ひとことで触れていましたが、先日奈良県吉野郡天川村にある大峯山(大峰山・山上ヶ岳)に行きました。日本で唯一の女人禁制の山です。
基本的に登山のシーズンは5月から9月であり、山頂の大峯山寺も閉まっているような季節です。なお大峯山寺は世界遺産に登録されています。
約十年前の夏にこの山に登り、西の覗きと言われる崖に吊るされる修行などをしました。
そして、養子のうさぎが亡くなったこともあってか、なぜか養子と出会う以前の意識が舞い戻り、この場所に再び訪れたくなりました。
スケジュールの都合上、12月に入ってから行くことになり、山の上の方は雪山になっているような状態で登山することになりました。
女人結界門
ここ大峯山(大峰山・山上ヶ岳)は、修験道の行者が修行をする女人禁制の山です。
山の入口には女人結界門が設置されています。
山の麓ですら携帯の電波は届かず、シーズンオフで誰もいない空間であり、女性に会う確率はほぼゼロであるという最高の条件です。
個人的にはなるべく自然に触れる時は独りで過ごしたいと思っています。
周りに誰もおらず、自然と己だけの空間を満喫したいと言う感じだからです。
特に山ガールみたいな感じで場違いのスカートをはき、Instagramなどに写真をアップすることを目的としたような人と同じ空間にいなくていいというのが最高です。
山を感じることよりも、その後に人に見せびらかせることを目的としているという点がノイズです。それは、食事に関しても同じでしょう。
目の前のものを全力で感じること以外に意識が向いている人と同じ空間にいるのがバカらしく思います。
ということで、この僕という自我と自然だけの空間で、いかなる意識のノイズも入らない状態というのが最高の贅沢でした。
山を登るに連れて極寒に
大峯山(大峰山・山上ヶ岳)頂上へ向かうため山道を進むと、台風の影響で倒れた木がたくさんありました。
最初の方はそれほど積雪していませんでしたが、途中からはかなりの積雪です。
少しわかりにくいですが道中の洞辻茶屋というところらへんにある温度計によると、マイナス6℃という気温でした。
昨年11月くらいに遭難した人が後日遺体で発見されたということで、前日に泊まった旅館の人に登山を止められましたが、冒険心の強い僕はお構いなしです。
だいたい8合目あたりで上記のような積雪量です。
面白かったのが、頭にタオルを巻いて歩きつつ、登りでタオルが僕の汗でびっしょりになったものの、タオルの結び目以降肌が触れていない部分が凍るという現象が起こりました。
マイナス6℃で突風が吹いていたため、当然といえば当然なのかもしれません。
道中、岩肌からカールした水晶のような霜柱のようなものが出ていました。
大峯山(大峰山・山上ヶ岳)から見る景色
頂上付近に行くと周りの雪山の景色を望むことができます。
他に誰もいない空間でみるパノラマは最高です。
洞辻茶屋以降は結構急な勾配の階段が続き、雪が積もっているため足場は悪かったですが、最高の景色でした。
登山の道中の思い出
女人結界門からスタートし、最初の30分から45分位は地獄のような息苦しさでした。
すぐに息切れし、口からいろんな臭いがしてきて自分でも不快でした。
この時点ではそれほど地面の積雪もなく、勾配もそれほどだったと思うのですが、ひたすらに呼吸を通じて体を浄化しているような感覚になりました。
大峯山(大峰山・山上ヶ岳)は頂上まで登り2時間半か3時間位で、普通は後半のほうが疲れているはずですが、最初の30分から45分位が経過したあとのほうが楽でした。
全身から汗が吹き出ていましたが、息が爽快になり臭いもなくなり、という感じです。
最初の休憩スポット一本松茶屋で腰を下ろした頃には、既に苦しさはありませんでした。
で、道中の道を見るとどこを見渡してもすごい情報量だなぁということを感じました。模様と考えれば気が狂いそうなほどの情報量です。
女人禁制であり、人が歩いていたとしても修行者的な人くらいで、さらにシーズンオフであるため誰一人おらず社会性は全くゼロです。
心の底からこの場所を体感するということに集中することができました。
既に雪で覆われた状態になっていたため、動物の気配はありませんでしたが、途中でなぜか「熊は出るのだろうか?」というようなことをふと思いました。
しかし既に自然と一体化していたため、「出ても大丈夫だ」というようなことを勝手に思っていました。
山道と自分だけの空間で、人による意識のノイズも全く無く、きれいな空気に包まれて、体も頗る快調になりました。
女人禁制について
古来から山は神聖な場所だとか、一礼してから登るものだ、という伝統があります。
大峯山(大峰山・山上ヶ岳)では、以前に女人禁制ということにアンチだという団体が、女人結界門を突破して一悶着あったそうですが、明治以前は神社なども概ね女人禁制でした。
おそらくそれ以前の女人禁制は、一方で儒教的男尊女卑の構造、権威性の保持のためという社会的な都合があったのかもしれませんが、その真意自体のひとつとして、「意識を荒らすな」という面があったのかもしれません。
京都の観光地においても、神社で敬虔な心持ちで一礼しているのは概ねおじさんやおじいさんです。もしくは、おばあさんなどです。
それとSNSに写真をアップするためにその場所に来ている若い女性を対比して考えてみましょう。
心を静めるための場所が、煩悩で満たすための踏み台の場所として解釈されているフシがあります。
それはフレームの問題で、その場所を自分の気持ちを高ぶらせるための遊び場であると解釈しているか、自分の乱れた意識を整えるための聖地だと解釈しているかという問題でしょう。
理屈で言えば、女人禁制である必要はありません。
しかし、「心静めるための場」において、騒ぐ人たちをとりあえず排除するということが元の目的だったのでしょう。
だから女人禁制という風習よりも、「心を静める気がない人は入らないでください」という感じならそれでいいと思います。
若い女性に限らず、若いふざけた男性や、観光バスに乗ってやってきて写真を取ることに必死なおじさんおばさんの団体でも同じですからね。
せっかく山と一体化したような心持ちになり、呼吸は整い、心身ともに健やかになった状態のところにノイズが入るのは嫌だということになりましょう。
また、山に関して言えば、元々女性は体力的関係や動物に襲われたときのリスクが高く、同伴で行くと女性の身の保護に意識が多少持っていかれる、という面があったのかもしれません。
それは山の危険性から女性の身を守るという意味でもあり、同時に男性の意識において女性に意識を向けずに100%山に意識が向くように、という意味があったように思います(いざという時の保護と同時にカッコをつけようという意識を含めて)。
原始仏教においても女性の出家が最初の方は認められていなかったのは、衣一枚の女性が野宿するのが危険だからという配慮でした。
在家の国王の配慮により、原始仏教の団体に精舎が寄贈されてからは女性でも出家が大丈夫になったことから考えても、本来仏教に女性蔑視の考えはありません。
大峯山(大峰山・山上ヶ岳)は修験道の山であり、修験道は仏教的要素がありつつも神仏習合後にできたもので日本特有の考えを持っているため、また別の考えなのかもしれません。
私有地において、特定の人しか入れないのと同じくらいに考えておくと良いのかもしれません。
料金を払わないと入れない場所においては、お金のない人を事実上禁制としているとも取れます。
また昔エルサレムに行った時、ムスリム(イスラム教徒)区画のある場所に入ろうとするとムスリムに止められたことがありました。
彼らとしても、イスラムの聖地にイスラム教徒以外が入ると「意識が乱れる」という風に思っているはずです。
「せっかく山と一体化したような心持ちになり、呼吸は整い、心身ともに健やかになった状態のところにノイズが入るのは嫌だ」
というのもそれと同じようなものでしょう。
女人禁制などそれと同じような形だと考えておくのが無難でしょう。
日本一頭がスッキリする場所
これは個人的な感想ですが、この大峯山(大峰山・山上ヶ岳)は日本一頭がスッキリする場所だと思っています。
今回の訪れでも身体と意識がかなりスッキリしました。毎日爽快です。
その理由のひとつは空気のキレイさを筆頭に自然の力ということになりますが、何より一切の社会性が排除され、無意識レベルでの緊張が無くなり、己の身体のみがただそこにあるという体感がやってくるからでしょう。
誰一人いない空間は、遭難時などの生命レベルでのリスクは高まり、身体的、本能的緊張は普段より増すのかもしれませんが、一方で可能な限り「誰もいない」という空間は、人に対する緊張が消えていきます。
どうしても誰でも登れる山で、普通の観光客のような人がいる「可能性」があると、無意識で社会性を帯びた緊張が走ります。
極端な例を言えば、もし女性が山中にいる可能性があれば、「全裸で歩く」という選択肢は制御されます。全裸で歩いていたら変態だと思われる、という制限がかかるわけです。
僕は坊主頭ですが、長髪の人なら「髪型が変になっていないか?」みたいなことを煩ってしまう可能性があります。
しかし、女人禁制であり、かつ、だいたい修行者かワンダーフォーゲル部くらいしかいない山であれば、少しは無意識の緊張が解けます。
同時にオフシーズンだったので誰一人いないとなるとさらに緊張が解けます。
コンビニのトイレかビジネスホテルなどに一人で泊まったときのトイレかどちらが落ち着くか、という感じです。
山道であり、身体的な危険は増えますが、社会的な緊張はほとんど無くなります。しかしそのためには独りで登る必要があります。同伴者への気遣いがあると、完全に山には意識が向きません。
そうやって無意識的な緊張が身体的な緊張だけになると、まさに動物としての自分と山との関係だけになり、より一層体感だけの世界になります。
山と自分との関係では、言語が意味をなさなくなり、また、人と出会う確率がなければ無いほど、言語を介してコミュニケーションを行う可能性がほとんど無いからです。
携帯の電波も圏外ですし、横やりが入る可能性もありません。
そういう意味では、日本一頭がスッキリする場所としての条件がかなり揃っている場所です。
おそらく日本全国を探せばもっと良いところもあるのかもしれませんが、僕の中で現時点では日本トップです。
帰りには温泉
大峯山(大峰山・山上ヶ岳)の麓には洞川温泉があります。
登山前日には旅館の温泉に入りました。登山当日の朝にも入りました。
そして帰りにももちろん温泉にという感じですが、温泉街の方は定休日だったので、天の川温泉の方に行きました。
2日で4回温泉に入りつつ、大峯山です。
全身の構造が変化したくらいにスッキリしました。
体中が気で満ち溢れています。
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