精神や、知識や、心情を備えていながら退屈であるという秘密に通じ、退屈を道徳的なものと感じることに馴れているドイツ人は、― フランスのエスプリに対して、それは道徳の眼をえぐり抜きはしないか、という不安を抱く。 曙光 193
エスプリ(esprit)は精神というような意味ですが、フランス語のためフランス的な精神という感じで使われます。まあ日本で言う「大和魂」「島国根性」といった感じで捉えても問題ないでしょう。
フランスについてもフランス語についても特に関心がなくほとんど知らないので、エスプリについては特に触れることがありません。
ということで退屈とやる気についてでも書いていきましょう。
退屈とやる気
人は特に「行動することが嫌だ」ということはありません。生きていれば何かしら動きはありますし、遊びに行くという行動自体は大体の人が好きな行動です。
しかしながら「寝ていたい」と思うときもあります。
起きて何でも行動できるとしても、なぜか寝ていたいと思うことがあります。
そんな時に何か手軽な娯楽でも、と思ってもそれすら面倒だと思うはずです。
目標がないとやる気は出ない
頭というものはすごく手抜きで自分勝手です。
目標を定めるとそれに縛られて息苦しくなる一方、目標がないとなかなかやる気というものは出ません。
ものすごく自由を感じていても、可能な限りに自由に振る舞うかと言えばそうでもありません。
自由な環境でも「やることがない」
自由な環境にいたところで、やることがないのです。
そんな時は目標も定め放題ですが、「さてどんな目標を定めようか」と思っても、特に何も浮かびません。
無理やり定めても、それほどの情熱は起こらないので一過性で終わります。
極めて退屈です。
退屈なことにも飽きたのに、特にやることもない、そんな感じでいるとやる気などどこからも湧いてくることはありません。
体を復活させる
そんな時、ひとまずは体を復活させてみるというのも良いかもしれません。
本能を呼び起こすのです。
実は意識の奥に、嫌な感情が残っていることがあります。
でも気力不足で、それすら目に映らないという時があります。
しかしながら本能が復活した場合は、そうしたものへの怒りを発見し、それがパワーになることがあります。
そこで程よい目標が見つかったりするのです。
平均化による魅力の減少
人と人が同じ空間にいると同調して意識が平均化していきます。
男女が同じ家に住んでいると、平均化されていって男性的魅力、女性的魅力がそれぞれ半減していきます。
それは一種の中性的な安定をもたらしますが、その分本能も覆い隠されていくのです。
そうなると、男性の場合は闘争心が無くなっていきます。誰かと闘う必要はありませんが、パワーが半減していくのです。
これは女性ばかりの職場にポツンといる男性にも当てはまります。
突破口を開くなら、呂布のようになる必要があります。
○玉を限界領域にまで活性化させる必要があるのです。
と言っても、大した事はする必要はなく、クンバハカを少し意識するだけで徐々に復活してきます。
エスプリと道徳 曙光 193
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