合性がありそうな、駆け引きや責任などという概念を振り回しているだけです。
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「素」にシフトしていった僕は、娘と梅田に行きたくなりました。
そこで二十年近く前、無許可の路上ライブをしていた人たちを思い出したというのが理由のひとつです。
「そのうち警察が来ますが、来るまでやります。一秒でも長く、やらせてください。なので、囲むように輪になってくれたら、ちょっと嬉しいです」
というような感じでした。
いろいろなルールを飛び越えて、何か表現したいことを、偶然その場にいる人たちに向けて伝えている感じが、何だか良かった気がしました。
そういう空気を少し感じたかった、というような意図があります。
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徹底的排出の最中、自覚はなかったですが、顔は結構やつれていたようです。
でもそんな中だからこそ、より一層「素」になっていました。
そこで思ったことは、「妻と二人で少しだけどこかに行きたいなぁ」というようなことや、ビジュアルバムレベルのコントを作りたいというようなことです。
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そういえば梅田での昼食時に、ビルの5階ながら黄色い蝶が、僕たちのいる窓よりさらに上に向かって飛んでいきました。
そんなに高く飛んでどうするのかは知りませんが、そこに何かがあるのでしょうか。
窓に映った自分の姿を仲間だと思って追いかけているのでしょうか。
その真意はわかりませんが、おそらくその瞬間を一生忘れないだろう、と思ったのでここに記しておきます。
