自己嫌悪に陥るような思考や行動のパターンがあったとしても、その嫌な部分を消そうとしてはいけません。
そのパターンとしての情報というものは消すということができません。無限の可能性、解釈可能性、論理的な整合性としての形としては、本質的には空(くう)ですが「ある」というような感じなので、消すということはできません。
結局、現象を決めているのは「意識の向き」だけです。
それはそうなのですが、染み付いたパターン、臨場感の高いパターン、そして反芻(はんすう)によって、意識の向きが引っ張られるということがよくあります。
それを無効化するのがヴィパッサナーであり、最近では「メタ認知」という表現で、その要素が語られたりもしています。
「単にパターンがあって、反芻している」ということが、現状の現象のパターンを決めているという感じになり、「意識の向き」を変えることによって異なる現象を受け取っていくにしても、この自我による「反芻」がそれを止めてきます。
それを無理やりにでもねじ伏せるのが、「ありがとう教」の「ありがとう連呼」です。少なくとも「三昧」のように、「反芻領域」からは若干逃れることができます。
また、一応、論理で突き詰めていって、別の解釈を生み出したりすることで意識の向きが変わることもあります。
生存本能としての恐怖心
今までにもさんざん触れていますが、数ある現象の可能性を狭めているのは「生存本能としての恐怖心」です。これは理に適っているようですが、実質的には理に適っていません。
もちろん生き物として恐怖心を持つことは正しい面があります。ただ、よくよく見ていると、「何が恐いの?恥ずかしいの?」と思うようなことに過剰反応している姿をよく見かけます。
生存確率を上げるための「群れ」という方法論があります。あるグループに属していて、そこからはみ出さない方が生存確率が上がるというようなものです。
たいていこれが「恥」の根源です。
ちなみにですが、僕はかなりの確率で鼻毛が出ています。
しかし、鼻毛が出ていることで「生存確率が下がる!」「生殖確率が下がる!」と怯えたことはありません。
お金への意識
さて、そのようなことはどうでも良いのですが「お金」の面でも意識の向きとして、たいてい「消費して、無くなる」という前提があるため恐怖の対象となるのではないかと思います。
しかしながら、それ自体が「意識の向き」です。
「消費して無くなる」というだけでなく「投資してリターンがある」とかそういうのもあるはずです。
人によっては「何かをするための材料」とか、金融機関勤めだったうちのおじいちゃんは「商品」という概念で捉えていたりもしました。
考え方は色々あります。そしてどれをどの程度本当にそう思っているかによって、属性も現象も変わるわけです。
そういう意味では、事業的性質のない給与と消費、もっと言えば、家庭内で消費するだけの感覚というのは潜在的に「恐怖」を発動させやすいのではないかと思います。
どのような分野でもそうですが、リアルを知らない人ほど、妄想的恐怖の方に意識が引っ張られたりしがちです。
大丈夫、死ぬことはない
恐怖、恥等々、基本的にその感情の反応を根拠に避けようとしてしまいますが、たいていは「大丈夫、死ぬことはない」というのが本当のところです。
もちろん「少なくとも生命として苦しくなる可能性が高い」というのは避けるべきです。
個人的には腹痛など確実に避けたいところです。
(基本的にトイレに篭っているところを見られるというのは平気ですが、生存レベルで言うと、すぐに動くということがしにくいという意味で、やや警戒態勢ではあります)
毎度例に出しますが、僕は海外に冒険に行っておきながら、さほど英語を話すことができません。
しかし、それを恥ずかしいとか、恐怖的に思ったことは一度もありません。
「英語を話せますか?」と聞かれたら、
「Ah McDonald…Kentucky Fried Chicken…Red Hot Chili Peppers…」とでも答えておけば良いと思っています。
仮に、全く異国の方が、
「吉野家、丸亀製麺、稲葉浩志&Tak Matsumoto…」と言ってきたら、ひとまず握手でもするのではないでしょうか?
それと同じことです。友だちを作るのに流暢な英語は必要ありません。
反芻との向き合い方
脱線しそうになりましたが、そうした反芻、反芻思考との向き合い方です。
基本的に、恐怖心に基づくような思考を消そうとするのではなく、それを反芻することが無くなればそれで良いわけです。
方法1は、「ありがとう連呼」による方法です。
個人的には、ありがとう連呼でもいいですが、
「ultra soul !」でも良いと思っています。
方法2は、今この瞬間に集中して何も起こっていないことに気づくことです。
方法3は、徹底的なヴィパッサナーです。
なお、方法1の高度版として、アファメーションなどの技術があります。
その他、作業への集中もあります。試合中、ライブ演奏中に、反芻思考はあまり介入する余地はありませんから。
